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過去作品集(戦国)  作者: 陸戦型稲葉
すごく短い短編
23/26

アイ ビリーヴ



 悪事を繰り返していた義縦ぎしょうが役人に捕まったのは昨日の事だ。縦は、内心やれやれと思いながら大人しく雑居房に入り、翌日の今日、取調べを受ける為に引っ張り出された。

 手枷足枷を着けたまま引っ立てられると思っていた縦の予想と裏腹に、通されたのは殺風景な狭い部屋だった。物置か納戸のような部屋である。壁は分厚く、天井が高い。部屋と言うより、竪穴か箱のようだった。

 部屋には小さな机と椅子が二脚置かれていて、ひとりぽつんと待つうちに一人の男が入ってきた。長身の縦より幾らか背が高いかもしれない。上背の割りにひどく痩せていて、木の枝を組んで人の形にしたみたいだ、と縦は思った。

 椅子に腰掛けると、おもむろに男は言った。

「お前が今までに行った悪事を全て話せ」

 挨拶も前置きも抜きだった。

「ただし、嘘や偽りを言ってはならない」

「なんで正直に喋る必要があるんだい」

 縦はわざと嫌味っぽく言ってみた。

「だって、あんたは下っ端の小役人だろ? ぶん殴って黙らせたって大した事にゃあならねぇよ」

「そう思うか」

「どこの馬鹿が、手間暇かけて下っ端なんぞ守ろうとするよ、ええ? あんたも、どうせすぐに首切られンだ。だったら殴ろうが蹴ろうが構いやしねぇ。俺を追っかけて来れねぇんだからな」

 はん、と縦は鼻で笑った。半分は虚勢、もう半分は目の前の男がどの程度で怒るか、計るための言葉だった。しかし、縦の予想に反して、まるで鉄で出来た仮面のように男の表情はまったく動かなかった。その無機質な顔の中で、鋭利な刃物で切り込んだような細い双眸が、ひょろひょろの体躯に不釣合いなほど厳しい光を湛えて、縦を見つめていた。

 背筋にひとすじ、嫌な汗が流れた。縦はそれに気付かないふりをした。

「なるほど」

 男はとつりと言った。溜め息も呼吸すらも聞こえなかった。つくりもののような男の所作に、縦は人間と向き合っている心地がしなくなった。

「な、んだよ」

「わたしは姓をちょう、名をとうと言う。お前の姓名は何だ」

 仮面の口が動いて言葉を吐き出した。鋭く、底冷えするような視線が縦の両目を真っ直ぐ捉えていた。

「答えないならば、お前に名は無いのか」

「ちょっ……待てよ、縦だ。義縦」

 慌てて、縦は言った。両親から貰った名前は好きだった。それを無き物にされてはたまらない。

「では義子ぎし。お前は法を何と思う」

「はあ?」

 湯の両目は、相変わらず縦の両目を真正面から捉えている。拘束されているでも閉じ込められているわけでもなかったが、縦は何故だか、この男から逃れることは出来ないのではないか、という気がした。どこへ逃げても、隠れても、ひえびえとする二つの目がどこまでも縦を追いかける。そんな錯覚に囚われた。

「法は国家における最強の武器であり、楯だ。しかし法は矛盾しない。何故なら、法とは天子と人民とを守護する為の絶対権力であるからだ。天子が選ばれるは王道、法が則るは覇道、すなわち武力と等しい力を、法は持っている」

「おい……」

「義子、お前は法を犯したか」

「…………」

 縦は返事に詰まった。答えは是だったが、それを言えば湯は縦を許しはしないだろう。法は覇道に則る、と言い切った目の前の男こそ、法という絶対権力の具現であるように縦には思えた。人が動く時に生まれる人らしい諸々が、湯にはまったく見当たらなかったからだ。縦は本当の事など決して言うまいと思ったが、微動だにせず縦を見据える湯の視線がすべての嘘を見抜いてしまう、と直感した。きっと湯は分かっていて尋いたのだ。

 縦は少しだけ顔を顰めて顎を引いた。侠客の真似事をしていた頃の、相手を睨み付ける時のやり方だった。

「……それが何だい?」

「わたしは法を犯したか否かを尋ねている。義子、返答はいずれだ」

「人は殺してねぇ」

「盗みや喧嘩はしたか」

 縦はごくりと唾を飲み込み、出来るだけいつも通りの声音で頷いた。

「……ああ」

 少し言葉を切った湯の沈黙が、百斤の錘よりも重く感じられた。背を伝い落ちたふたすじめの冷や汗に、縦はやはり気付かないふりをした。

「お前は街を荒らしたか」

「……さぁな。堅気に迷惑は掛けてねぇつもりだったよ」

「では墓を荒らしたか」

「誰のかは知らねぇがな」

「ならばお前は罪人だ。義子、お前は命が惜しいか」

「待てよ、なんでいきなり、」

「わたしは命が惜しいか否かを尋ねている。返答はいずれだ」

 湯の双眸が細さを増した。刃物のように鋭い眼光が更に砥がれたように、縦は思った。

「……ああ、惜しいよ。惜しいに決まってンだろうが」

「なるほど」

「何なんだよ、あんた。下っ端に罪人裁く権限なんざねぇ。それくらい、俺だって知ってらぁ。それが何で命がどうのって話になってンだい。俺を引っ立ててあんたが偉くなるわけじゃねぇんだぜ?」

