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Lesson4  ピアノ男子とバイエル8番

 小学校の先生になるにはピアノが弾けなければいけない。

 私はピアノが弾けないさあ困った。

 すると弾ける人が目の前に現れた。

 ちょいとアナタ、私にピアノを教えてください! 

 というわけで早速その彼、五十嵐くんに教えてもらうことになった。 

 友人には彼がどんな人なのか聞けと言われた。

 今日は2回目のレッスンである。 ←イマココ



***



 約束は10時45分なのだが、五十嵐くんはそれより前に来ていて、ピアノを弾いている。うん、今日もナイスCD! 今日彼が弾いている曲は、全然知らないけれど(私が知っているピアノ曲なんかたかが知れている)、すごく難しそう。なんかトゥルトゥルトゥルトゥルンッて高速で聴こえる。それからズンチャッチャズンチャッチャというか。……自分の表現力の無さを痛感するな。


 暫く聴いて、10時45分になると同時にピアノ室のドアを開ける。


「こんにちは」

「ちは」

「今弾いてた曲、なんて曲ですか? まったく聴いたことはないけど……」

「ショパンのバラード4番」

「へえ、タイトルだけだとバイエル8番とかの仲間みたいに聞こえますね」

「…………」


 わかったわかったわかったから、レベルが天地、雲泥、月スポぐらいの差だってことは。そんな目で見るな。

 

「ともかく、今日こそ実践しましょう師匠! お願いします!」

「師匠ってなに……」


 五十嵐くんは師匠というフレーズにひっかかったようだがそこは華麗にスルーしてピアノの正面に座り、おもむろに楽譜を開く。そうすると彼もレッスンモードに入ったようだ。


「じゃあ今日こそバイエル8番やるか。まず俺が弾いてみるから聴いてて」


 五十嵐くんはそう言うと、横からひょいっと手を伸ばしてきて、ポロポロと弾いた。彼が弾いてるのを見ると、すっごく簡単そうなんだけどな。


「ま、これはあくまで今日の最終目標ってことで。まず右手からドレミファソゆっくり弾こうか」

「はい……」



 それからまるっと1時間、右手と左手別々にドレミファソとか、ドミソミドとかドレミファソラシドとかさんざん弾かされて、さらに苦心してなんとか8番弾けるようになりまシタ。頭の中にずーっと、拍子をとる「イチ、ニィ、サン、シ」がこだましてる。右手と左手を一緒に弾くときに肩が上がっちゃうのは何故なんだろう。アユを心から尊敬する気分が湧いてきた。


 肩をぽきぽきしている私を見て、五十嵐くんは「おつかれさん」と笑った。

 それからバイエルを手に取りぱらぱらと捲る。


「バイエルってさ、見ての通り曲にタイトルついてないんだよ。何番、何番って番号だけで。練習曲だし。でももっと子供向けの楽譜だと、タイトルがついてるやつもある。編集者が勝手につけてるのかどうかは知らないけど、子供にしてみたら番号よりも曲名ついてる方がきっととっかかりやすいんだろうな。

 で、今日練習した8番は、うちの実家にあった子供向け教本にタイトル付きで載ってるんだけど、そのタイトルが『ピアノのおけいこ』っていうんだ。さっきそれ思い出したんだけど、なんかぴったりだよな」

「ピアノのおけいこ……」


 今日私が一生懸命、それはもう一生懸命練習して、初めて弾けるようになった曲が『ピアノのおけいこ』か。

 出だしとしては、なかなかなのではないだろうか。うん。


 「ほい」と私の頭に楽譜を乗せるように置いて、五十嵐くんは自分の荷物を取る。

 時間は12時だ。もう少ししたら2限が終わって学食が混んでくる。先週は音楽室を出てから別れてしまったけれど、今日はちょっと声をかけてみた。アユのメモを思い出したからだ。


