EP 2
開幕の豊田スタジアムと、スーパーカーより優先すべき「さわやか」の整理券
「うわぁ……マジでフェラーリとかポルシェばっかじゃねえか」
愛知県・豊田スタジアムの巨大駐車場。
『ジャパンカップ』のスタート地点に指定されたそこは、異様な熱気に包まれていた。
色とりどりの高級スポーツカーや、スポンサーロゴがびっしり貼られたプロ仕様のラリーカーが低い排気音を轟かせている。
その集団の最後尾。
ルーフボックスにキャンプ道具を積み、後部座席にクーラーボックスと巨大な水筒を備えた少し年季の入ったトヨタ・エスティマの中で、信長は窓の外を見て顔を引きつらせていた。
「おい親父、やっぱり場違いだって! みんなガチのレーサーだぞ!」
「ガッハッハ! 土建屋の車もエスティマも、走れば同じ四輪車だ! 気にすんな!」
助手席で腕を組んで笑う鷹人の横で、運転席の恵はマイペースにカーナビを操作していた。
「えーっと、ここから静岡に入って……よし。11時の開店前には着けそうね」
その時、エスティマの横に、ギラギラに磨き上げられた真っ赤なイタリア製スーパーカーが滑り込んできた。
ウィンドウスモークが下がり、サングラスをかけたキザな男が鼻で笑いかけてくる。
「おいおい、おばちゃん。ここはスーパーの駐車場じゃないぜ? ファミリーカーで迷い込んだなら、とっととお帰り願いな。邪魔だからよ」
男の挑発に、信長がムッと身を乗り出そうとした瞬間。
「あら、ごめんなさいねえ。でも大丈夫よ、ウチの車、荷物いっぱい積めるから」
恵は全く意に介さず、にっこりと笑って窓を閉めた。
相手の「レースの邪魔」という嫌味を、「買い物の邪魔」だと完全に勘違いしている。最強のオカンスキル「スルー」が発動していた。
「……ママー、あのあかいおくるま、うるさいねー」
「そうねえ、千姫。静かに寝てなさいね」
午前9時。大会のスタートを告げる花火が打ち上がった。
鼓膜を揺らす爆音とともに、スポーツカー軍団が一斉に猛ダッシュで飛び出していく。
「ヒャッハー! 優勝賞金とハワイは俺のもんだぜ!」
先ほどの赤いスーパーカーも、タイヤから白煙を上げて豪快に飛び出していった。
一方のエスティマは、恵の「はいはい、安全運転で行きますよ」という声とともに、まるで近所のイオンに向かうようなスムーズな発進を見せた。
レースは愛知を抜け、静岡の県境にある峠道へと差し掛かった。
直線では圧倒的なスピードを見せていたスーパーカー勢だったが、曲がりくねった山道に入ると、車高の低さとパワーを持て余し、途端にペースが落ち始めた。
「チッ、この道、細え上にカーブがキツすぎるぜ……!」
赤いスーパーカーの男が冷や汗を流しながらブレーキを踏みまくっていると、後ろから信じられないスピードで迫ってくる白い影があった。
「なっ!? さっきのファミリーカー!?」
「ちょっとお父さん、前の赤い車、ブレーキ踏みすぎじゃない? これじゃ『さわやか』の開店待ちに巻き込まれちゃうわ!」
「おう母さん、サクッと抜いいちまえ! 信長の腹が減ってグーグー鳴ってるぞ!」
恵はハンドルを軽く握り直し、少しだけ目を細めた。
それは、給食の時間が迫る中、巨大な鍋で1000人分のカレーをかき混ぜる時と同じ、プロフェッショナルの目だった。
「行くわよ。千姫の苺ミルク、こぼさないようにね」
急カーブが連続する下り坂。
赤いスーパーカーが恐る恐る減速した瞬間、エスティマはアウト側のわずかな隙間へ滑り込んだ。
ブレーキペダルを踏む力と、ハンドルの切り角。
20年間、対向車とすれ違うのも困難な田舎の農道を、部活帰りの子供たちを乗せて毎日走破してきた恵にとって、舗装された2車線の峠道など「だだっ広い運動場」に等しかった。
「うおっ!? アウトから!? 馬鹿な、その車高でそんな速度で突っ込んだら吹っ飛ぶぞ!」
男の悲鳴をよそに、エスティマはロール(車体の傾き)を極限まで抑えた滑らかな荷重移動で、スリップ音一つ立てずにコーナーを駆け抜けた。鷹人がこっそり施していたサスペンションの補強も完璧に機能している。
「あらよっと。……あー、やっぱり農道のトラクター避けるよりずっと楽ね」
恵は鼻歌交じりに、あっという間にスーパーカーをバックミラーの彼方へと置き去りにした。
後部座席では、千姫が苺ミルクのパックを両手で持ったまま、スヤスヤと眠り続けている。G(重力)すら感じさせない、神がかったドライビングだった。
「……すげえ、マジかよ母ちゃん」
「ふふん。伊達に毎日、あんたたちを山の下から上まで送迎してないわよ」
そして午前10時45分。
エスティマは、静岡県内に展開する炭焼きレストラン『さわやか』の駐車場へ、見事にポールトゥウィン(一番乗り)を決めた。
「よしっ! 整理券1番ゲットよ!」
ジュウウウウウウウッ!
店内に入り、案内されたテーブルで待つこと数分。
信長の目の前に、熱々に熱された鉄板に乗った巨大な『げんこつハンバーグ』が運ばれてきた。
店員が目の前でハンバーグを半分にカットし、鉄板に押し付ける。途端に、溢れ出す肉汁とオニオンソースの香ばしい匂いが弾けた。
「うおおおおっ……!!」
信長はたまらずフォークを突き立て、大きな一口を放り込む。
牛肉100%の弾力ある肉の旨味が、口いっぱいに広がった。
「美味えっ!! なんだこれ、すっげえ肉々しい! ご飯が止まんねえ!!」
「ゆっくり食え信長。ご飯はおかわり自由だからな。……おっ、千姫もキッズプレートのハンバーグ食べるか?」
「ちーちゃん、おにくしゅき! おいしー!」
家族4人で鉄板を囲み、笑顔で肉を頬張る。
昨日まで、野球の敗北でこの世の終わりのような顔をしていた信長の顔には、年相応の無邪気な笑みが戻っていた。
「ふふ、やっぱり男の子は、美味しいお肉を食べれば元気が出るのよね」
恵は自分のハンバーグを切り分けながら、嬉しそうに微笑んだ。
外の道路では、今頃になって赤いスーパーカーがエンジン音を響かせて走り去っていくが、佐藤家の誰も、もうそんなことは気にしていなかった。
ジャパンカップ・第1チェックポイント、静岡県。
佐藤家、絶品ハンバーグとともに無事クリア!




