Lesson11 マイペース女子、連れ去られる
前期試験期間に突入した。しかし、前にも言った通り、私たち4年は順当に単位を取っていればほぼ試験は無い。が、卒論に向けてのプロット提出がこの日はあった。
いつもの如くアユと葉子ちゃんとつるんで教授の部屋にブツを提出し、学食に寄ると、五十嵐くんと後藤くんに遭遇した。彼らもゼミのレポートの提出日だったらしい。
「お噂はかねがね。いつもことりがお世話になってます」
アユがにこりとよそゆきの顔で挨拶する。この顔がクセモノなんだけど。後藤くんがちょっと顔をキリッとさせた。作ってるな。
「あ、後藤くん、ごめんなさい彼女たちはもう相手がそれぞれいますから」
「まだ何も言ってないけど!」
そこで五十嵐くんが、葉子ちゃんの顔を見てることに気付いた。だんだん笑いを堪えるような顔つきになっていく。あ、やばい。
「なるほどこれが付点音符……いてっ」
「さあて混む前にとっとと食べよう!」
素早く彼らの前にまわり込んでアユと葉子ちゃんの方を向きながら五十嵐くんの足をかかとで踏みつけ、空いてるテーブルにバッグを置く。葉子ちゃんは気づいていないようだ。芸能人とかヒトならまだしも音符に似てるなんて言うと怒りそうだからな。怒ると意外に怖いのだ。
折角なんだから一緒に食べようと後藤くんがうるさいので、アユと葉子ちゃんの了承を取り、みんなで食べることにした。
友人二人が夏メニューの冷やし中華を選ぶ中、もちろん私は不動のカレー。「え、またカレー?」と後藤くんが大袈裟に呆れるので、「カレーは夏のキャンプの定番メニューでしょう」と反論しておく。暑いときにはカレーだ。「ここはキャンプ場じゃないよ~」というツッコミが聞こえたが無視。
そんなこと言いつつも、自分もチキンカツカレーを頼んだ後藤くんが、友人らに話しかける。
「そういえば四谷ちゃんから聞いてくれた? 教育の未来の先生方がお時間取れるようになったら我々数学の一部男子と飲み会しようって話」
「全然」
「まったく」
即答する二人。当たり前だ。だって、
「話してないし」
「こっとりーん!!」
そう、そんな話はしていない。試験や実習でそれどころじゃないのだ。
しかしそんな私の細やかな気遣いにまったく気づかないらしいアユが呑気に言った。
「でもいいんじゃない飲み会。一日ぐらいそういうのあったって問題ないでしょ。ユッコとかマコちゃんとか薫ちゃんがことりの師匠のツテで合コンしたいって言ってたよ」
ユッコちゃんたちうんぬんは、同じ教育科の学生である。アユと葉子ちゃんはサークルも一緒だったりして私よりもっと親しい友人だけど。にしても合コンてなにさ。
「初耳なんだけど。なんでユッコちゃんたちが師匠のこと知ってるの?」
「たまたまことりたちのレッスンの様子見たことあるらしいよ。何やらピアノ漫才やってるって密かなウワサに」
五十嵐くんが、暑いときには熱いものだ、と頼んだ夏の激辛ラーメンをぶほっと喉に詰まらせた。「なにそのピアノ漫才って」
「ことりと五十嵐くんのやり取りが可笑しかったらしいよ。何がどうだったって憶えてるほどのことじゃないみたいだけど、何かの会話聞いてて外の通路でみんなで爆笑したとかなんとか……」
「…………」
「…………」
私も五十嵐くんも黙り込んだ。そんなに面白いことはやってないはずだ。我々は、少なくとも私は、超・真・剣に練習していたはずだ。
しかも、会話聞いてるって何。一応一部屋一部屋防音室なんだけど。そりゃ完全じゃないけど。ピアノも漏れ聞こえるけど。
「確かに四谷さん、ところどころで可笑しかったけど、俺もひとくくりなわけ?」
「えっ私が? 私のどこが?」
「四谷ちゃん、なんか面白いもんね。わかる」
けらけらと楽しそうに後藤くんが言って、じゃあ、飲み会開催ってことで連絡先を……とアユと葉子ちゃんにスマホを向けたが「あ、ことりに言ってくれればいいから」とすげなく断られていた。ざまを見ろ。
と、そこで思い出した。
「そうだ。連絡先と言えば、私 昨日ケータイを壊しまして。近々最安値のケータイを泣く泣く買うことになると思うからもう一度メアドとケー番を何かに書いてくれる?」
「え!? だから昨日ことりにメールしても返信なかったんだ!」
「あ、ごめん。急用だった?」
固定電話も引いていないが、普段あんまり電話もメールもやり取りしないので、1日2日ぐらいは大丈夫だろうと思っていた。
ライン? 何それ美味しいの? 私の機種は8年落ちですが何か?
