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第十一章 真珠店

 南紀黒浜の駅に降り立った翼は駅構内にある周辺地図を見ていた。

 これから行こうと思っている工房は駅から歩いて二十分、海岸から少し内陸に入った所にある。

 この辺りは漁業と共に真珠の養殖も盛んであった。加工と卸を商う業者はたくさんあったが、あまり大きい企業などに用はない。翼が頼もうとしているような内容では門前払いを食わされるのがオチである。

 中学生になったばかりとはいえ、博学の翼はその辺のところをちゃんと弁えていて、家族中心で真珠の加工を請け負っている小さな会社を探して訪ねてきた。

 熟年の夫婦とその息子たちが経営するというだけに、店構えも小さく、お金のかからない手作りっぽい木の看板が掛けられていた。

『立石真珠店』という大きい墨文字の横に『加工注文承ります』と、小さい字で書かれている。

 入口は木製枠に曇りガラスを嵌め込んだ引き戸だった。

 大きな深呼吸を一つし、翼は引き戸に手を掛けた。ガラガラとあまり立て付けのよくない音を立てて戸が開く。

 中は静かだった。店番をしている人の姿もない。

 売り物と思われる首飾りなどがガラスの棚の中に並んでいた。棚には鍵が掛けられているが、並べられているのは高級品である。

(不用心な店だなあ)

 他人事(ひとごと)ながら気になった。この分じゃあまり商売熱心ではなさそうだ。

(大丈夫かな?)

 ちょっと不安にもなる。

 が、このくらい頓着しない方があまり詮索されなくていいだろう。

 翼が持ち込もうとしている真珠は拾ったものではあるが、下手をすれば泥棒と間違われても仕方ないほどの値打ちがあるのだ。痛くもない腹を探られるのは極力避けたい。

 意を決して翼は声を張り上げた。

「ごめん下さい!」

 家の奥から微かな応えが聞こえた。

 耳を澄ませてじっと待っていると、鈍重な足取りで初老の男が顔を出した。

 店にいるのが子どもとわかると微かに眉を顰めた。

「何だね?」

 まさかこんな子どもが仕事を持ってきたとは思わなかったのだろう。店主らしき男は明らかに訝しげに翼の様子を窺った。

 男は背が低く、太っていた。使い込んだ生成りの前掛けを掛け、天井っぱげで眼鏡をかけていた。口の利き方は横柄な感じがしないでもない。どう見ても腰の低い商人には見えなかった。生粋の職人気質だろう。

 頑固そうな男の様子に翼は少したじろいたが、勇気を奮い起こしてここに来た用件を告げた。

 持参した真珠で髪飾りを作ってほしいこと、形はこんなふうで、身につけるのは六、七歳の女の子であること、多少暴れても水につけても簡単には壊れないようにしてほしいこと、などだ。

 真珠店の男は翼の話を一通り聞くと、持参した真珠を出すように言った。

「作っていただけるんですか?」

 半分は用心のため、半分は喜びのために、翼は聞き返した。

「物を見なきゃ作れるかどうかわからんだろう?」

「あ…そうですね。…これ…です…」

 男物のハンカチに包まれた粒を検分して、店主は言った。

「どうやって手に入れたのかね?」

 こんな子どもが正規のルートで未加工の真珠を持っているわけがない。当然の質問だった。

 翼はその返事を前もって用意していた。海で拾ったなどというのはもっての外だったが、壊れた首飾りの玉というには穴が空いていないので不自然だ。だから、壊れたブローチの玉だということにした。ブローチだったら穴が空いていないはずだし、古いので接着剤が取れてしまったことにすればいいだろうと思ったのだ。それにしては接着剤のかけらもくっついてはいなかったが、元々の持ち主である祖母がかつて真珠の加工に携わっていたため、きれいにすることができたのだと取り繕った。ずいぶん前に亡くなった祖母が仕舞い込んであったのを見つけて貰ったもので、妹の誕生日プレゼントにしたいのだと告げる。家の者には秘密にしてサプライズにしたいのだという作り話もした。

 頭を捻って考えただけあって、翼の演技は迫真ものだった。

 多少出所を不審に思った店主も、最終的には翼の話を信じることにして加工を請け負ってくれた。十三歳にしては落ち着いた物腰と真面目そうな様子が功を奏したと言えた。なかなか洒落た計らいをするじゃないかと、店主は肩まで叩いて励ましてくれた。

