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Lesson7  ピアノ男子の元カノ、現る

 季節は移り、7月に入った。今週末、というか来週初めの日曜日はいよいよ教員採用試験である。私は受けないが、アユや葉子ちゃんはもちろん受けるわけで。

 アユも葉子ちゃんもこつこつ勉強してきたのはよく知っている。私もコネで雇ってもらう以上、それなりに大学で勉学に励んだつもりだが、採用試験の勉強はまた別だ。

 二人とも、ガンバレ。私もピアノがんばる。


 

***



 五十嵐くんにピアノを見てもらって、そのあと学食に行って昼食を食べる。

 そこにいつのまにやら後藤くんが混ざるようになっていた。


「おっす! よっちゃん」

「イカじゃないんですが……」


 ちなみに私はその駄菓子があまり好きではない。好きな人ごめんなさい。

 後藤くんは、購買で菓子パンを3つ買ってきていた。2つならともかく3つとなると確実にカレーよりも高くつく。

 五十嵐くんは、今日はデミハンバーグ定食だ。これだから実家暮らしは。

 私は先日のレッスンのときに、彼が東京都下のとある市の実家暮らしだということを聞いている。お兄さんがいるということも。ちなみにお兄さんはピアノはほとんど弾けないらしい。


「四谷ちゃん、いつもラーメンかカレーだよね」

「それが一番安いから」

「そんなに切羽詰まった生活してるわけ? 四谷さん実家どこだっけ」

「横須賀。海の近く。実家にはまだ学費のかかる弟妹がいるの」

「へえ~。言われてみれば四谷ちゃんて長女って感じする」


 そうかな。でも確かに、母親を支えなければ、と思ってやってきたから、そうなのかもしれない。


「そうそう四谷ちゃん、今週末あたりに飲み行かない?」

「あの……今週末が採用試験なんですけど?」


 前にも言っただろうが。こっち(教育学科のみなさん※私除く)は人生かかった試験なんだよ。


「いやいや、数学と教育の飲み会じゃなくて俺と潤と四谷ちゃんで。四谷ちゃんは試験受けないんでしょ? みなさんとの飲み会はいろいろ都合わかってるからそれはもちろん秋以降でいいよ」

「は?」


 声を上げたのは五十嵐くんだ。


「なんでお前と四谷さんが飲みに行かなきゃらねんだよ。友達でもねえくせに」

「え、ひどい! 友達だよね!? 四谷ちゃん」

「せいぜい知り合い、ぐらいじゃないでしょうかね……」

「ひどい!」

「丁寧語使われてる時点で友達じゃねえよ」


 なにそれ、と後藤くんが言うが、五十嵐くんは、な? とこっちを向いて笑う。

 毎週顔を合わせているせいか、私と五十嵐くんは確かに大分フランクな関係になったかもしれない。だがしかし。


「呑気に飲んでる場合じゃないです。ピアノの単位は本当に深刻なので。もし飲むとしたら、それは私が晴れて無事単位を取れてからです」


 えー、と後藤くんは抗議の声を上げるが、それ以上は強引に進めようとはしないようだ。


「じゃあ、教育のみなさんが試験や実習終わって、四谷ちゃんが単位取れたら、パーッとやろうよ、パーッと。ね! それは絶対! 約束!」

「確約はできないですが、まあ心の片隅には置いておきましょう」


 絶対だよ! 絶対! と後藤くんはしつこかった。



***



 カレーを食べ終えると彼らとは早々に別れ、バイトへ行くため正門へ向かう。

 その途中で、声がした。

 

「あの、すみません、ちょっといいかな」


 最初は自分のことだとは思わなかった。けれど、「四谷さん」と呼ばれたので声のした方を振り向く。すると、少し後ろに女の子が二人立っていた。その片方の子は先日五十嵐くんと一緒にいるのを見かけた女子学生、つまり元彼女だ。