「ていうか何でそんなに呑気なの。バックアップとか取ってないの?」
「20件ぐらいしかメモリ入ってないから大丈夫。すぐ再収集可能。元通り」
「20件!?」
「20件」
母と弟と妹と理事長先生とアユと葉子ちゃんとバイト先と五十嵐くんと高校の友達1人、中学の友達1人、大学の事務局と不動産屋と大家さん、これで13件。それからバイト先の人が2人ぐらいと、あとは誰というか何が入っていたっけ。
指を折って数えていると、五十嵐くんがしみじみ呟いた。
「俺、その中の貴重な1件なんだな……」
そんな話を聞きながら自分のスマホを操作して電話帳を呼び出していた葉子ちゃんが、『教育』とカテゴライズされた画面を私に見せる。そこには同じ学科の何人もの知ってる名前が羅列していた。
「入学したての頃に、やたらみんなでアドレスとか交換してたじゃない。ほらこれ。ことちゃんもしてなかったっけ?」
「実は私そこに混じってない。赤外線もよくわからなかったし何気にその交換集団から離れてた。用があったとしても葉子ちゃんたちに聞けば誰かしら連絡取れると思ってたし」
「私たちが電話帳がわりなの!?」
「ウケる! 超合理主義!」
葉子ちゃんが呆れ、後藤くんが手を叩いてうけてる中、五十嵐くんが問う。
「そもそもなんで壊れちゃったわけ」
「昨日気づいたら洗濯してた」
「ポケット確認しなよ!」とアユが叫ぶ。
「やっぱことりんおもしろい!」と後藤くんがさらに大笑いして、
「だからことりんはやめろと……」と私が半目でにらみ、みんなにギャーギャーと不本意にいじられているところで、
「ことり!」
名を呼ばれた。
一人の学生らしき男子が人波をかき分けてやってくる。それを見て私は瞠目する。
背が高いので結構目立つ。五十嵐くんも背は高いから同じぐらいだと思っていたが、実際見ると五十嵐くんよりもう少し高いことに気付いた。まだ成長期なのかこいつは。
そんなことよりも。
「ツバ……、なんでここに?」
驚いている私の様子などまるで無視し、翼は私の腕を取った。
よく見ると汗だくだ。
「お前なんでケータイ出ねえんだよ」
「え? あ、ごめん。昨日の朝洗濯して」
「は? 家行ってもいねえし、バイト先電話しても今日はシフトねえって言うし、大学なんかどこ探せばいいかわからねえし。でもまあわかりやすい場所にいてくれてよかったよ。とにかく行くぞ」
翼はそう言うと、私の荷物を取って立ち上がらせる。「え? どこに?」
「え? なに? 誰? ことり?」
あっけに取られているアユや五十嵐くんたちに翼は軽く頭を下げ、私を引っ張って学食の出口に向かっていってしまった。
よく考えると、ロクに説明もせず、トレーも片付けず、みんなにしてみれば誰だかわからない人物に拉致されたような状況だ。あとでメールすればいいか……と、ケータイはパーになったのだった。ああ無駄金が……いやまて、今はそんなことを考えてるところではない。
「ツバ、どうしたの? 何かあった?」
翼は、正門まで来るとやっと私の腕を放した。
「母さんが入院した」