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勇者は人の暖かさに触れる

 歓喜に声が漏れそうになるのを堪える。見知らぬ土地。敵かもしれない。勇者の本能が警戒を促す。誰かがこの身体を殺そうとした。革のベルト、後頭部の痛み、聖女候補のペンダント。あの猪の襲撃は偶然じゃない。ペンダントを握り、首から外して腰の布に隠す。身分を明かすのは危険だ。煙の匂いが鼻先に届き、人の声が聞こえる。槍を手に、慎重に近づく。


 木を削っていた男が気づき、斧を手に立ち上がる。目が合う。鋭い視線。敵意か、警戒か?


「お前、誰だ?」


 男の声は低く、訝しげだ。ボロボロの布に包まれた姿を見ても、驚きはない。心臓が高鳴る。この男が僕を殺そうとした者たちと繋がってるかもしれない。


「森で迷ってしまって、助けを求めていて」


 声は震えるが、勇者の本能で平静を装う。槍を握り、距離を保つ。男は眉をひそめ、斧を肩に担ぐ。


「旅人? こんな森の奥で? ずいぶんボロボロだな」


 視線が全身を這う。ペンダントは隠した。身元を悟られていないはずだ。ここで引くわけにはいかない。


「森で襲われてしまって。記憶が曖昧何です。助けて欲しくて」


 嘘だ。記憶はない。でも、勇者としての経験が言葉を紡ぐ。男はしばらく僕を睨み、ため息をつく。


「まあ、死にそうに見える。とりあえず村に来い。腹が減ってるだろ?」


 男が背を向け、小屋へ歩き出す。罠かもしれない。だが、食料も体力も限界だ。槍を握り、後を追う。


 小屋の近くで、男や女、子供たちが数人出てくる。普通の村人に見えるが、視線が刺さる。囁き声。「こんな若い娘が……」「どこから来たんだ?」 不穏な空気だ。


男が振り返る。


「俺はガロン。この村の猟師だ。お前、名前は?」

「エリです」


 偽名を口にする。この身体の名前、リアナ公爵令嬢は言えない。王太子の婚約者、聖女候補。そんな身分を明かせば、面倒なことになるかもしれない。エランとリアナの頭文字を足して作った名前なら、反応しやすいだろう。ガロンは頷き、小屋の扉を開ける。

「入れ。食い物と水をやる」


 小屋は簡素だ。木のテーブル、干し肉、粗い布の寝具。ガロンが干し肉と水を差し出す。腹が鳴る。


 突然、扉が開き、恰幅のいいおばちゃんが入ってくる。髪を布でまとめ、顔には笑みを浮かべているが、目は僕を値踏みするように鋭い。


「おや、ガロン、こんな綺麗な娘をどこで拾ってきたんだい?」


 ガロンが苦笑する。


「森で迷ってた。エリって名前らしい」


 おばちゃんが近づき、僕をじろじろ見る。


「へえ、エリちゃんか。こんな森の奥で、こんなグラマーな身体して、ボロボロの布だけ巻いてるなんて! まるで貴族の令嬢が逃げてきたみたいだねえ」


 顔が熱くなる。グラマー? 確かに、この身体は華奢なのに妙に色気がある。勇者だった頃の筋肉質な身体とは全然違う。女の言葉に、照れが込み上げる。


「い、いや、そんなんじゃなくて、ただの旅人です」


 おばちゃんがクスクス笑う。 


「ほら、照れなくていいよ! こんな綺麗な身体、村の娘じゃ敵わないよ。どこのお嬢さんだい? 正直に言いな!」

「森で襲われて、逃げてきたんですけど記憶がなくて」


 声が上ずる。勇者としてどんな魔物とも向き合ってきたのに、こんなおばちゃんにからかわれて動揺するなんて。おばちゃんは手を振って笑う。


「それは可哀想に。腹が減ってるだろ? ほら、食べなよ。っとその前に着替えだね、ほら、先に水浴びをしてきた方がいい。あそこにあるから」

「ありがとうございます」


 おばちゃんが指を指した方向には木の板で囲まれた簡素な個室のようなものがあった。歩いて個室へと入っていくと、中には大きな水瓶があった。


 長い黒髪が肩を滑り、華奢な首筋を覆う。柔らかい肌、胸の曲線、腰の細さ。勇者のゴツい体とは別次元だ。心臓がドクンと跳ね、喉が一瞬詰まる。こんな身体、戦場じゃ目立つどころか、まるで誘うような……いや、考えるな。顔が熱くなり、慌てて水をかぶる。冷たさが肌を刺し、鳥肌が立つ。長い髪が濡れて肌に張り付き、妙に生々しい感触がした。


