第七章 訪問
「おい、一平」
いきなり声をかけられて、一平は辺りを見回した。
パールの寝顔を見ながら自分も眠ってしまったらしい。
声をかけてきたのは学だった。
「どっ…どうやって…?」
一平はどもった。
泳ぎの得意な学でさえ、何度か試みたものの泳いで洞窟へやってくることは叶わなかった。岩壁伝いに磯から這ってくるのも波が高くて危険であり、ここへはいつも一平一人しかやって来られない。
一平がどもったのはそのことに驚いたからではない。パールを抱いて寝ていたなんて従兄弟たちに知られるのは照れくさかったからだ。
パールを放り出して何もなかったことにしてしまいたいくらいだったが、そんなこともできるはずがない。却って慌てる方が変に思われるかもしれない。
どちらにしても学にからかわれることからは逃れられなかったのだと、一平は知った。
一平の質問には頓着せずに学は言った。
「なーにやってんだよ、おまえ…」
学はにやにやしながら面白そうに横目で見ている。
「な…なにって…」
「いっつも、そんなことしてんのか?」
「ち…違うよ。これは、たまたま…パールがボクの上で寝ちゃったから…」
「何でパールが一平の上で寝ちゃうのかな〜」
「…しょうがないだろ!赤ん坊みたいなんだから!」
自分で言うように大したことではないのだが、妙に一平は慌て、弁解し、赤くなっていた。それが学には面白くてたまらない。
「こいつさあ…一平のこと、すンごく特別に思ってるぜ。絶対」
学はパールをまじまじと見てそう言った。
学に言われて一平の心臓が跳ねた。
(…特別って…⁉︎)
「一平ちゃんのお嫁さんになりたいっ‼︎とかさ…」
しなまで作って学は言った。
「学っ‼︎」
こんな小さい子を肴にからかうのはやめてほしい。そんなこと考える年齢じゃあないだろう。そう一平は思っていた。
「おまえもまんざらじゃないんじゃない?すっごく、幸せそうに寝てたぜ、さっき」
「こいつっ‼︎」
堪りかねて一平は拳固を振り上げた。
この騒ぎに流石にパールが目を覚ます。目をしばたたいて、きょとんとして二人を見比べた。
「どうしたの?」
一平は振り上げた拳固を下に下ろした。よく考えたら何もそんなにむきになることないじゃないか。何も悪いことをしていたわけじゃない。下手に慌てるから突っ込まれるんだ。一平はそう思い直すことにした。パールの前で学と喧嘩をするのもどうかと思われた。
「パール、オレのこと覚えてるか?」
揶揄う相手がおとなしくなってしまったので興味を失い、学はパールに話しかけた。
「うん、一平ちゃんのお友達の学ちゃん」
「うまくなったなあ、日本語。おまえ、語学の天才じゃない?」
「ゴガクノテンサイ?」
頭返しはパールの専売特許である。
「本当にすごいよ。下手な中学生より物覚えがいい」
一平も保証する。学の感想は大袈裟でも何でもない。パールはここへきてまだ一ヶ月も経っていないのだ。接する人間が僅かに二人なのにも関わらず、この上達ぶりは何としたものだろう。
一平の方も―トリトニア語―と一平は呼んでいた
の習得は進んでいた。が、こちらは元々ヒアリングができていたのでそう大変なことではない。二人で話す時は日本語とトリトニア語が入り乱れていて、傍で聞いていたらチンプンカンプンだっただろう。
ともかく、意思の疎通は驚異的な速さでクリアできるようになっていたのだ。
「パール、何か言ってみ?」
「?」
パールの前にしゃがみ込んで催促するが、きょとんとされる。
「……」
沈黙が流れた。
ついに堪りかねて一平が吹き出した。
「なんだよっ‼︎」
「…くく…く…ちゃんと…話せよ、学…。話させたいなら答えられることを聞かなくちゃ。…それに『言ってみ』だけじゃだめだ。「言ってみろ』とか『言ってごらん」って言わなくちゃ…」
学は唇をひん曲げたが、思い直して続けた。
「パール、オレの名前言ってみろ、わかるか?」
「学ちゃん」
「じゃあ、オレの弟の名前は?」
「んー…。ヨクチャン」
「そうだ。よく覚えてたな。エライぞ」
