第七話 明応八年、宣言
この作品は、歴史的な史実とは別次元の物語です。
妄想的で非常識、そして変態的な展開ではありますが、
今後ともよろしくお願いいたします。
十歳になった。毎日の朝練と工房での鍛冶手伝いが日課だ。
作業は全てこなせるのだが、出来すぎは兄との関係が微妙になる。だから俺は、親父に数年先には鍛冶の武者修行に出ると宣言している。
相模周辺には相州伝の流れを受け継ぐ鍛冶師が存在することを、親父も知っている。
親父曰く、「侍じゃーねーのに、武者修行か、好きにしろ! 鍛冶場は刀三郎がいるから問題ない。」
俺はまず、近隣の情報を収集しようと思っている。俺的には北条家(現在は伊勢家)あたりに拠点を置いて活動する計画だ。自分の頭の中にある情報と、生の情報をすり合わせて具体的な計画を作成していく。
朝孝(卜伝)が新右衛門高幹として十六歳で武者修行に出るまでの約六年、資金を稼ぐことが日々の暮らしだった。
一年目はあえて、親父たちがやらない仕事に専念した。包丁や鍋などの調理用品、そして農機具を含め、修理や下取り、販売だ! 現代の主流製品だから、材質は別でも使いやすいラインナップだ。
最近は小田原から流れてくる小田原商人の又平さんにも卸している。
鍛冶修行の宣言をしてから、自宅工房の材料や器具を自分で用意した。
初めの資金援助はお袋様から貸してもらい、それ以降は自分で経営管理し、数カ月で援助金を返済できた。
何といっても、お袋も俺の三徳包丁を愛用している。売れるに決まっている。
十二歳になる頃には、数年暮らせる資金が貯まった。今は、日に一時間ほど商品を数点作り、小田原商人の又平さんに卸すだけで資金がどんどん増えていく生活だ。
最近、婆の筋力が衰え、井戸の水くみが億劫になり、俺の仕事に水くみが加わった。本来は姉の仕事だったはずが、俺に命令して今に至るわけだ。
ちょっと癪に障ったので、鋳物ではないが転生もの定番のガチャポンプを作り、井戸に設置した。婆や母ちゃんと姉に披露し、使い方を説明する。呼び水を入れ、婆がハンドルを上下すると、水が勢い良く流れ、感動していた。
桶の水も問題なく使用できることを確認した姉も母ちゃんも婆も、安心していた。
翌日、週一で来る又平さんに姉がガチャポンプを自慢し、実演して見せたらしい。すると又平さんは工房に飛んできて、「売ってくれ!」の一点張りだ。俺が「売り物ではない」と言うと、少し落胆して落ち着いたところで、話を始めた。
これは家族、婆のために考えた物で、売る前提で作らなかったことを伝え、たとえ売るとしても鍛冶屋が作ると高額になり普及しないことを伝えた。鋳物で大量に作れるなら別だが、購入者が限定され儲からないと伝えた。
又平さんは少し考え、「店に相談する」と言い、引き下がった。
俺は数日前から防具を着けて稽古をするようになった。
剣では朝孝(卜伝)には全く敵わないが、相撲は俺の方が強い……。
現代格闘術をしていたので、徒手空拳(無手)はそれなりに自信がある。フェイントからのタックルやトリッキーな動きで、笑いを誘うような多彩な攻撃をする。
銃剣を模した短槍サイズを作り、銃剣道の動きを模した短槍での攻撃や、道場から見れば邪道な攻撃を朝孝(卜伝)は軽くいなし、体に当てることは不可能で、あっという間に一本を取られる。彼なりの気遣いで、小手や面ではなく必ず胴を狙われた。
朝孝(卜伝)曰く、俺の動きが面白く参考になるらしい。研究熱心な彼だから、接近戦での対応に関して何か考えているのだろうと思う。
幼稚で語彙力が乏しいことは自覚しておりますので、
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