006
「さってと。悠麻、ところでお腹は空いてない?」
マティアスは、ふと思い出したかのように俺にそう言ってきた。
「お腹が空いてないかって……そんなことより魔術は教えてくれないのか?」
と、答えた瞬間だった。
辺りに響く腹が鳴る音。発生源はもちろん……
「ティア、大の大人が恥ずかしくないのか?」
「ちょっと悠麻!? 今のは明らかに君のだろ!」
ごまかし作戦は見事に失敗した。成功するとは思ってなかったけど。
「しかしまぁ……腹減ったな」
そういえば、確かに朝っぱらから走ってばかりで、食べ物なんて何も食ってなかった。
腹が鳴るのも頷ける。
「魔術だって体力は使うんだ。キチンとした体調を維持出来ない人に、僕は魔術を教えるつもりはないよ」
「え……でもさ、魔術とかで回復は出来ないのか?」
俺のイメージとしては、回復魔法とかで(この場合は魔術か)体力を回復! ってのがあるしな。
「はぁ……やっぱり基礎的なものすら知らないか」
知っている方が驚きだよ。
そうは思ったが、口には出さなかった。まだマティアスにも、俺が覚えている“知識”については話をしていないからだ。
「それはゆっくり説明するとして、どこかに食べに行こうか」
「食べに行こうか、ってな。俺は金は持ってないけど?」
金銭。これも悩みそうな問題だな。少なくとも、今までに使っていた通貨とは違うだろう。
この世界では、どんな通貨なのだろうか。
「もちろん、僕の奢りさ」
「それは有り難いな。ご馳走になるよ」
しばらくは、マティアスのお陰で苦労はしないかな。
これは嬉しい。
……批判を浴びようが、今はそれ以外に方法が見付からないのだから。
「それで、どこに行くん……だ……?」
「ゆ、悠麻!?」
あれ……急に力が抜けて……。
立っていられない……。
自分の体を支え切れず、視界がグラリと揺れる。
俺の意識はそこで途切れた。
「ククッ……いや、まさか自分で自分の疲労に気付いてないなんてねぇ」
「う、うるさいなぁ!」
マティアスが笑いを堪えて言ってきた。
自分でもそれなりにショックな事だっただけに、やっぱり恥ずかしいものがある。
「随分と必死だったんだねー。あんな出来損ないの影ども相手にさ」
「そんなに笑わないでくれよ……ティアにとっては“あんな”奴らかもしれないけど、俺からしたら充分危険な奴らなんだよ」
「ごめん、ごめん」
こう言ってはいるが、あんまり謝っているようには見えない。
やっぱり馬鹿にされてるような気がする。
「だって今時、あれくらいなら魔術の初歩を学んだだけで対処は出来るからさ……クッ」
ほらみろ、やっぱり馬鹿にされてる。笑いを止めさせるにはどうすれば良いのか……。
ダメだ、勝てる気がしない。 俺は今出来る最大の溜息をついた。
俺は意識が途絶えたあと、ものの数秒もしない内に覚醒した。
マティアスが回復魔術を使って、疲労を取り除いてくれたらしい。
彼の話では、恐らく緊張状態が解けて、意識してなかった疲労が一気に来たらしい。
それでなんとか、また動けるようになった俺はマティアスについて来て、小くて小綺麗なカフェに来ていた。店内の奥の方の席に座っているため、話は聞かれにくいだろう。
「気分はどう?」
席につくなり、こう聞かれた。心配をしてくれるのは、まぁ嬉しい。
「あ、あぁ……大丈夫。問題はないみたいだ。でも、体力は回復出来ないんじゃなかったのか?」
マティアスは確かに、さっきそう言ったはずだ。でも俺の身体は、疲れて倒れたとは思えないくらいピンピンしてる。
「ノンノン。確かに、さっき僕が使ったのは回復魔術さ。でも、あれで取り除いたのは悠麻の疲労感だけ」
疲労感だけ……? 体力の回復とは違うのか?