「では、お前はお前を罪人だと認めているのだな」

「……はん」

 一刹那の逡巡の後に、縦は鼻を鳴らした。この鉄面皮に反論する糸口を見つけた気がした。罪人か否かに湯がこだわるならば、それを利用しない手はないのだ。

「いまさら善良ぶる気は毛ほどもねぇよ。けどな、俺ぁそれでもマシだと思ってンだぜ?」

「その理由を聞こう」

「俺がなんで盗みなんかしたか分かるか? 家が貧しかったからさ。じゃあなんで、貧しかったか。分かるかい?」

「続きを聞こう」

「うちは薬を作ってた。商人がそいつを馬鹿みてぇに安く買い叩いてた。奴らはそれを馬鹿みてぇに高く売り捌いて肥え太った。なぜか? 役人が取り締まらねぇからさ」

 淡々と語りながら、縦は正面に座る湯の目を睨んだ。相変わらず、そこには何の表情も見出せない。胸糞悪ぃ奴だ、と思いながら、縦は続ける。

「役人がなぜ取り締まらねぇか。商人から税金をたんまり巻き上げるためさ。見回りが現場に出ッくわしても、袖の下で貰うモン貰えば黙って通り過ぎる。そういうのを何て言うか知ってるか?」

「不正だ」

「そうさ、分かってるじゃねぇか。だったらこれも分かるよな。不正を働いたら罪人だ」

「法に照らせば、お前の理屈は正しい」

 湯の言葉に、縦は目を細めた。かかった、と思った。

 端的で簡潔な言葉を話す湯が、ここで初めて言葉に限定条件を付けたのだ。

「法に照らせば、ねぇ。じゃあ聞くがよ。法に照らさねぇなら、どうなんだい?」

「…………」

「だんまりは無しだぜ。俺ぁ、法に照らさねぇならどうだって尋いてんだ」

 湯の言い方を真似て追求する。沈黙が言葉より雄弁な返答だった。法の外にあるものを、法は裁けないのだ。

「答えねぇなら勝手に解釈するぜ。あんた、類は何にしろ、不正やってンだろ。賄賂、斡旋、何だっていい。そいつを認めれば、あんたも晴れて『俺たち』罪人の仲間入りって寸法さ」

「…………」

「役人は法に従うんじゃねぇのかい? 公正がウリなんだろ? 答えろよ」

「認めよう」

 湯は言った。己の不正を認めるその声音さえ、鉄で出来ているかのように平板で冷たかった。

 縦は笑った。やられっぱなしは性に合わない。自分が罪人であることはもうどうでもよかった。どのみち、捕まらずに済むとは思っていなかったのだ。罪を裁かれて刑に服すなり死を得るなりしても、罪を犯さなければ生きられないよりはマシだと、縦は思っていた。

「法は覇道、だっけか。お粗末な覇道じゃねぇか。武力と等しかろうが何だろうが、そんなモン、屁の役にも立ちゃしねぇよ。罪人ってのは誰だい? その数に役人は入ってンのかい? 結局、俺ら無冠の民が割食うだけじゃねぇか」

「認めよう。現状、法は未だ完璧ではない」

「続きを聞こうじゃねぇか。現状がそうなら、次はどうなるってンだい?」

 縦は長い脚を組んだ。言うだけ言って気は済んだ。あとはなるように任せよう、と落ち着いた気分になっていた。

「いずれ、法は完璧な力を得る」

「それで? 不正を働いたあんたはどうなるのさ」

「現在の不完全な法を、まさしく覇道に則るに至るまで改組する」

 訝しげな顔になった縦に、湯は語った。幼い頃、干し肉が無くなったと言って父に鞭打たれた。弁明も何も無かった。湯は鼠が肉を盗っていった事を知っていたから、下手人として鼠を捕らえ、証拠品として肉の食べかすを探し出し、庭先で裁判を行った。鼠は窃盗犯として鞭打ちの刑に処し、若竹で打って刑を執行した。

「罪は法の下で裁かれねばならない。公正なる手順と手続とを経ないならば、刑の執行をしてはならない。わたしの父は冤罪で私刑を行った。それは有ってはならないことなのだ」

