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Lesson2  ピアノ男子の初レッスン

 小学校の先生になるにはピアノが弾けなければいけない。

 私はピアノが弾けないさあ困った。

 すると弾ける人が目の前に現れた。

 ちょいとアナタ、私にピアノを教えてください! ←イマココ



***


 てっきりピアノが上手いイコール女の子、と勝手に思っていたので男子学生が出てきたことに若干驚いてしまった。今まで学科などで見たことない顔だ。こんな人同じ学科にいたっけかな? そう思いながらついじっと彼を見てしまう。なんだか目が赤いような。


「……え?」


 彼のポカンとした一声で、現実に帰る。そうだ、お願いしなければ!


「今日ここでこの時間にピアノを弾いているということは、あなたもこの時間は空いているということですか? お願いします、もし、もしも時間があるなら哀れな苦学生の私を助けると思ってどうかピアノを教えてくれませんか!? ちなみに謝礼は出せませんが!!」


 彼の腕を掴んで鬼のような形相でまくしたてる私の必死のお願いに、彼は長い沈黙のあと、言った。


「まずは、ちょっと座って話、しようか……」



 彼は五十嵐潤と名乗った。理工学部数学科の4年生だそうだ。


 この時間帯にピアノを弾いていたのは、私の推測通り空き時間だったかららしい。

 彼が言うには、ピアノ室の利用システムは知らなかったが、1限が終わったあとに、教育棟の傍を通ったら微かにピアノの音が聴こえてきて、行ってみたら音楽室がたまたま開いていて、他の部屋からもピアノが聴こえて来て(私が音楽室に入ったときには彼しかいなかったが、彼が入ったときには他の学生が練習していたのだろう)、関係者ではなかったがつい入って弾いてしまった、ということだった。


 なるほどというわけで、今度は私が彼に説明をした。

 自分は四谷よつやことりと言って文学部教育学科の4年生で、まだピアノ実技の単位が取れていないこと。できればなるべく早めに、なんとか年内に、とにかく卒業までにバイエル80番程度まで弾けなければならないこと。教えてもらえる友人が都合が合わずいないこと。お金のかかる教室には行けないこと。


 普通ならば、こんな会ったばかりの人間の頼まれごとなんか聞いてはくれないだろう。私もそんな簡単にはいかないだろうとはちょっと思っている。


 じっと、彼の答えを待っていると、彼は拳を顎にあててちょっと考えてからこちらを見た。


「引き受けてもいいよ。でも、とりあえず、まずは1回やってみてからでいいかな。俺も人に教えるのってやったことないし、無責任に引き受けて単位取れなかったら困るだろ」



***



 そんなわけで、約束を取り付けた翌週10時45分。……の少し前。通常は講義まっただ中の時間である。

 音楽室に来てみると、またもやCDピアノが聴こえてくる。おそらく彼だろう。そっと音のするピアノ室のドアの小さな窓から覗いてみるとやはりそうだった。しばしそのまま聴いてみる。

 うまいなあ。この曲、何か聴いたことある。なんて曲なんだろう。

 と、小さな窓ごしに彼と目が合い、慌ててドアを開けた。


「こんにちは」

「うん」

「今日はお試しとはいえ、とにかく無理なお願い聞いてくれてありがとう。よろしくお願いします」

「うん、よろしく」


 五十嵐くんは、ピアノ椅子から立って、丸椅子に移動した。

 ふと思って、訊いてみる。


「今の曲……なんて曲ですか? 聴いたことある」

「『亜麻色の髪の乙女』」

「え? えっと、島谷ひとみの?」

「ドビュッシー」

「え、洋楽?」


 ……なんか視線が冷たい。これ以上この話題はしない方がいいとみた。


「えっと、五十嵐くん、ピアノすごい上手いですよね。ずいぶん長く習っていたんですか?」


 話題を変えようと尋ねると、彼は一瞬黙り込んだ。


「うん……。いや、そういうわけでも……」


 どっちなんだ。なんだか歯切れが悪い。

 しかし、まあその辺はどうでもいいことにする。とにかく私がピアノを弾けるようにしてくれれば。




「えーと、とりあえず聞くけど、ほんとにピアノ触ったこともないわけ?」

「はい」


 アップライトピアノの前に、二人で座って、鍵盤を睨む。ピアノの真ん中らへんの正面で私がピアノ椅子に座って、彼は少し間をあけた左側で丸椅子に腰かけていた。正しいピアノレッスンの配置である。