「どういうことだ……?」
もう少し詳しくして貰えないと……。
「回復魔術と言うのはね、出来る事が二つしかないんだ」
「たった、二つだけ?」
「そう。一つは心をリラックスさせる効果。もう一つは、傷を癒すものだ。悠麻に使ったのは、一つ目の方だね」
「それって体力を回復してるんじゃ……」
「違うって。例えば、今は悠麻から疲れている、という感覚はないよね?」
「ああ、ないな」
「でも、身体はまだ疲れたままなんだよ。試しに走ってみれば良い。きっとすぐに転ぶよ?」
「……遠慮しておく。つまり、身体にダメージがあるのに、それを無視している状態なのか」
「正解。傷も治す時も、同じだよ。部位によって、変わったりするけどね」
手を軽く動かしてみる。確かに、疲労感はないのに、どこか遅い動きをしている。
なんだが気持ち悪い。
「納得してくれたとこで、君の零式について教えておこうか。……あ、すみませーん。注文お願いします」
ちょうど通りかかったウエイトレスに、マティアスが声をかけた。
まだメニューすら見てなかった事に気付き、慌ててメニューを広げる、が…………字が読めない。
いままでに見たことがない……いや、俺の知らない言語だった。
「どうしろと……」
これでは、何がなんなのか良く分からない。
かろうじて商品を描いた絵があるから、それから推測するしかない。
これは思わない落とし穴だった……。
しかし、嫌なことは連続して怒るもの。
うなだれる俺の耳に、ウエイトレスの声が聞こえた。
全く知らない言葉で。
「お、おい、ティア!」
「ん? どうかした?
あ、僕はこれで」
マティアスの注文に返答するウエイトレス。でもやっぱり、俺が聞いたことのないものだった。
「悠麻も同じで良いよね?」
「あ、ああ」
ボーッとしていたせいか、思わず了承してしまった。
いや、まあ別に旨そうな絵だったし、嫌じゃないしな。
さて、だがここで避けては通れぬ問題が。
「ティア、あんたはどうして俺と会話が出来るんだ?」
「ん? なに言ってるの?
「会話だ。あんたは恐らく、俺とは違う言語を使ってるだろ」
「ああ、そのことか。なに、ちょっと知らない言語だったからね。翻訳の魔術を掛けてるんだ」
どうやら、その翻訳の魔術は俺とマティアスにしか掛かってないらしい。
だから、マティアス以外の人物とは俺は相手の言葉が理解出来ないし、俺の言葉は相手に理解されないらしい。
「なぁ、それってティア以外にも有効になるように出来ないのか?」
「出来なくはない、けど時間がかかるね」
いくらなんでも準備は必要、ってことか。
しかし、だとしたら本当に困るな……。
「とりあえず、今は代わりとして……はい、これ首にかけておきなよ」
そう言って手渡されたのは、雫の形をした水色の宝石……のようなものを、ネックレスにしたものだった。
「これは……?」
「僕の魔力を込めたアクセサリ。それを付けてる間は、翻訳は自動で対象を変えて会話出来るようにしてある」
「すごいな……これも魔術なのか」
鑑賞するだけでも相当価値がありそうだが、使わないわけにもいかない。
マティアスにお礼を言い、首にかけた。
「別段、変化はしないんだな」
「効果は会話の時にしか、現れないからね。あと、それの性能は流石に万全じゃない。
名前とかは聞きにくいと思う。僕に対して大丈夫だけどね」
どうやら、本当にただの翻訳のための道具らしい。
「さて、それじゃあ零式なんだけど」
「やっと本題かよ……」
「お待たせしましたー!」
やっと入れるかと思った本題。しかし、突然来たウエイトレスさんのおかげでまた中断をされた。
まぁ、だがマティアスのくれたアクセサリの効果はしっかりしているらしい。
「食べてから話そうか」
マティアスがそう提案してきた。
なんとなくやる気を削がれた俺もそれに同意し、食べ物――パンでイロイロな具材を挟んだもの――を口に入れる。
「旨いな……」
思った以上の美味しさだったために、腹の減っていた俺はとにかくその後は食べることに集中してしまっていた。