枯れた花束と病棟
「あのおじいさん、少し変わっているんですよ」
何気ない、ニュースの無い様を語るような素っ気なさで看護師さんは言った。
彼女の眼の先には、この病棟の中では珍しくきっちりとした格好のおじいさん。
ブラウンのスーツを身にまとい、おしゃれなハットを被っている。右手には使いこんだような杖。左手には花束が握られていた。
「あのおじいさんね、いつもこのくらいの時間帯に、同じ格好で、同じ花束を持って何処かへ行くのよ」
「へえ」
「あたしさ、前気になって聞いてみたのよ。なんて言ったと思う?」
「さあ?」
「『面会予定があるんだ』って。あたし驚いて、面会予定があるか調べたもの。そうしたら、どこにもそんな予定入っていないの。おかしな話でしょ?」
「ええ、まあ」
「ホント、どこ行くんだろうね」
そう言いながら、看護師さんは伸びをする。
「さて、無駄話しちゃったね。ごめんね。それじゃ、あたしは仕事に行かなきゃ」
「頑張ってね」
「ええ。またね、少年」
手を振りながら、廊下を歩いて去って行く。
看護師さんの向かった方向は、さっきのおじいさんとは別の方向。
僕はおじいさんの向かった方向へ、くるりと体を向ける。
その廊下のさきの曲がり角で、後ろ姿が曲がるのを見た。
僕はなるべく音をたてない様、慎重に、かつ迅速に追いかけ、そしてようやく、おじいさんの後ろに追いついた。
以外にもおじいさんは足が速く、追いつくのには苦労した。
おじいさんは、なお病棟を進んでいく。
ここら辺は一応、僕も来た事があるから迷子にはならないだろう。それでも、無駄に広い病棟だ。油断はできない。
辺りの風景はだんだん無機質なコンクリートから暖かい色合いの空間に移り変わって行った。
おじいさんはまだ進む。
こんな場所まで来るのは、初めてだった。
壁には穴があいている。のぞきこむと、そこには黄金色の風景が広がっていた。
舞い落ちるたくさんの、イチョウの葉っぱ。それが道に広がり、絨毯のようだった。日差しは暖かく見える。その先のベンチに誰か二人が、とても幸せそうに座っているのが見えた気がした。
隣の穴は、どんなのだろう。好奇心に駆られて覗きこむと、季節が移り変わったようだ。
今度は、白い色に染まった冬。それなのに、なぜだかとても暖かく見えた。ベンチにはまた二人が座っている。
病棟の穴の向こうに世界が見える驚きに興奮していたせいか、僕は誰かにぶつかった。
ぶつかった?
その時ようやく気付いた。ぶつかったのは追いかけていたおじいさんだということに。
おじいさんはこちらを振り向く。そしてバッチリと目が合った。いや、合ってしまった。
やっちゃった!なんて思った時、おじいさんが口を開いた。
「おや、どうしたんだい? こんな奥ふかくまで来て」
「え、あ、いやあ、その」
以外にも、おじいさんの声は見た目と違い若かった。もちろん、話し方も。
「ああ、もしや君は僕を追いかけてきたのかい?」
そういっておじいさんは僕の目を覗きこんだ。まるで、答えを読み取られた気分だ。
「ははは、仕方がないな。気になるならついて来るかい? まあ、おおよそ、あの看護婦の命令か入れ知恵じゃあないかなと思うが」
そこまでばれていたんだ。
「さっき目を見たからね。わかるとも」
「へえ、おじいさんは超能力者か何か?」
「いいや、違うさ。ところで、ここの穴を覗いていただろう」
「……はい」
「いやあ、恥ずかしい物を見られてしまった。実はな、ここは僕の秘密の場所でな、人はやってこないからと勝手にいじらせて頂いたんだよ」
「そんなことしていいんですか?」
「あっ、いや、今のは内緒だぞ?」
おじいさんはお茶目に言った。
「……この穴はな、僕と妻の昔からの思い出を映しているんだ」
「映画みたいに?」
「ああ、合っているようで、少し違う」
僕は思わずおじいさんを見た。
「あれは、本当にあったことだから、病棟で見る様な映画とは違う。ここにあるのは本当の過去なんだ」
「うそでしょ?」
「いや、ほんとさ。その証拠に、また穴を見てみなさい。きっと僕と妻がすこし、年を取っているだろうから」
僕は少しだけ疑いを持ちながら、穴を覗く。
すると、季節はいつの間にか夏になっていた、木々の緑が眩しい。その先のベンチにはさっきと同じで二人が座っていた。よく見れば、なんだか遠目からでも少し老けた様に見える。
「どうだい?」
不意に、現実のおじいさんの声が語りかけて来た。
「本当なんですね」
「当り前さあ」
おじいさんは穏やかに笑いながら、さらに足を進めた。
僕も遅れないように、ついていく。
どのくらい歩いただろうか。
気が付けば、とても長い間歩いていた気がする。
後ろを振り返るのが少し怖くて、僕は前か、横にある穴だけを見て歩いていた。
おじいさんは、僕が穴を覗く度、待っていてくれる。
穴の中は、どんどん時間が過ぎていくようだ。いつの間にか、若かった二人も、気が付けばかなりの高齢になっていた。その途中、ベンチで指輪を渡したり、キスするシーンも見てしまった。
でも、おじいさんは気にしていないようなので、僕も見て見ぬふりをした。
あたりは、もうここがあの病棟だとは思えないぐらい、暖かく、優しい雰囲気の空間になっていた。
おじいさんの片手には、やはり花束を握っていた。しかし、少しだけ萎れているようにも見える。
不意に、おじいさんが足を止めた。あまりにも突然の停止だったので、ぶつかってしまいそうになった。
すると、おじいさんはくるりとこちらを振り返る。
「この穴が、最後だ」