学はパールの頭をもしゃもしゃと掴む。いいこいいこのつもりなのだ。
パールはまだ翼に対面を果たしていない。ここへ連れてくる算段が思い付かないのでのびのびになっている。そのことを気にはしていた。連鎖的に一平は思い出した。
「そうだ。どうやって来たんだよ?泳いでじゃないんだろ?」
「ヘヘヘエ…」
学は人差し指で鼻の下を擦って自慢げに答えた。
「これであります!」
学が背後を探って出して見せたのは縄梯子だった。
「あっ‼︎」
一平とパールの二人は同時に叫んだ。さっき、ちょうどこれの話をしていたところだったのを思い出した。
「犬首の先からこいつの長いのを下げて降りてきたんだ。スゲエだろ」
たしかにすごい。犬の首に当たる岬の先端からここまでは七、八メートルの落差があるのだ。ロープだけならともかく、梯子の形になっていれば、辿って登ることも可能だ。グッドアイデアだ。
「パール、これほしい!」
パールが学の持つ縄梯子に飛びついた。
「学ちゃん、パールにこれちょうだい。これあれば、パール自分でオサカナ獲れる…」
「パール…」
一平が切なそうにパールを見た。
その様子に学も気がついた。
「こいつ、これが何だかわかってんのか?」
一平に訊いた。
頷いて一平はさっきパールが見せた図鑑のページを開いた。
「ここからこいつを下げて海へ出入りしたいと言い出したんだ、パールは」
「へぇー」
学は目を丸くして『へぇー』を連発した。
「エライなあ、おまえ。すごい奴だな」
「あんまり褒めないでくれ、調子に乗るから」
一平が釘を刺した。褒めるなとは一平らしくない。
「なんで?いいじゃないか。自分のことを自分でするって大事なことだぞ」
「それはそうなんだが、…危ないじゃないか」
「何が危ないんだ?海か?こいつは人魚だぞ」
「そうじゃないよ。人間がだよ。見たかったらどうするんだ」
「うーん…」
一平の心配はもっともだ。だが、一平にも過保護だという意識がなくもない。
一平が一番恐れているのはパールが他の人間の目につくことなのだ。それくらいなら、いくら自分がしんどくても、魚でも何でも獲りに行ってやる。パールにとって必要なことは全て整えてやる。そういう覚悟はとうにできていた。
パールの気持ちは嬉しいが、今はまだその時期ではないような気がした。ではその時期はいつなのかと問われても、それは永遠にやってこないと言えなくもない。それでいいのかと問われれば、いいとは言えない。
一平には朧げながらわかっていた。ここを出て行くことになるのはそう遠い先ではないのだということが。
「ねえ、いいでしょう?一平ちゃん⁉︎」
パールは縄梯子を抱きしめて一平に許可を求める。 パールにとって今は一平が保護者であった。一平が自分のことをわかってくれて親身になってくれる唯一の仲間だということを、パールはいやというほど知っていた。
わからないことがあれば一平に訊けばよい。して欲しいことがあれば一平に頼めばよい。したいことがあれば迷わず一平に言えばよいのだ。決して悪いことにはならない。その概念は、ここ一ヶ月足らずの間にパールの身にしっかりと染み込んでいた。
「やるよ」
学の声に二人は顔を上げた。
「梯子を持ってきたのはオレだ。だからオレがパールにやるよ」
「学…」
一平は見るからに困っている。でも学は言った。
「いいじゃないか。…実はこれ、海へ垂らそうと思って持ってきたやつなんだ。パールがそんなこと考えてるなんて、偶然だろうけどびっくりしたよ。言葉もこれだけわかるんだ。使い方を丁寧に教えてちゃんと注意すれば役に立つ。…できるよな?」
最後の部分はパールに向かって尋ねた。
「うん‼︎」
パールは嬉しそうに返事をする。人を幸せにする笑顔だ。
「パールはおまえの人形じゃないんだからあんまり束縛するなよ」
ちょっと棘っぽい言い方を学はした。
「ボ…ボクは別に…」
一平はまたどもった。束縛などしているつもりはないが、確かに学が言うように、自分の思う通りに動く人形的な扱いをしていたかもしれないと、一平は思ったのだ。