「……親父さんを見返してぇのかい?」

「否だ。私刑が公然とまかり通る現状を変える。今のわたしは、お前の言う通り下級官吏だ。法を変える権限は無い。故に、わたしは御史大夫になる」

 饒舌になった湯の口から出たその単語に、縦は目を丸くした。御史大夫とは、三公の一ではないか。官吏を監察し、その不正を裁き正す、『弾劾』の最高権力者。

 一介の官吏が目指すには、あまりに遠く、高い地位だった。

「とんでもねぇことぬかす野郎だな。そいつぁ、俺が大尉になるって言うのと同じようなモンじゃねぇか」

 大尉も三公の一で、軍事・武事を司る『干戈』の顕現だ。三公の残る一は『輔弼』の丞相である。いずれも、縦や湯にとっては雲の遥か上の存在だった。

「普通に考えるならば、お前が大尉になり得ないように、わたしが御史大夫にまで昇ることは不可能だ。しかし、」

「ああ、分かったぜ、続きが。だからあんたは、のし上がるためなら手段なんざ選ばねぇって言いてぇんだろ?」

「そうだ」

「どうだかね。あんた幾つだい? 俺よりだいぶ年上だろう。そんなんで間に合うのかい?」

「間に合わせる」

 湯は断言した。縦はついに吹き出していた。湯の語る夢は絵空事と言ってもいい。それなのに、痛いほどそれを理解している本人が、誰より本気で夢の実現を信じている。冷笑でも嘲笑でも無く、縦はこの男を面白いと思った。

「ところでよ、俺の質問にゃあ答えてくれねぇのかい? それで、あんたは、どうするんだ」

「御史大夫は官吏を裁く。全ての官吏から不正が無くなった暁に、わたしはわたしを裁く」

「ひとりで裁判ってか? 冗談じゃねぇや、そんなの良くも悪くもやりたい放題だろ。ああ、そうだ、張さんだっけ? 俺が手伝ってやろうか」

 訝しげな湯の視線と目が合った。ごくわずかに垣間見えた張湯という男の感情らしきものを目の当たりにして、縦は、湯も同じく人間であったことにどこか安堵していた。

 手伝ってやろうと思ったのは、湯がひどく不器用な人間に見えたからかもしれない。たしかな感情を持っているくせに、それをどうやって表に出すのか分からない。明らかな目的を持っているくせに、一番真っ直ぐで険しいやり方しか選べない。そういう人間には、政界は生き難いだろう。それでも他の生き方を選ぶ気は無いのだ、この男は。

――――きっと友達なんていねぇんだろうな。

 縦の中には、そんな風に憐れむ気持ちも、少しばかりあったかもしれない。

「手伝うとは、どのような意味だ」

「あんたの最後の裁判に、俺も同席してやろうって意味さ。俺以外の誰かに、不正を暴かれたりしたかい? そうでねぇなら、俺はそいつを暴いた責任を取るさ」

「…………」

 湯は暫く沈黙した。答えを待たず、立ち上がって縦は笑った。愉快な事を思いついたのだ。

「なあ、ちょっと眼ぇ閉じててくれるかい」

「何故だ」

「野暮用さ。そう遠くねぇうちに戻るからよ」

「帰すと思うか」

「信用できねぇなら、吹き溜まりにでも行って『平陽へいようの義縦』を探せばいい。これでも、結構名は売れてるンでね」

 じゃあな、と言い置いて縦は身を翻した。湯が立ち上がった気配は分かったが、追いかけてくる足音は聞こえなかった。

 堂々と獄舎を後にした縦は、ねぐらに残してきた義弟に今日の事を話そうと思った。変わった役人に会ったこと、その役人に興味を持ったこと、これからの身の振り方。直情的な義弟には反対されるかもしれない。しかし、縦は既に決めていた。

 ほんの少し言葉を交わしただけでも、湯の理想が正しいことは感じられた。民の罪を裁く官が不正に墜ちれば、天子の統べる社稷のどこにも安寧は生まれ得ない。官を裁く官には、正しい人間が就かなければならない。縦には、湯こそそれにふさわしいと思えたのだ。

「さぁて、誰に頼むかねぇ」

 あの獄舎に戻る為には伝手が必要だった。罪人としてではなく、登用される為に。


(独りってのは気楽だが、存外寂しいモンなんだぜ。あんたは知らねぇかもしれねぇけどさ)


(俺はあんたの理想を信じるよ。正しい法、平和な町をつくる法、あんたなら作れるかもしれねぇって)


(だから、俺があんたを裁いてやるから、あんたが俺を裁いてくれよな。その時は、全部正直に喋るから)



(その時は、俺の夢も話すからさ)



義縦と張湯

「彼の黎明」と湯さんの性格が違う…まさか決まってなかっt

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