020
それからというもの、普段の基礎練習として、召喚練習の他に、早朝にランニングをするようになった。言わずもがな、ティアに指摘された体力面の補強をするためだ。ここ数日は家の中に例の獅子を召喚したままランニングに出かけるようにしている。それだけで体力の消耗が全然違う。
「よし、帰宅っ! 今日の分おしまい! ただいまー!」
そして扉を開けると、外出前に喚んでいた獅子が、遅いと言わんばかりにこちらを一瞥した。すぐにまたそっぽを向いてしまったが。
「なんでったってお前はそんなに俺に反抗的なんだ……」
「名前を付けてないからじゃない?」
「わあっ!?」
獅子の鼻をつつこうとしゃがんだら、不意に声がかかった。
マティアスではない。彼の姿はここのところ見ていない。自室にこもって何かをしているようだが、何をしているのか知ることは出来ない。
周りを見渡してみても、近くに誰かが居るような様子はない。
それに、この声は――
「レイ……?」
「久しぶりだね。何週間くらいぶりだろう? でもちゃんと毎日訓練はしてるようだね。感心感心。こんな可愛い弟子をほっぽらかしてマティアスの馬鹿は何やってんだか」
このテンション、間違いない……。
「ティアは俺の力に関するところを調べてくれてるみたい」
「ふーん。奴なりに悠麻のこと考えてるんだね」
「そうみたい」
「俺が居る限り無駄な努力だけどね。さて、早速名前を付けようか」
「今!?」
「今」
話が逸れてたから忘れそうだった。彼の言うことから察するに、コイツを使役するには名前が必要ということか。
「勘だけは一丁前だね」
「だけはって失礼だな」
「はははっ。ごめんよ」
「ていうか、名前を付けなきゃ使役出来ないってどういうことなんだ?」
「いい質問だ。まず、悠麻は召喚獣がどこから来るのか考えたことが有るかい?」
「召喚獣が……?」
しかしレイの言うことは当たり前のことだとも思う。“召喚”の根本的なイメージは、別の場所に居る召喚対象を術者の元へテレポートさせるものなのだから。
召喚獣がどこから来るか。思いつく限りでは、亜空間や別世界、もしくは同じ世界の別の場所。そんなところではないのだろうか。
「うん、イイ線行ってる。行ってるんだけど、違う」
「えっ!?」
「悠麻、キミだよ」
2人の間に沈黙が走る。先にそれを破ったのはレイの方だった。
「聞いてる?」
「…………あっ、ごめん。あまりに突拍子も無いと思っちゃって……」
「うん、でもそうなんだ。正当な魔術での召喚は悠麻が考えたのからで合ってるんだけど、零式はその辺の根本が完全に違うからね」
「零……式…………」
「マティアスの野郎がいくら必死になって調べたって、文献に残らない事実というものも有る。特に零式に関しては。その辺、悠麻が知らなくても無理はない」
「でも……」
でも、自分に関わること――自分のことなのだ。“知らない”で済まされる事ばかりではない。
「だからこれから俺が教えてあげるんでしょ。零式に関しては俺のほうがマティアスより何枚も上手なんだから」
「いいの……?」
「俺以外に誰かが教えられると?」
「いや確かにそうだけど……」
「なら大人しく教わっとけ。こちとらこれでも人に教える仕事してんだ」
それ以上は何も言えなかった。レイも言ってこなかった。だからその話はそこで打ち切ることになった。
「とりあえず、悠麻から召喚獣が来る、ってとこまでは言ったよね?」
「一応聞いた」
「ってことはどういうことか分かる?」
「そんな大雑把に言われても困るがな………………イメージとしてはだけど、“俺が造る”……的な?」
「的な」
「的な!?」
「ほんとそんな的なだよ。術者が想像して創造する。それが零式流の“召喚”なんだ」
「じゃあ、完全に新しい生き物なんだ」
その一言が、レイにとって衝撃だったらしい。