 それが浮き足だった心を落ち着かせる。この身体で戦うのは無理だ。追手から見つからないことを第一に考えないと。戦う技術はあるが、相手が手だれであれば無理。元の身体であれば人間相手には負ける気はないが、今の身体では技術で何とかなる体格差ではない。


 リアナ様と出会ったのは、旅へ出発する前、僕達勇者パーティーが主役の宴会が最初で最後だ。腰を据えて話すようなことはなく、二言三言、ありがたい言葉をいただいた程度だ。同じ聖女候補で関わりがあったはずのノエルはどんな人かを教えてくれなかった。だから、本当に混じりっけのない印象として、美しい人だなと思った。他国の重鎮たちと堂々と渡り合い、心の中を一切見せないその洗練された言葉には積み重ねが感じられた。因みにその感想を言ったらノエルにヒールで足をグリっとされた


「エリちゃん、着替えと拭くもの持ってきたよ」

「ありがとうございます」


 おばちゃんがズケズケと個室に入ってくる。

そして、僕のことを舐め回すように見た後にニタっと笑って言う。


「エリちゃん、本当に綺麗ね。もしあてがなかったらこの家に住んでも良いんだよ? 男たちは大歓迎だ。エリちゃんに見合うような男はいないがね」

「お、お断りさせていただきます……」

「冗談だよ、何か抱えてるもんがあるんだろ?」

「はい」

「ちょっとは嘘がつけるようになりな。そんな身体してピュアだなんて、尚更男がほっとかないね」

「なっ何言って……」


 おばちゃんは豪快に笑って個室から出て行った。とにかく早く現状の理解をしなければならない。自分のことを守ってくれる人を見つけなければない。


 汚れを丁寧に落として行く、触れた肌はしばらく手入れができなかった分荒れていたが、ところどころに滑らかな手触りを感じる。なるべく触れたくないところには触れず、目を閉じつつさらっと洗った。


 用意されたもので水気をとって、用意されたものに袖を通す。シュミーズに、簡素なデザインのブラウス、ペチコート、長袖のスカート、靴下が用意されていた。着慣れない服に悪戦苦闘をしつつ完成した村娘ルックは飾らない雰囲気が清らかな空気を漂わせていた。ただ、リアナ様が着ると妙に煽情的だった。


 ガロンの家に戻ると、おばちゃんに干し肉を押しつけられる。ガロンが口を挟む。


「マレン、そんなに押し付けるな。こいつ、よっぽど疲れてるんだ」


 マレンと呼ばれたおばちゃんが肩をすくめる。


「わかってるよ、ガロン。でも、こんな娘、放っとけないだろ? さ、エリちゃん、ゆっくり休みな。夜は魔物が出るから、村にいなよ」

 川沿いの焚き火跡、血の染み、靴底の足跡。誰かがこの身体を追ってる。マレンの笑顔は温かいが、ガロンの視線は疑いを含んでいる。信じていいのか?

「で、エリ、お前、なんでこんな森に? こんなボロボロで迷うなんて、ただ事じゃねえ」


 ガロンの声は探るようだ。情報が必要だ。慎重に答える。


「わからないんです。森で目が覚めたら、縛られて、猪に襲われて、なんとか逃げたんですが」


 ガロンが眉を上げる。


「それは災難だったな」


マレンが目を細める。


「この辺、最近変な奴らがうろついてるよ。商人の一団が数日前通ったけど、妙に急いでた。血の匂いもしてたって、猟師の連中が言ってたよ」

「その商人はどこへ?」


 ガロンが答える。


「川沿いを下って、ルデアの町へ向かったはずだ。街道に出るなら、三日歩く。だが、お前みたいな状態で無事に着けるか?」


 ルデア。交易の要の町だ。海が近く、海外からの輸入品を国に広めている。王都へはそこから馬車で五日。だが、この身体が王太子の婚約者、聖女候補だと知られれば、追っ手に狙われる可能性がある。情報が必要だ。村のおおよその場所がわかったのは大きい。


