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過去作品集(戦国)  作者: 陸戦型稲葉
すごく短い短編
6/26

優しい顔で笑う人がいた



 幾夜の昔か、独り寝が、まだ怖かった頃。


 三郎二郎は眠い目をこすりながら、枕を抱えて兄の部屋へ通った。暗くなった部屋の隅になにかが潜んでいるような気がして、そのなにかが三郎二郎に話しかけてくるような気がして、ひとり目を閉じる事が恐ろしかった。

「なんだ、また来たのか」

 眠り灯台のほのかな灯りで読み物をしていた宗太郎は、いつもそう言って三郎二郎を迎えてくれた。

「兄ちゃん、起きてると思ったから」

「もうじき寝るよ」

「あのさ……いっしょに寝ていい?」

 おそるおそる三郎二郎が言うと、宗太郎は困ったように肩をすくめて微笑むのだ。

「怖がりだな、三郎は」

 そうして、狭い寝床を半分わけて貰って、三郎二郎はようやく瞼を閉じる事が出来た。

 弓の稽古をした話、馬の世話をした話、手習いがつまらなくて逃げ出した話、三郎二郎は何でも宗太郎に話した。宗太郎はどんな話でも最後まで聞いてくれた。一緒に喜んだり、褒めたり、時には怒ったり悲しんだりした。三郎二郎は宗太郎と話すと、どんなことでも昇華できた。

「兄ちゃん、暗いところにはなにがいるの?」

 ただひとつ、その問いにだけは、宗太郎は答えてくれなかった。答える代わりに、仲良しの兄はこう言った。

「暗い所にいるものは、きっと明るい所ででも見える」

「そんなのやだ、怖いよ」

「怖くないさ。明るい所でなら、そいつの正体だって分かるだろう?」

 涙目で窺い見た宗太郎は、それはそれは優しい顔で笑っていた。怖がりの弟を宥めるように。



「……それで、結局何が暗がりにいたのですか?」

 長三郎が尋ねた。昔語りの懐かしさから醒めて、義豊はくすりと笑った。

「何もいやしないさ」

「何もいなかったのですか?」

「目に見えるものはね」

 おかしそうに義豊は笑った。首をかしげる長三郎に、昔は怖がりだった叔父は昔話の続きを聞かせる。

「兄貴に言いくるめられて、一晩だけ独りで寝たのさ。びくびくしながらね。知らないうちに眠って、朝起きて部屋を見回して、初めて部屋の隅に何もないことに気付いた」

 拍子抜けした三郎二郎は、兄のところへすっ飛んで行って報告した。明るい所で見たら何も無かった、と。

「それで、父は何と言ったのですか?」

「よかったな、の一言だけさ。何も無いって知ってたのか尋いても、笑うだけで答えてくれなかった」

「……どうしてでしょう?」

 難しい顔で腕を組んだ長三郎に、義豊はにこにこと笑いかけた。

「よく考えてみるのさ。目に見えるものは何もいなかった。でもな、ちゃんといたんだよ、みえないものが」

「えっ?」

 長三郎が怯えたように後ずさる。義豊はにこにこと笑ったまま、怖がりの甥に語った。

「人間の情念は目に見えない。それはどこにだって蟠っているものなのさ」

 誰かの恨み辛みを向けられていると悟った瞬間から、それは彼らに近付いてくるのだ。ひそりと、音も姿も無く。

「怖がるから感じる、恐れるから追われる。だったら笑い飛ばしてやればいい」

「……どう、やって?」

「影も見せない臆病者がどれほど怖いものかよ、ってさ」


 幾夜の昔か、優しい笑みを浮かべていた兄は、きっと同じ事を思っていたのだろう。

 義豊はいまも、部屋の隅にうずくまる誰かの情念を、時々怖いと思うのだ。



上松義豊と上松義春

幼名が分からないので義豊→三郎二郎、木曾義昌→宗太郎で代用。

長三郎(義春)は義昌の三男、義豊の養嗣子。

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