「悠麻……その台詞まで取っちゃうかぁ……」
「レイ?」
「いや全くその通りさ。だからこそ、魔術で喚ぶ召喚獣には有るけど零式の召喚獣には無い物があるんだけど……分かるかな?」
魔術での召喚獣には有るが零式には無い。そんなもの、さっきレイが言っていたじゃないか。
「それが、名前なんだね」
「覚えてたか……まぁ、より正確には“真名”だね」
「真名?」
「読んで字の如し。真の名。そのモノの本当の名前。俺達が当たり前のように呼ぶもの。それがコイツには無いだろ?」
あんぐりと口を開けて欠伸をしてる獅子を見遣る。それに気付いたのか、向こうも一瞬だけ視線を合わせてきた。
「確かに名前は知らなかったけど……俺が知らないだけかと思ってた……」
「うん、そう思うのも無理はないね。でも名前が無いから、実は今コイツの存在はすごく不安定で、悠麻の言うことを聞こうにも聞けない。ついでに言うなら、いつ消滅してもおかしくないんだ」
「いッ!?」
こんなにもとぼけた奴なのに、そんな危機に瀕していたなんて。思いの外深刻だった事態に、俺は思わず息を呑む。
「まぁまだ間に合うさ。こうしてまだここで暢気に欠伸してるんだから」
「よかった……」
「そいや俺が最初に呼んだのもこんなのだったなぁ……」
「そういえば、ティアよりレイが零式に関しては上って言ってたけど、レイも零式なのか?」
今まで違和感を覚えなかったほうが不思議なことだけど、そのことを俺はまだ知らなかった。ティア以上に零式についてこんなにも詳しく知っていて尚、零式ではないと言われてもあまり説得力は無いのだが――
「まぁ、そうだね」
彼はあっさり認めた。すると必然的に思い浮かぶことを言おうと俺は口を開いた。
「じゃあレイは――」
「始まりのとは違う。彼らと俺を比べちゃいけないよ。比べものになんかならないんだから。そもそも比べるってこと自体が失礼だ」
「そんなに……」
「まぁ、あんましあいつらのこた気にすんな。それで身動きとれなくなるのが一番よくない」
「そう……だね。うん、そうする」
とにかく前に進まねば。そのためにはまず――
「んで、コイツの名前、か……」
なんだかんだで堂々巡りだなこんちくしょう。
内心悪態をつきつつ、もう一度獅子を見遣る。しかし相変わらず大あくび。眠いのももしかして支配が決定的ではないからだろうか。
「ま、この場ささっと決めてぱぱっとネーミングしても多少の延命にしかならないからね。少し頭ひねって考えな」
「え、でも……」
「あぁ、こいつの寿命は悠麻の精神力次第。悠麻の頑張り次第では三ヶ月くらいまでは頑張れるんじゃない?」
「じゃあ“いつ消えても”とか言うなよな……」
なんだ、一気に力が抜けた。そんなことならそこまで焦る必要は無いな。
そう思ったのも束の間。レイの一言で俺の緊張感はまたも引き戻されることになる。
「逆に言えば、今日中に消えてもおかしくないんだぜ?」
「何だよそれ……」
「まぁ“気をしっかりもて”ってところかなぁ」
「うぅ……」
「マティアスにも相談してみるこったね。んじゃ、俺はそろそろ時間だからおさらばするよ。じゃあね!」
「え? あ、ちょ、レイ!?」
声をかけてももう返事は無く、ただ、耳元には爆音を聞いた後のような耳鳴りに近い浮遊感が残っていた。
結局のところ一体何が一番言いたかったのだろうとか思ったけど、とにかく、俺さえしっかりしてればこいつもすぐには消えないことが分かったから、とりあえず送還してから、自室ヘと向かう。頭の整理をしないとパンクしてしまいそうだ。
「…………なんかやることが増えるだけ増えたなぁ……」
言いながら後頭部を軽く掻いて、まずは召喚獣の名付けから始めないといけないと、若干忘れそうになったことを慌ててから、このところ引きこもり気味の師匠をいかにして部屋から引きずり出すかに頭を捻ることにした。