第五十話 弘治三年、別働隊
この作品は、歴史的な史実とは別次元の物語です。
妄想的で非常識、そして変態的な展開ではありますが、
今後ともよろしくお願いいたします。
居多ヶ浜から上陸した。特殊部隊は上陸用舟艇から重機と共に下りている。護衛艦「早雲」が62口径5インチ砲での攻撃と反撃に対して、シーウスが警戒していた。
部隊は、城の砲撃完了の無線で春日山城へ進軍した。瓦礫に覆われた城には数発の発砲の後、退避のアナウンスをして、武装解除を行い、身分の高い者を拘束し、その他は解放した。数時間で城は更地になり、拘束者を船で小田原に連行だ。
一方で、豊岡海岸から特殊部隊は重機と共に太田城に向かい、護衛艦「氏綱」から砲撃と人質確保のための重機で更地作業を完了させた。
前日、アル中の上杉謙信はお気に入りの松田屋の高級ブランデーを嗜み、今日の決戦を迎える。他方で、本部に作戦終了の連絡が入り、氏康(石原莞爾)は次の作戦を実行した。
成田長泰、三田綱秀、佐竹義重、上杉憲政に対してスナイパーライフルで射殺し、上杉謙信の陣に120mm迫撃砲を撃ち、彼はこの世から消えた。
実弾が到達し、呆気なく終わってしまった。少し離れた陣では爆音と共に爆風が襲い、後から発射音が聞こえる。本人達は訳が分からないと思うが、パニックになって、逃げ出す訳でもなく、腰を抜かして動けない状態だった。
近くで監視している風魔のスナイパーから謙信への爆撃は、一発で命中していて、狙撃の追撃は必要なかったと報告があった。
集団に追加で砲撃を行うと、全軍逃げ去った。北条家の味方は追撃戦になったが、深追いはしなかった。
その年、堺と京に行き、商売と将軍と公家に帝に報告をした。近衛前久に挨拶をし、関東に来た山賊の壊滅の報告と謙信の血書の起請文を見せて、これから二条晴良様と関係を深めることを告げた。将軍の所に向かい、関東管領を名乗る偽物を討ち取ったことを報告した。
二条家は大歓迎して頂いた。帝へ上納品と二条家に別に用意して、謙信の血書の起請文は、二条晴良様に預けた。稙家様の時は良い関係だったと話しながら、関係を深めた。
信長は畿内に前進している。後ろの憂いがない分、前に向け進める。三河松平家は、織田の直臣になり、特に優秀な三河の武士を直臣にしている。家康がいないので、求心力が無く横並びの状況だ。三河の一向衆という爆弾を抱えた難しい土地だ。
今は、小太郎達が「飢饉の原因は坊主の信心が足りない。だから、一向衆の土地だけ飢饉が来る」と噂を流している。現実、奴らの周りだけ不作だ。
信長達は尾張から定期便を利用してよく遊びに来る。土田御前は市よりも自分の喜びを優先しているから、ハワイから帰ってこない。そんな信長は、市に会って様子を確認し、尾張が欲しい物を物色して、オネダリして帰るのが定番だ。
最近は俺がものつくりの中心人物と気づいたらしく、やたら絡んでくる。滝川と柴田や前田も武器にこだわりのある連中がねちっこくてウザイ。
ちょっと気になるのが、滝川一益の博打の噂は聞いているが、北条では競馬が公営ギャンブルでのめり込むほど開催してないから問題ないと思うが、競馬開催日に合わせて来ているようだ。貴賓席には、織田家の面々の他、外国人も顔を出しはじめ、自国開催のために参考にするのだろう。
ポルトガルでは、ジョアンが経営する競馬場が大盛況だそうだ。国王自ら馬主になり、競馬を楽しんでいる。ジョアンが笑顔で、
「チェスター競馬場の田舎競馬と違い、近代的な競馬場で庶民のガス抜きも兼ねており、収益が半端じゃない。直道の言う通り貴族との差別化をして庶民の娯楽にしている……」
収益の数パーセントを国王に税として納め、馬主の配当もあり国王も納得しているし、貴族達の馬主も増えて開催するレースの数が増え、収益が3倍になったらしい。
王家に対しての税金の大半はてん菜から取れる砂糖工場からの税金だそうだ。以前教えたヤツが成果になったらしい。山に囲まれた範囲の8村全てを買って、ユーロの砂糖工場になっているらしい。
競馬では滝川一益以外、馬の美しさに魅了され、注目は人を乗せての速さだ。信長は、ばんえい競馬の馬も注目している。この時代の馬は戦の重要な戦力だ。優秀な馬のオネダリをしてくるが、予約が一杯なので来年から数頭を融通することで納得してもらった。
永禄4年、上杉、佐竹の直臣することが決まった。真田幸隆が上杉と担当して家臣たちのまとめ役になり、謙信派と反謙信の取りまとめに奔走した。佐竹は北条氏尭が家臣の取りまとめをして、代表者を横浜に集め今後の方針を協議した。
数ヶ月で具体案が施行される段階で、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野のコウモリ連中が陪臣の知らせがきた。
天下統一部隊の信長は、三河と尾張から軍を編成して、美濃に侵攻した。今年、今川家と協力して、遠江、駿河で甲斐と信濃の警戒部隊を編成し配置して、後ろの憂いを減らした。
一向衆対策として本證寺周辺の住民に相模や武蔵で、農民の募集の話を広めて、蒲郡から一向衆3000を船で相模に運んだ。結果、本證寺から引き剥がしが成功し、翌年も上宮寺、勝鬘寺の一向衆の募集を継続する。
永禄6年、下野の小山氏を寝返らせ、その後は古河城をも攻略し、古河公方として擁立した足利藤氏を捕らえ、鎌倉の邸宅で静かに暮らしてもらう。幕府にも丁重にもてなしていることを強調した。後日、ハワイが気に入り、今はハワイの別邸で、現地妻と暮らしている。
農地区画整備の為にも河川工事を優先させた。今年は利根川の川の流れを変える大工事が終わり、順次工事は進める。江戸は利根川の河川氾濫が収まり、埋め立て工事を始める。遷都への準備が整った。
幼稚で語彙力が乏しいことは自覚しておりますので、
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