Lesson3 ピアノ男子はどんな人
小学校の先生になるにはピアノが弾けなければいけない。
私はピアノが弾けないさあ困った。
すると弾ける人が目の前に現れた。
ちょいとアナタ、私にピアノを教えてください!
早速その彼、五十嵐くんに毎週水曜に教えてもらうことになった。 ←イマココ
***
「それで、誰に教えてもらうことになったって?」
木曜の2限のゼミが終わって、学食で昼食を取りながらアユが聞いてきた。
初レッスンは昨日だったわけだが、強引にレッスンを交渉したのは先週水曜で、翌木曜は本来ならゼミの日だったが教授の都合で休講だった。なので、友人らに詳しい話をするのは今日が初めてである。
「数学科の4年生の五十嵐くんって人」
「初対面だったんでしょ? よく頼んだねえ」
『本日の定食』を食べながら葉子ちゃんが若干呆れ気味に言う。
「さすがはことり、死活問題になると大胆」
ちなみにアユはカツカレーで、私はただのカレー。カツカレーはただのカレーよりも150円も高いのだ。
アユがこれみよがしにカツを食べながら言う。一切れでいいから分けてほしい。
「ていうか数学科? 数学科がなんでピアノ室でピアノ弾いてるの」
「通りかかって寄ってみたら空いてたから弾いてみたって」
「何その三段論法みたいなの。いやこの場合四段? ……それであとは? 数学科の4年ってことしか聞いてないの?」
「いやあ、とにかく教えてもらわないとっていう気持ちだけが急いじゃって」
「ことちゃん、仮にも狭い密室によく知らない男の子と二人きりになるなんて。もっと危機感持たないと」
言われてみればそうだったんだろうか。でも、結果オーライだ。きっと彼はいい人だろう。昨日のあれで、呆れられるかと思ったけれど結局引き受けてくれることになったし。なんだかんだと丁寧に教えてくれた。ほとんどピアノ触らなかったけどね。
「じゃあ来週いろいろ聞いてくるよ。聞きたいことあったらメモしといて」
「なんで私が聞くことあるのよ。あんたでしょうが聞いとくべきなのは」
とか言いつつ、アユはカレーを食べていた手を止めると、バッグからごそごそと手帳を取り出し後ろ側から1枚破って「いま知ってることは名前と学年と専攻とケー番・メアドよね」とぶつぶつ確認しつつ、いろいろ箇条書きし出した。
・郵便番号、住所、電話番号
・生年月日
・趣味、特技、資格
「ねえ、履歴書みたいになってるよ。別にどれも要らなくない?」
それもそうか、とアユはその上に大きくバツを書いた。消して書き直す気はないらしい。そして更に書いていく。よく考えつくもんだ。
・就職が決まってるのか ←じゃないとヨユーがないかも
・所属部活もしくはサークル ←これはどうでもいいかも
・ピアノ歴 ←きちんとことりにピアノを教えられるのか???
