Plaudite, acta est fabula.
風が吹いた。冷え切って尖った空気が耳朶を齧る様だった。良直は掌中の采配の柄を強く握り込んだ。冷えて強張った指の節がぎしぎしと軋んだ。手先の感覚はほとんど無くなっていた。今日は寒い。真冬の戦だった。それもじきに終わろうとしている、撤退の間際だった。しかし良直は動かなかった。足の裏に根が生えたように良直は動けなかった。殿軍を志願したのは無意識だった。気が付いたら喉が勝手にそう吼えていた。「おれが殿軍を務める」どうせ危険なら老いぼれに任せろ、そうもっともらしく嘯いて、幾千の命を背に、幾万の敵を眼前に、良直は煥然と立った。そうすべきだと叫ぶ己と、それを俯瞰する冷徹な己が、良直の中にあった。武を以て仕え、武を以て用いられた。であるならば、良直の末路は武によってのみ開かれる。良直は刀槍を持って戦場に在った。であるならば、良直の終焉は刀槍によってのみ齎される。良直は腹の底から衝動が這い出てくるのを感じた。火焔の熱さとゆらめきを持った衝動は大蛇だった。彼方の昔に父祖が退治したという妖の蛇、その鏡の眸が鬼庭の祖を呑んだと良直は寝物語に聞いた事があった。鬼庭の家には蛇が憑いている、その蛇が力となって鬼庭の武力を支えている。されば腹の底に眠っていた炎の大蛇は全身を突き動かす尚武の具現であったのか、良直は思った。這い出た業火の蛇が臓腑の隙間をすり抜け、咽喉を登り、両の目の奥に辿り着いた。かっと総身が熱くなった。良直は己が笑っていることに気が付いた。つり上がった唇の両端には毒牙、爛々と光る双眸には火影、昂然と大地を踏みしめる両足は白磁の鱗に覆われた尾になった。
(ああ、おれは蛇になる、白い大蛇だ)
良直の中の獰猛な一人が言った。
(獲物を呑み込み、幸いを齎す白い蛇だ)
良直の中の冷徹な一人が答えた。
敵勢はすぐそこまで迫っていた。白蛇の良直は牙にしたたらせた毒を掲げる。そして叫んだ。
「ここがおれの死地だ、然る後に生きろ、若殿!」
鬼庭良直
タイトルは「拍手を、芝居はお終いだ」
改行が無いのは、なんかそういうの書きたかったような記憶があるので、そのまま投稿。