「えっと五十嵐くん、このあとゼミでしたっけ」

「うん」

「もしよかったら、学食でお昼食べませんか?」


 おごれないけれど……と小声で付け足す。

 彼は軽く笑って、うんいいよ、と了承し、二人で学食へ向かった。


 

***



 私は例に寄ってカレーだが(学食で一番安いメニューなのだ)、五十嵐くんはそれより50円高い唐揚げ定食を選んでいた。ごはん大盛りだし。さらにプラス50円。


「肝心なことを聞いておきたかったんですが、五十嵐くん、就職は?」

「あ、ちょうど決まったばっかり。某メーカーに」


 それはよかった。やはりなるべく負担はかけたくない。

 遠慮なく社名を聞くと、誰でも知ってるメーカーだった。

 そっちはどうなってるの、と訊かれたので私の事情も話す。公立の教員採用試験は受けず、コネで私学の小学校への採用が決まっていること。しかし単位がとれなければ教員免許が取れないので、就職もパーになってしまうこと。 


「もう一度確認したいんだけどさ、最終的に単位を取るのが目標として、期限はいつとかあるの」


 唐揚げ1個を一口で食べ、そのあとにごはんをがばっと口に放り込む様は見事だ。さすが男子。実家の弟をちょっと思い出した。


「んー、うまくいけば前期中にマスターしたいけど今日の感じからすると無理そうなんで、早い方がいいけど様子見って感じですかね。でも卒論前には教授せんせいに見てもらわないとヤバいです。あ、9月に教育実習行くから、そこはひと月練習できません……大丈夫でしょうか?」

「俺も人に教えるのって初めてだからなあ……。まあ頑張ろうお互いに」


 なんというか、今更だけど人がいい。頼まれたら断れないタイプってやつだろうか。

 

「それはそうと、五十嵐くんは、なんであんな上手くピアノが弾けるんですか? 小さい頃から習ってたんですか?」

「なんでって言われても。まあ確かに小さい頃から教わったから……」

「やっぱり。ピアノの先生って優しそうなイメージあるんですが、やっぱりそうでした?」

「いや、俺は母親から……。といか、母親がピアノ教師だったんだ」

「へえ」


  そうか、お母さんから教わったんだ。実の親からなら結構厳しかったかもしれない。泣かされたりとか。私と弟とお父さんのように。


 ちょっと昔のことを考えて黙り込んでしまった私をいぶかしむように「四谷さん?」と彼が声をかけた。


「あ、ごめん、なんでもないです。……あ! そうだ、これを絶対聞いとけって言われたんだ! 五十嵐くんって彼女いるんですか?」

「へ?」

「もし彼女がいたら、ピアノ室みたいなとこで二人きりでいたら彼女が絶対不快に思うだろうからって、友達に言われて。私としては、もし彼女がいる場合でも見放されると困るのでそこはどうにか要相談、みたいな感じにしてもらいたいのですが……」


 五十嵐くんの彼女がアユみたいなタイプだったら困るから、もしいる場合はほんともう彼女にも同席してもらうとか、なんなら「何も起こりません」的な念書書いてもいいし、それか責任とって誰か他のピアノ師匠をあてがってもらうとか。念書とか責任とかなんだか自分でもアレだとは思うけれども。


「いないけど」

「ほんとですか?」


 私の杞憂はあっさり打破された。

 しかし、私の判断基準は当てにはならないが、師匠はイマドキ男子風でかっこいいんじゃないかなと思うんだけど。女の子と喋れない風でもなさそうだし。もてないのかな。まあいいや、本人がいないと言うなら問題ない。


「でも言われてみれば、確かにああいう密室で二人きりって問題あるのかも」

「大丈夫! 彼女がいないのなら何も問題ありません」

「いや、そういうことじゃなくて」

「できれば私が80番をマスターするまで彼女は作らないでくださいね」

「んな勝手な……。いや、そうじゃなくて」


 そんな会話をしているうちに、私はカレーを食べ終わったので、「じゃ! 私このあとバイトだから、また来週よろしくお願いします!」とさっさと席を立って学食を後にした。



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