 考え込んでいた僕を見て、何か勘違いしたのかマレンが口を開く。


「ルデアは商人の町だよ。けど、最近は王都から妙な連中が来るって話さ。王太子の結婚にあたってゴタゴタしてるらしいよ。ルデアに行くのかい?」

「人の多い場所に行きたいんです。人が多い方が、僕のことを知っている人がいる可能性は高いですし」


 ガロンが頷く。


「なら、朝になったら道を教える。食料もやるよ。幸い今日は肉を取れた。エリ、夜は出るな。寝床は悪いんだが、マレンと一緒に寝てくれ、この家は狭いからな」


 マレンが毛布を渡してくれる。


「ほら、エリちゃん、ゆっくり休みな」

 


 翌朝、久しぶりの心地の良い眠りから覚めると、野生味の強いブロードの良い匂いがした。昨日取れた獲物の骨と肉で出汁をとっているのだろうか。いずれにせよ食欲をそそらせる。


 寝室から出ると、マレンが机に食器を並べていた。


「あら、起きてきたのかい? ご飯の準備はできてるよ。スープとパンと、干し肉。昨日と殆ど同じだけどね。先食べてな。私はガロンを呼んでくるよ」

「ありがとうございます。いただきます!」


 温かいものを食べるのは久しぶりだ。マレンが朝早く起きて作ってくれたであろうスープは塩味がちょうどよく、深みがあって美味しい。


「エリ、起きたか」

「おはようございます」


 ガロンは煙草を口に咥えていた。ブロードの香りがしていた部屋が一気に紫煙の香りに包まれる。それと同時に身体が煙草を求めだす。身体の奥の方の潜在的な欲求を刺激され、ガロンの右手から目が離せない。


「エリ、お前吸うのか?」

「いや、わからないんですけどすごい吸いたくなってしまって」

「記憶がないんだったな。吸ってたんだろうな」

「エリちゃんやめれるならやめた方がいいよ」

「うぅ、吸いたいです……。一本ください」


 ガロンさんが吸っているものの火をもらう。砕いたたばこ葉が、枯れ葉のようなものにに巻かれた簡易的なものだった。その威力は絶大で、一吸いしただけで充分な重さがあった。エランの身体の時に一度だけ試しに吸った時は咳ごんで涙が出たが、この身体ではそんなことは起こらない。リアナ様は大分吸い慣れているのかもしれない。


「いける口だな、何本か持ってくか? マレンのやつもうるさいし、この機会に少し肺を休めるのもありだ」

「あんたねぇ、結局、エリちゃんの肺が休まらないじゃないか」

「あのぉ、マレンさんごめんなさい。吸いたいです」


 一本吸ってわかった。もうこの身体は煙草に塗れている。下手したら空気より多く煙を吸っているかもしれない。


「なるべく我慢するんだよ? エリちゃん」

「は、はい……」


 我慢できそうもないが、意気込みだけは大切だ。僕も良くないものであるという認識は充分にある。


「火もいるだろ、マッチも持ってけ」

「ありがとうございます」


 ガロンもマレンも食卓に座り、朝食を食べ始めた。記憶が無い人間と、何を話していいのかわからず、打ち解けにくそうにしている二人に、馴れ初めを聞いたり、村での生活を聞いたりして団欒を楽しむ。何も無い赤ちゃんと、与えることによってコミュニケーションを取って行くように、煙草も食事も、与えることによって、二人は打ち解けようとしていたのだと、この時に気がついた。


「どれくらいに出るんだい?」

「準備を終え次第、直ぐに出ます。日没までのマージンを確保しておきたいですし」

「わかった。直ぐに準備しておくね」


 マレンは干し肉と水を持たせてくれて、ガロンは煙草とマッチ、ルデアまでの行き方を書いた地図をくれた。


「ありがとうございました。この恩は忘れません」

「気をつけてな」

「気をつけてね」


 ガロンは無愛想に、マレンは笑顔で、僕の姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。

 

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