そう言って指した所の穴より先には、確かに他の穴が見えなかった。
「見てごらん」
覗きこむ。
なんだか、他の穴と違い、この穴だけ躊躇われる雰囲気があった。
そこには、予想通り、と言うのに近い、薄暗い終わりがあった。
そこのベンチには、おばあさんは居なく、おじいさん一人だけだった。そのおじいさんも、泣いているようで、ずっと俯いたままだった。
「僕は、この後なベンチのそばで妻の好きだった花を見つけたんだ」
僕は、返事が出来なかった。
「それでな、その花の種を必死に手に入れて、そうして育てた。いつか、妻に再び会った時、渡せるようにと」
それなのに、と少し詰まっておじいさんは言った。
「なんでか、なかなか僕は死ねない。彼女にはまだ会えないんだ」
そう言った時の表情は、僕が今まで生きていた中で一度もした事の無い表情だった。長い間生きていたからだろうか、それとも、想像を絶するほどの悲しい事を体験したから表せる表情なのだろうか。なんて考えた。
「だからな、せめてもと病棟の中にこっそりと、妻との思い出を飾るスペースと、お墓を作ったんだ。まあ、このお墓もニセモノで、本物なんてずっと訪れていないんだがな」
「そうなんですか」
「ああ。さて、挨拶に行こうか」
最後は呟くように言って、おじいさんは足を踏み出した。
最後に着いた空間の終わりには、小さなお墓があった。
そこにはおじいさんが飾ったであろう、同じ花が他にもたくさんあった。
おじいさんは古い花束を脇に避けると、今日持ってきた花束をそっと置いた。
そして、手を合わせ目を閉じる。僕も同じようにした。直接は関係ないけれど、するべきだと思うから。
「そろそろだ」
ぽつりとおじいさんは言う。
「え? なにがですか」
もう僕にもわかっていた。ただそれが少し恐ろしくて、自分の口からは言えなかった。
「もうそろそろ、僕も妻の所へ行くんだよ」
「そんな」
「いや、これは僕がずっと望んでいた事なのだから、ようやくと言っても良い事なんだ」
穏やかに笑うおじいさん。
「すまんな、ここまで連れてきてしまったのに、送り届けられなくて」
「一緒に帰りませんか、看護婦さんも悲しみますよ」
「ああ、彼女には世話になったと伝えてくれないかな」
「嫌です、自分で言ってください」
「ほら、この花を一輪、あげるから。もちろん、種も付けて」
拒もうとする僕の手に、無理やり握らせるおじいさん。以外にもその力は強くて、拒めなかった。
結局花を貰ってしまった。
「帰り道は、反対側へ歩けば、すぐだから」
思わず、涙が出てしまう。
「それじゃあ気をつけてな。これから、頑張るんだよ」
そう言った瞬間だった。辺りが急に靄に包まれたかのように、白くなっていくのがわかった。
だけど、その先に、ふいにベンチが見えた気がした。そこには幸せそうに笑い合う二人の姿があった。
その後の事は詳しく覚えていない。
いつの間にか、元の病棟に僕は戻ってきていた。
無機質なコンクリートの壁もそのままだ。
だけれど、手には一輪の花と、種の入った袋が握られていた。
「やあ、少年。また会ったね」
突然話しかけてきたのは、原因を作った看護師さんだった。
「どうしたんだい、その花」
指差された先の花と、あのおじいさんについて僕は出来るだけ簡潔に、伝えた。
「そうかあ、そんな事があったんだねぇ」
「うん」
「ところで、その道はどこにあるんだい?」
「ここにあったはずなんだ」
僕は今いる場所を指差す。
「そんな場所、ないんだけどねえ」
そう言われて、「えっ」と振り返ると後ろにもどこにも、あの廊下は無かった。
「可笑しな話もあったもんだね」
看護婦さんは笑う。
「うそじゃないよ」
「わかっているとも。ここじゃあ、何があっても驚かないさ。なんて言ったって、病棟だからね」
まあ、確かに。思わずうなずく。
「それじゃあ、あたしはまだ仕事あるから。何かあったらまた今度ね」
手を振り、少し駆け足で去って行く。
「あ、種、よかったらあたしにも分けてよー!」
「もちろん!」
頷いて、手を振り返した。
看護婦さんは、またとても速いスピードで何処かへ行ってしまった。
こんな病棟で働くのだ、彼女たちは大変だろう。
僕は、握っていた花を見た。
とても綺麗な花だった。
あの場所にあった枯れた花束も元はこの花だったのだろ追うかと考えながら、種の袋をポケットにしまった。
さて、それじゃあ僕も戻ろうかな。
ずいぶんと歩いて、疲れてしまったよ。
ゆっくりと自分の病室のドアを閉じる。
不意に、あの時の暖かさが僕の部屋にもあった気がした。
「おやすみなさい」
ベッドに入り、飾った花を眺めながら僕は、眠りの底についた。
まぶたの裏には、枯れた花束ではなく、美しく咲いた花束を持っているおじいさんとおばあさんの笑顔があった。
こんにちは。
初めましての方は、初めまして。
罰歌です。
今回は、今温めている創作の一部のお話です。
舞台は、隔離病棟で、中はおかしな世界。外との交流は、面会のみという、謎の世界です。
もちろん、外には世界がありますが、そちらは崩壊を辿っているかのような世界です。
まあ、病棟はいわゆるシェルターのようで、そんな場所が舞台のお話を書けたらなぁ、と思い作りました。
一応、オムニバスも考えていたので、続くかもです(笑)
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。
今進めている、『「○○」と、「季節」。』シリーズも進めなきゃ秋もいつの間にか終わってしまうので、執筆に戻ります。
それでは、また(*´ω`*)