014
鬱蒼と茂る緑を目の前に、俺たちは演習場の外壁の側にいた。
「…………遅い!」
隣にリシェルがいるがそんなことは関係ない。俺の師匠……マティアスがかれこれ一時間は待っているというのに、姿すら現さないのだから。
さすがに不満の一つも言いたくはなる。
「うるさいわね、静かにしてくれない?」
そうぼやく彼女自身も、実はさっきから手を開いたり閉じたりしている。
それなりに苛立っているはずだ。
おまけに時々とはいえ、かなり濃い魔力が手に集まっている。
それを軽く恐ろしいと思うとともに、俺自身もそれくらいは分かるようになったということを実感する。
「……あー……なんか」
「なによ?」
やけにトゲトゲしいな、おい。
「暴れたくなってきた」
「はい?」
「ちょっと思いっ切り魔術をぶっ放してみたいなと」
俺がそう零すと、リシェルは盛大に溜息をついた。
幸せが逃げるんじゃないか?
そんなくだらないことを考えているうちに、リシェルは俺から距離をとっていた。
「……どうして距離をとるんだよ」
「どうしてって、当然じゃない。いまのあなた、ただの危険人物だとは思えないの?」
たしかに周りには人影が見当たらないとは言え、いきなり暴れたいというのは変人にしか見えない。
実は暴れたい、というのは日々のストレス発散も兼ねているので、割と真面目にしたいと思っていたりはする。
しかし、リシェルのいうように見境なくやれば確実に危険人物、もしくはその予備軍程度には見られるかもしれない。
もっとも、先程まで手に魔力を集めたり霧散させていたりする人にはあまり言われたくないが。
言ったら言ったで、なにかされそうだからやめておく。
ところでどうしてこんなことですら悩むのかというと、どこぞの魔術師様は、俺が生きることには困らない最低限の知識は与えてくれたが、一般常識なことはほとんど教えてもらってない。
マティアス自身がその辺の常識に触れていない、という懸念がないわけではないので今後教えてくれるのかは解らない。
この場合だと、やっぱり気になるのは街中での魔術使用である。
どこまでなら許されるのか。
下手に使って、取り締まられたりするのは勘弁したい。
右手をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、リシェルに声を掛けられた。
学院によらないか、と。
「いや、一応待ってないといけないしさ」
「当の本人はいまだに姿どころか、なにもコンタクトを取ってこないじゃない。いまさら律儀に待つ必要もないと思うけど?」
一理あるな。というか、むしろ行ってもいいのだが、なんとなく踏ん切りがつかない。
不用意に出歩いてマティアスと会えなくなるのは避けたい。
「でもなぁ……」
「伝声鳥を届けられるほどの魔術師なら、どこにいようと直ぐに見付かるわよ」
「そうなのか?」
そういえば、あの伝声鳥とやらを見たときのリシェルはかなり驚いていたな。
俺はてっきり、あの鳥があそこまでこれたのは集合場所を指定していたからだと思ったのだが、案外そうでもないらしい。
「よく考えてもみなさい。
あなたは魔力を感じることは出来るわよね?」
「ああ。さっきも、お前が集めていたのくらいは分かったけど?」
あれ、なんかリシェルが固まった?
もしかして、また何かやっちまった?
「…………あの魔力に気付いた?
かなり小さく圧縮したうえに、わかりにくいように集めたはず。どうして?
規格外とは言え、属性付与すら出来ない一般人に出来る芸当じゃない。それに私が失敗するようなことでもないはず。
いや、もしかしたら……」
「なぁ、リシェル。さっきからなにをぶつくさ言ってんだ?」
「あ、いえ。なんでもないわ」
「そうか……」
なにやらぶつくさ言っていたけど、なんだったんだ?
と、思ったらまたぶつくさし始めたな。
「おい、リシェル?」
「あっ、ご、ごめんなさい。そ、それでなにかしら?」
ずいぶんと焦るな。
「結局どうするんだ?
学院に行くのか、ここで待ったままでいるのか」
「き、気が変わったわ、あなたが決めて」
いや、俺が決めろって言われてもな。最初は、金もあるし演習場でブースをどこか借りようとしてたんだよな。
でも学院ってのも気になる。マティアスも薦めてきたしな。
さて、どうしようか。
あぁ、でももしかしたら学院は止めた方がいいかもしれない。なにせ物珍しさ満載の零式の俺だ。
自慢にはまったくならないが、マティアスの言うことを信じれば、知られるとなかなか大変なことになるのだろう。もしかしたら勘が良い人もいるかもしれないし、気付かれる率は減らしたい。
だったら演習場でブースを借りるか。
マティアスは……リシェルがいうように、なんだかんだで見つけてきそうだしな。
そんなこんなを考え終わって、リシェルに伝えようとしたのだが、それを遮られた。
「ねぇユウマ」
「ん? どうかしたか?」
「あなたって、もしかして……」
言うのを躊躇っている?
なにか言いにくいことなのか。
リシェルの問いの続きを待っていた俺の耳に届いたのは、少し意外な人物の声だった。
「いやー、遅れてごめんね」
「あ、ティア!」
「待ったかい? 悠真」
「おまっ……あれからどんだけ経ってると思ってんだ」
「ん? あぁ、ごめん、ごめん。少し厄介なとこに行っててね。時間の感覚がイマイチわからないんだ」
……大丈夫か、それ?
でもってリシェルはなんか黙ったまんまだし。
「おーい、リシェル? ちゃんと見えてるか?」
「……あぁ、なんだか納得だわ。まさかディンケラ様に教えを仰いでいるとは思わなかった」
「リシェルはティアのことを知ってるのか?」
「知ってるもなにも、フェイブル魔術学院で知らない生徒はいないわ。ねぇ、ディンケラ様?」
わぉ、俺の師匠は自分で言うほど知られてないわけでもないらしい。
少しばかり、マティアスに対する認識を改める。
「あぁ、きみはフェイブルの子か。それなら知っていても可笑しくはないね。よく僕も行くとこだし」
よく行く?
希代の魔術師でありながら、一般常識から欠けた人間がか?
「そこ、お前みたいなのが行く場所なのか?」
「少し依頼されることがあるくらいだよ。今回みたいにね」
マティアスはやれやれと言って肩を下ろした。
どうやら、よくされる依頼と言うのは簡単なものではなく、ある程度面倒なものらしい。
「じゃあ、今回の依頼はなんなんだよ」
さしてろくに考えることもなく、軽く聞いた。もしかしたら、それが間違いだったのかもしれない。
「ただの害虫駆除さ。こんな感じのね」
にこりと笑うマティアスが、今回ばかりは恐ろしくみえた。
それは俺だけではなく、となりのリシェルもそうだろう。
気付けば、俺たちはいつしか見たことのある路地裏に立っていた。
「さて、馬鹿な魔術師のお出ましだ。悠真、今度くらいは自分の身は自分で守りなよ?」
どうやら、俺の師匠は鬼畜らしい。
目の前を埋め尽くし、若干の懐かしさを感じさせる影ども目の前にこんなことを言うのだから。
……無事に生きてられるか?