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過去作品集(戦国)  作者: 陸戦型稲葉
すごく短い短編
10/26

誰も愛さないで欲しいから



「お前、俺を裏切るつもりか?」

 嘲笑するように掛けられた声が、真理の背筋を凍らせた。

「……裏切るって何よ」

 殊更に眼に力を入れて、気圧されないよう覚悟して振り向いた。真理の視線の先には義昌が居た。

「説明しなければ分からねぇか?」

「ええ、ぜひそうしてほしいわ」

 口許だけで嗤ってみせる。義昌の前では、真理は毅然としていたかった。

「お前は俺の妻だ。妻は夫を裏切らないものだろうが」

「だったら裏切ってなんていないわよ。私はただ、日頃のちょっとした出来事を手紙に書いて送っただけ。それが裏切りかしら?」

「じゃあ、密告と言い換えれば満足か? 言い訳をするなら、俺を言い負かすくらいの事を言え」

 義昌は底意地の悪い微笑を浮かべて言った。真理の一番嫌いな顔だ。義昌がこういう顔をするとき、彼は決まって真理の嫌がる事を考えている。

 しかし、今日は真理にも手札があった。

「私が密告したというなら、敵に内通している貴方はどうかしらね。それは裏切りと言わないの?」

 義昌の目許が険しくなった。図星を突いたのだ。真理は密かな優越感を覚える。

 確たる証拠があるわけではない。けれど、義昌が織田と通じている事を、真理はほとんど確信していた。

「夫の主は私の主でもあるわ。忠誠を尽くすのが道理、だから知らせた。裏切り者は、ねえ、どっちかしら?」

「余計な感傷を……そういうのはな、馬鹿のする事なんだよ」

「程度の低い挑発ね。貴方みたいにいい加減な人を軽佻浮薄と言うのよ」

 義昌が鼻で笑った。突き放すような鋭さを持った嘲笑だった。

「だからお前は馬鹿だと言うんだ。迂闊に知らせて、仙太郎がどうなるかも分からねぇのか?」

「……何ですって?」

 真理は愕然とした。長男の仙太郎は、甲斐に、勝頼の下にいる。婚姻という薄っぺらな契約で親族となった義昌を、最も効果的に牽制する為の人質だった。

「お前の兄だ、あの殿様のやりそうな事くらい分かるだろ?」

「……そんな事……しないわ、仙太郎は私の息子なのよ」

「俺の息子だというのも、事実だ。可哀想に、母親がうっかりしてたせいで伯父に殺されるなんてな」

「止してよ! 貴方、自分の息子が殺される事が平気なの!?」

 悲鳴のような真理の詰問に、義昌はひどく冷え切った微笑で答えた。

「ああ、そうだな」

 真理が一度も見たことのない、残酷で冷徹な顔だった。義昌はずっと、この顔を真理の眼から隠してきたのだ。

 憎悪、あるいは怨恨。義昌の双眸に揺らめく鬼火は、明らかに、現し世の向こう側を映していた。

武田おまえの血が入った子供など、俺には不要だ」

「……何……」

「いい加減に理解しろ、俺はお前が嫌いなんだよ」

 言い捨てて、義昌は踵を返した。内通の支度か、隠蔽か、真理には義昌の行動など見えてはいなかった。

 自らの行動が愛息子の命取りとなる事実、それを義昌に指摘された事に、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。



真理姫(真竜院)と木曽義昌

「炎のように」の二十年後くらい。

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