 その元彼女の方が私に近寄って来る。


「突然声かけてごめんなさい。私、経済の栗原仁美といいます。あの、私、五十嵐潤くんの、……友達で」

「はあ……」

「あ、ごめんなさい、あの、ちょっとだけ、話していいかな」


 私に一体何の話があるというのか。遠慮気味な口調だが、引く気も感じられない。


「このあとバイトなので、少しだけなら」

「私も3限あるし、ほんとにちょっとだけでいいので」


 促されるまま通路わきにあるベンチに座る。もう一人の女の子はちょっと離れたところで待っているようだった。


「あなたのことは潤からちょっと聞いたの。ピアノを教えているって」

「その通りです」

「あの、あなたたちは付き合ってたり、するの?」

「は?」

「最近見かけるときいつも潤と一緒にいるから。潤は違う、そういうんじゃないって言ってたけど……」


 一緒にいるのはピアノ室と学食だけだ。しかも週1。その他では一切一緒にいたことはない。しかし4年ともなれば、大学に来る回数も少なくなるからその度に見かけるとなると、いつも一緒にいるように見えたのかもしれない。

 

「私と五十嵐くんは、ただのピアノの先生と生徒です」


 それ以上でもそれ以下でもない。

 けれど納得したのかしないのか、彼女は私の方はまるで見ておらず、少し前の地面を見るようにして話しだした。


「私、以前潤と付き合ってたの。2年の秋ぐらいから3年の終わりぐらいまで。フットサル同好会に私も潤も入ってて、その縁で。たまに喧嘩もしたけど結構うまくやってたと思う。

 ……なんで別れたか、聞きたい?」


 興味がないと言ったら嘘になるけれど、でもこれはプライベートなことだ。もし聞くとしても、会ったばかりの彼女からではなく五十嵐くんから聞くべきことではないだろうか。

 しかし、私の返事を待たずに彼女は続ける。


「潤のお母さん、亡くなってるの知ってる? 亡くなったのは潤が高校生のときらしいけど」

「亡くなっているということだけ、知っています」


 いつ亡くなったかは知らなかった。逆算すると5,6年前ぐらいか。


「潤の家、グランドピアノが置いてある部屋があって。用事があっておうちに寄らせてもらったときに、珍しかったものだからついその部屋に入ってピアノに触ろうとしたの。そうしたら潤すごく怒った、『触るな』って。私が吃驚していたらすぐにごめんって謝ってくれたけど、『そのピアノにはあんまり触ってほしくないんだ』って」


 そういえば、彼は言っていた。私のおかげでピアノに触れるようになったとかなんとか。以前は触れなかったということ?


「潤はお母さんをなくしたことから立ち直ってるんだと思ってた。でもそういうわけじゃなかったみたい。それがきっかけというか、それからなんとなくぎくしゃくし始めて。私、潤のお母さんへの気持ちとうまく向き合えなかった。本音いえば、亡くなったお母さんよりも私のこと見てほしかった」


 自分に近しい人をなくした人の気持ちは、寄り添うつもりでもなかなか共有しきれないものだ。彼女が自分を見てほしいと思うのは、仕方ないことなのかもしれない。


「そのうちに、別れを切り出されて……。私は別れたくない考え直してほしいって言ったんだけど、潤、同好会も来なくなっちゃってね。縋り付くのもみっともない気がして、わかった、って言って別れたの」


 ピアノ、と彼女は続けた。


「潤、私がいくら頼んでも、ピアノ聴かせてくれなかった。出かけた先の楽器売り場とかでもせいぜい片手で童謡弾くぐらいで。お母さんのことを思い出しちゃうからかなって思ってたけど……。

 だから、あなたにピアノを教えているって聞いてすごく驚いた。潤のピアノ、聴いた?」


 私はこっくりと頷いた。なんとなく後ろめたい気がした。

 そう、と栗原さんは頬にかかった髪を耳にかけ立ち上がった。


「でも、潤は、無理だと思う。潤と付き合っても、寂しい思いをすると思う。それだけはあなたに言っておこうと思って」


 そう言うと彼女は「いきなり呼び止めちゃって、ごめんなさいね」と一緒に来た女の子とまた建物の方に戻っていく。



 ……つまりこれは、私は何気に牽制された、ということでいいんだろうか。


 しかし、こんなときの対処の仕方を私は知らない。

  

 大学生活には、勉強とバイトと友人との交流と、それから恋愛も存在しているんだな。


 自分には縁のないことだったんだけど。



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