所属サークルはどうでもいいけど、確かに就活をしているようだったら悪いかもしれない。と思っていると、最後の一文に目がいった。
・カノジョの有無
「なにこれ彼女の有無って。こんなの必要?」
そこはプライベートな部分じゃないだろうか。ていうか、名前と学科と連絡先以上に知らなければならないことなんてあるのか。会うのは大学内でだけだろうし。
「アホねえ、結構重要でしょ。もし彼女がいたら自分の彼がピアノ室で他の女の子と二人きりなんていい気分じゃないでしょうが」
私だったら絶対やだもんね、とアユが鼻息荒く言う。ちなみにアユには結構年の離れた彼氏がいて、葉子ちゃんには腐れ縁的友達以上恋人未満(←本人が言うには)ボーイフレンドがいる。リア充さんたちです。爆発しろ。
しかしそうかそういうものか。彼氏いない歴21年なので、どうもそういった男女の機微はわからない。しかしそうかそういうものか。実感したので2回思ってみる。
「もし彼女がいたらどうすればいいんだろう?」
「ま、そこは五十嵐くんとやらと相談したら? 心の広い彼女かもしれないし。そもそもいるかもわかんないんだし。見た目どうなの。かっこいい?」
「見た目……」
私は、ピアノの師匠としての五十嵐くんしか見ていなかったし、親しい異性の友人なんていないから近頃の男子のイケメン基準が若干わからない。それでも懸命に彼のルックスを思い出す。
「普通にかっこいいんじゃないかなあ。背は高かったよ。うちの弟も高いんだけど大体弟と同じぐらいだった。うーん、彼女かあ。いるかもしれないな。いたら問題あるかな。いやでもほんといい人っぽいから何とかなるかも。昨日も楽譜読めないから、バイエルにいっぱいドレミふってもらっちゃった」
その間に鍵盤を見るフリして少し居眠りしていたことは、彼にもこの目の前の友人らにも内緒だ。水曜も午後からおばちゃん相手の水中ウォーキングだからね。体力勝負なのだ。
「楽譜の読み方覚えなよ……ていうか、1年のときペーパーテストあったじゃん。あのとき問題にも出たでしょ」
「一夜漬けだもん。忘れちゃったよ」
「まったく、こんなんでどうやって小学校で音楽教える気だったのよ」
アユは呆れて言うが、じゃあ言わせてもらおう。
「アユなんか運動音痴じゃん。逆上がりもできないし、マットの後転だって曲がるし、しかも泳げないくせに、どうすんの。採用試験の二次は水泳あるんでしょ」
「体育なんて、できる子にお手本やらせるからいいのよ。それに私は25mなら死ぬ気でなんとか泳げますうー」
死ぬ気かい。
私たちの応酬を見て葉子ちゃんが笑う。それを見たアユが矛先を葉子ちゃんに変えた。
「笑ってるけどね、葉子ちゃんの図工のあの手のデッサン、ひどかったよ。ナスカの地上絵みたいだったじゃん。なんだっけあれ、そうハチドリ」
「ひ、ひどいアユちゃん。でも図工は3年生からは専科になるもん……」
そうなのだ。そこで私もすかさずアユに突っ込む。
「音楽だって大体3年生から専科でしょ。それに私の行く予定の学校は1年生から専科だよ。でもアユ、言っとくけど体育は専科はないからね」
「うるさいコネ入社め! 私はそんなのはどうとでもやってやる! 結婚して妊娠すればその期間は専任講師に替わってもらえるもん!」
「ながーい教師生活の間に妊娠期間がどんだけあると思ってるの。何人産む気」
「それよりもことりの字の汚さの方が問題ある!」
「私そこまで字汚くないよ。たとえ汚かったとしても残念、採用試験にペン字という科目はないのでしたー」
アユはきいっと歯ぎしりし、まだ何かを言いたそうにしていたが、そのうち冷静さを取り戻したらしく眉間を揉みほぐす。そしてふうっ、とため息をついきながらそっぽを向いてこぼした。
「私、自分の子ども絶対あんたたちには教えてもらいたくない。ピアノも弾けず、絵も下手、字も下手……」
「ちょっと待ってアユちゃん、私はちょっと絵が苦手なだけで、ピアノ弾けるし字だってキレイな方だよ」
葉子ちゃんが心外そうな顔をして反論するが、もうアユは取り合ってない。これみよがしにカツをスプーンでぶっ挿して私の目の前で大口開けて食べた。くそう。
小学校の教員を目指していても、現実はこんなものだ。教師が全員が全員、何もかもできるスーパーマンではない。けれど、私たちは子どもが好きだ。私は所属していないが、アユと葉子ちゃんは、大学の近所の小学校の子ども会活動を手伝うサークルに入っていて、そこで休日には子どもたちと泥だらけになって全力で遊んでいる。私もお手伝いとして、極たまに参加させてもらっているが、とっても楽しい。
私が小学校の教師になりたい理由はそれだけではないが。
ともかく、なると決めているのだ。