「バイエル80番か……。うーん、とりあえず右手からいくか。じゃあとりあえずゆっくりでいいからドレミファソって弾いてみて」

「どれがドですか」

「そこからか…………」


 いやほんとすみません。確かに小学校のときに鍵盤ハーモニカを習ったはずなんだけれど、もうすっかり忘れました。

 ここかな? テキトーに鍵盤をひとつ押す。ポーンと音が鳴る。


「それファ」


 違いましたか。


「まあ、目のつけどころは悪くないけど」


 なんだ、目のつけどころって。

 五十嵐くんは、ピアノの蓋をあけた部分に書いてあるYAMAHAの文字の、Yの隣にあるAの前にある鍵盤を押した。ポーンと音が響く。


「ドはここ。ちなみにここが真ん中のドね。覚えて。あと2で弾かないで。1で弾いて」

「2? 2って何? 1って?」


 五十嵐くんは、ああそっか、とひとりごちで、自分の手を顔の前に広げると私に説明した。


「指使いのこと。親指が1で、人差し指が2、あとは順番に3、4、5。これは右手でも左手でも一緒だから。指使いは結構大事だよ。ドレミファソ、は右手なら1、2、3、4、5で弾いて、左手なら5、4、3、2、1で弾く。わかる?」


 わからん。


「ちょっと混乱しそうです……。お父さん指とかお母さん指、とかじゃダメなのかな?」


 五十嵐くんの首が下へ崩れた。


「いや、あの……音符の上に振るのに、お父さん指とかお母さん指とか書くスペースないし……ってマジメか俺……。ともかく、数字で慣れて。いや、まあいいや、その都度言うわ。

 とにかく弾いてみよう。クソ真面目に最初からやることないと思うけどまずは右手だけ、そうだな、とりあえずこれ、バイエル8番、右手だけ弾いてみて」


 ぱらぱら楽譜を見ながら、ある曲のところを指さされた。が、しかし、


「楽譜が読めないんですが」

「…………」


 沈黙が痛い。どうしようやっぱり無理って断られたら。でもお願い見捨てないで。どんな方法でもいいからとりあえず80番だけでも弾けるようにして!

 五十嵐くんは、しばし黙考してからおもむろに自分のバッグからルーズリーフを取り出し、なんか横線をいっぱい書きだした。あ、左利きなんだな。それをぼーっと見ていると、その線の上に音符を書いた。


「これ、さっき教えた真ん中のド。で、線間、線上、線間、線上、線間ってひとつずつ音があがってくから。80番だと一番高い音は……ソか。じゃあ、まずここまでだな。……ってなんか四谷さん全然わかってなさそうだけど」


 ルーズリーフを見ていた顔が私の方に向いている。


「あの、五十嵐くん……、あのですね、もう、楽譜に直接、ドとかレとか書いちゃって……ていうか、五十嵐くんに書いてもらっちゃって、いいかな?」

「…………」


 へらっと笑顔を作りつつ、続けて、いいともぉ~とか自分で言ってみる。沈黙の痛さにも慣れてきた!


 かくして、五十嵐くんは、黙々と私のバイエル教本に、ド、ミ、ド、ミ、ソ、ド、ド、ド、と書き込んでくれたのであった。


「いいのか……? こんなのが小学校の先生になっていいのか……?」


 なんかブツブツ言ってるし。


 結局この日は、来週練習するであろう数曲に彼がひたすらドレミを書き込んでもらうことで終わった。


 陽気がよかったので、それを眺めつつ居眠りしていたのは内緒である。



実際の採用試験は80番を弾くわけではなく、課題曲とかがあって、

それを弾くにはその程度の腕前がないと、という感じ……じゃないかな~、みたいな。

ことりは採用試験は受けませんが、単位(免許)を取るために技術が必須です。

でもまああくまでお話ですので、その辺はふわ~んと流してくださると助かります。

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