「独り占めしたい気持ちはわからなくもないけどさ。かわいいもんな、パールは」
「うん…」
学が優しい目をして言うので一平も同調する。
一平が頷いてパールを見るのを確認すると学は言った。
「‥やっぱりな…」
「え?』
「特別だと思ってるのはパールの方だけじゃないってことさ」
「‼︎」
学の言う意味がわかってしまった一平は絶句する。そしてまた赤くなる。
「変なことばかり言うなよ!」
「変なことがあ?じゃあなんで赤くなってんだよ」
そんなこと知るもんか、と一平は嘯いた。ホントに、なんでこんなことで赤面しなきゃならないんだと、自分の反応が腹立たしい。
「ねえ…」
二人のやりとりに幼い声が割って入る。
何だか難しい言葉や言い回しが多くて、パールには二人の会話の趣旨は理解できない。けれど今のパールには縄梯子を使っていいのかどうかが最大の関心事だった。
「いいでしょう?一平ちゃん…」
パールが真摯な眼差しで一直線に見つめてくる。
―お願い、パールにも何かさせて。一平ちゃんに迷惑ばかりかけたくない―
パールがそう思っているのが痛いほど伝わってくる。
「一平に訊くことなんかないよ。オレがあげたんだから、もうこれはパールのもんだ」
学が加勢してくれる。でもパールは一平に頷いてほしかった。一平がだめだと言うのなら諦めるのも辞さないが、少しでも迷っているのなら一平に許してほしかった。
一平は黙っていた。パールの頼みならばなんだってしてやりたいが、危険と隣り合わせてあることは目に見えている。が、だめだと言って失望させたくもない。
「ほら、返事もしない奴の許しなんかいらないって。使い方教えてやるから来いよ」.
勝手な言い分の学にむっとして、尚更一平は態度を硬化させる。
(ばかやろー。こんなもの持ってきやがって。パールに何かあったらどう責任とってくれるんだよ)
学に手を曳かれて一度は洞窟の入口の方へ移動し始めたパールだったが、何を思ったのか、急に学の手を振り払って戻ってくる。
背を向けて意地を張っている一平の背中にパールは張り付いた。おぶさる時のように腕を回して一平の首に絡みついてくる。
再び一平の心臓が跳ねた。
「…どうしても…だめ?」
パールが耳元で囁く。
「パール…一平ちゃんが…ダメって言うなら…ガマンする…」
(パール‥⁉︎)
「だから‥怒らないで…。パールのこと…キライになっちゃやだ…」
パールは一平を怒らせたと思っているらしい。自分が言い出したことが元で一平に愛想をつかされ、冷たくされるのがいやなのだ。一平に嫌われるよりも自分のしたいことを我慢する方がパールにとって楽なのだった。
こんなに一平のことを慕い、頼ってくれる存在が今まで一平の近くにいただろうか。一人っ子の一平には世話をしてやる弟も妹もいなかったから、自分より弱い存在に信頼されるというのは初めての経験だった。
こんなに甘やかでいい気持ちなのに、冷たくできるわけがない。
一平は耳元に置かれたパールの頭を捕まえて言った。
「…だめだなんて…言ってないだろ?」
パールが驚いて一平を見る。
「折角学がくれるって言ってるんだ。大切にしろよ」「パールのこと…キライにならない?」
一平がいいと言ってくれているのにまだパールの表情は晴れない。この質問に満足のいく答えを得られなければ喜べなかった。
「ポクがそんなことを言ったか?嫌いになんかなるわけないだろ」
(嫌いなもんか。…こんなに好きなのに…)
一平はそう思ったが好きという言葉は言えなかった。
それでもパールは笑顔を見せた。一平の首っ玉に抱きついて言った。
「一平ちゃん大好き…」
その感触をゆっくり味わう間もなくパールは離れて行った。入口近くに突っ立って待っている学の方へ飛んでゆく。
学と目が合った。
驚きと揶揄の混ざったような目をして学は言った。
「な?言った通りだろ?」
学がどのことを指して言った通りだと言うのか、一平は気がついて驚いた。パールの方はともかく、自分にとってパールが本当に特別な存在になりつつあるのを自覚した。
(ボクは…いつかららロリータ趣味になったんだ?)




