needless pray
お前の父は死んだのだ。
その言葉を祖父から投げられて、諏訪頼重は逡巡した。しばしの後に、幾つかの中から選び出した言葉で尋ね返す。
「御柱の神事は如何様に?」
澱みなく、諏訪頼満は答えた。
「大祝の宮若のみ、参列させれば良かろう。己等は控えるべきだな」
頼重は少し俯き、祖父の言葉を反芻した。意味はすとんと胸中に入り、理解は容易かった。しかし、理解の後にしこりのように残ったもやもやとした思いがあった。喉の奥がきりきりと痛かった。
血を分けた親と子の有様が、このように平板であってもよいのか。
頼重は悲しいのだ。おのれの父親が死んだのだ。だから頼重は悲しかった。祖父は違うのだろうか、と漠然とした恐れがあった。
「……大祭は宮若殿に任せましょう。父上の葬儀は…」
「骸は荼毘に伏せろ。式年の遷宮は社の再生だ、穢れが在っては成らぬよ」
「では、大祭の後に行う、と……?」
「そうだ」
頼満の言葉に、眼差しに、少しの乱れも無かった。そのことが、頼重は無性にかなしかった。
責める思いが態度に表れたかも知れない。頼満は年若い後継者を見遣って微笑した。乾いた笑みだった。
「己の有様が不満か、小太郎」
「……いいえ」
「見え透いた嘘は良くない。肯定と同じだ」
頼重は頑なに首を振った。祖父の言うことは正しかったし、逆らいたくなかったが、認めたくもなかった。
「良いか、小太郎。己は当主として立たねば成らぬ、手前は大祝を輔けねば成らぬ、そこに感傷は不用なのだ。哀悼も、寂寥も、人間の心に根差した全ては己等を惑わす。だからな、」
「……」
「己等は其れを排除せねば成らぬのだよ」
頼満の大きな掌が頼重の頬に触れた。頼重は顔を上げた。瞼の端から涙が一粒転げ落ちた。
「この世に神など居らぬ、しかし人の心の中には居る。己等の役目は、幻の神を人々に見せる事だ。悲しむな、悼むな、一つ一つの感傷を拾い上げるな。神の側近く在る者は須らく神を模倣すべきなのだ」
「……それが、貴方の理ですか……?」
「いいや、違う」
頼満は頼重の頬から涙の痕跡を拭い取った。そこには何もなかったのだ、と言わんばかりに。
見上げる頼重の眼の先、毅然として背筋を伸ばす祖父は、厳しい声で告げた。
「諏訪と云う律に囚われた人々の、遁れ得ぬ理だ」
諏訪頼重と諏訪頼満。
御柱=式年遷宮御柱大祭、通称・御柱祭。
宮若丸=諏訪頼隆の弟(頼寛)、大祝。