埋葬の森
ゆるやかな雲の動きが生を攪拌するように見えたのは気のせいだった、きっとそうだろう。小笠原貞忠はこんもりと繁る樹木の濃緑の向こうに炎が立ち上る白昼夢を見た。攪拌するのは炎の揺らめきのためにだろうか。じんじんと蝉の声が降りそそいでくる。日射しは強かった。
「六郎、ここにいたね」
「父上」
くすんだような匂いと共に定基が現れた。墨書を殊更に好む定基からは、いつも墨の香りがした。貞忠の記憶は定基と墨の香りを同じように覚えていた。
「また書状を認めておられたのですか」
「書かねば角が立つからね。それに私は、書簡というものが好きなのだ」
「自分には分かりかねます」
「いずれお前も分かるようになるよ。必要になる」
「父上、」
貞忠は父の言葉を堰き止めるように言った。なめらかに流れる定基の言葉は、貞忠を、それは容易に絡め取り、煙に巻いてしまう。
貞忠は言った。
「下條へは行かれないのですか」
「まだ早い」
「鈴岡の親族が集まってしまいます。待たねばならない理由の説明を要求します」
真摯な貞忠の問いに定基はぬるい笑みを浮かべただけだった。
「焦るな、六郎。押すだけで降せる相手ではないよ」
「では、代替案は」
「待つことも戦い方のうちである。分かるね」
定基は相変わらず、曖昧な温度の微笑を見せている。その仮面の下に冷血のいきものの体温があるのを、貞忠は盛夏の蝉時雨と共に記憶した。貞忠の目の前で笑っているのは父親ではない。一個の残酷な論理だった。
「……自分には、分かりかねます」
それでも貞忠には、定基の気に入る答えを返すことは出来ない。思った事を思ったとおりに述べるのが貞忠の性格であり、それは長所として定基に愛でられ、短所として貞忠自身に憎まれていた。
「お前は素直すぎるのだよ。もっと私のように狡くならないと、きっと辛い思いをする」
「いえ、自分は」
「若いうちはそれでもいい。けれど、六郎、いつか苦しむなら最初に切り捨てた方が痛くないのだ」
「……」
「今はまだ分からないかもしれないけれどね」
策謀を駆使する老獪な武将の顔で、定基は言った。
貞忠は、その同じ顔をして同族を葬り去った父の記憶を、そろりと思い出した。あの日も父は、こんな風に難しい事を話していただろうか。分かるのは重く垂れ込めた真冬の曇天と、今日の眩しい真夏の旱天とが、どこか見えにくいところで繋がっている事だけだった。彼らを囲む鬱蒼とした木々は、変わらずくろぐろと結界をつくる。外の世界と松尾城を隔てる森には、幾重にも謀殺の痕が滲み付いていた。
この日の定基の書状の宛先が下條時氏であったと、貞忠はずいぶん後になって知った。
小笠原貞忠と小笠原定基
「萌ゆる森」の何十年後か。