 問題はもう一つあった。値段だ。

 が、これも子どもだからということで大まけにまけてくれた。妹思いの翼の心意気に感服してくれたのだろう。何とか翼の小遣いの範囲内で賄えた。

 仕上がりは一週間みてくれと言われた。早く品物がほしい翼は、もし早めに仕上がったら連絡をくれと言って、電話番号を知らせて帰った。


 計画がうまく運んで翼は上機嫌だった。珍しく鼻歌まで口をついて出る。

「ご機嫌だな、翼」

 学が茶化した。

「そうか?」

「何かいいことでもあったのか?」

「別に」

「ごまかすな。ラブレターでも貰ったんだろ?」

「…はっ!悔しいか?」

 そんな事実はなかったが、今日の翼はお調子に乗っていた。逆に学をからかった。

「あ!こいつ!ホントに貰ったのか?誰から?見せろよ」

 単純な学はすぐこういう手に乗ってしまう。

「やなこった。悔しかったら自分も貰ってみ!」

「言ったな、こいつ!…なあ、見せてよ…」

 懇願口調になる。よっぽど羨ましいらしい。

 学だって特に醜悪な顔というわけではない。並よりはハンサムだ。そばにいる一平が飛び抜けているので見劣りしがちだが、目鼻立ちは整っているし吊り上がり気味の目も涼しげだ。とにかく元気いっぱいでいつも暴れ回っているので人の注目は浴びる。密かに思いを寄せている女の子だって何人かはいるのだが、表に現れてこないので自分はモテないのだと思い込んでいる節がある。

 モテる一平の方は女の子には全然関心がないくせに、うんと年下の人魚のパールの方には気があるみたいなのだ。しかも、パールの方もこれ以上ないというほど一平のことを慕っている。そばで見ていればわかる。それも羨ましい。

 学だってパールのことを可愛いとは思っているが、一平ほど執着してはいない。学にとってパールはいとこか妹みたいなものなのだ。

 だが、一平は違うらしい。それが単なる同族意識から来るものなのか、全くの異性として意識しているのかはいまいちよくはわからなかったが、一平がパールのことを大切に思っていることだけは疑いようのない事実だった。

 それだけでもこっちは置いてけぼりにされたような疎外感があるというのに、今度は翼までも…。

 学は羨ましいのとやっかみとから翼をかまい続ける。口先だけの攻撃では埒があかないと思った学は実力行使に出た。翼の鞄を取り上げて中を探し始めたのだ。

「ばか!返せよ!」

 翼は慌てた。

 学の妄想の品などありはしないのだが、鞄の中には見られたくないものが入っていた。

 昼間の真珠店の引換伝票だ。自分とパールだけの秘密だった。

 そんなこととは思いもよらない学は翼の慌てようを見てますます自分の直感を確かなものと感じた。

「オレとおまえは一心同体じゃないか。何も横取りしようっていうんじゃないんだから…ちょっと見るだけ…」

「だめ‼︎」

 鞄の取り合いになる。この年頃の男の子の喧嘩は凄まじい。しかも慣れた相手なので手加減しない。運動は止められていても兄弟喧嘩は頻繁にやっていた。母親のさえ子も、危険と思われない限りいちいち仲裁したりはしない。

 一平が帰ってきた時には喧嘩は最高潮だった。


 どたんばたんという賑やかな部屋へ入ろうとすると何かが飛んできた。

 翼の鞄だ。

 咄嗟に顔を庇った一平の右腕にぶつかって鞄は畳の上に落ちた。衝撃で中身がばらばらと散らばった。拾ってやろうとして屈むと、双子が突進してくる。

「わっ‼︎」

 この中身を取り合っているのは言わずと知れた。驚いて尻餅をついた一平の目の前で二人が教科書やノートの山を掻き回している。

「何やってんだあ?おまえら」

 翼がさっと何かを引ったくった。

(財布?)

 一平の目にはそう見えた。財布の中には例の伝票が入っているのだ。だがそんなこととは一平は知らない。

 急に取り合いから身を引いた翼に気がついて、学が振り仰ぐ。

「ここじゃないのか?」

「フン…」翼は鼻を鳴らした。「元通りにしとけよ」

 言い捨てて机に向かった。英語の予習の途中だったのだ。

「……」

 学はやけになってその場に胡座をかく。自分が悪いことはわかっているのだ。よそよそしい弟の態度が寂しくて、繋がりを求めての行動だった。だが、だからといって素直に謝ったり片付けたりする気にはなれない。

 そんな二人を見て一平は黙って散らばった物を集め始めた。一平が代わりにやっていても、学はそっぽを向いたまま動かない。

 非は学の方にありそうだった。だが事の始まりを見ていないのだから、簡単にはどっちにも加勢することはできない。大体の事情を察した一平は無言で二人を仲裁する。

 学のことをしょうがないやつだな、と思う。そして同時にパールのことを思い出した。

 ―なんて違うんだ。あの子の魂は本当に無垢で汚れない―

 学のような態度は子どもなら誰だって経験があるはずだ。悪いとわかりきっているのに謝れない…。けれどパールにはそんなことすら耐えられないのだ。 


 鞄を翼に渡して一平は居間に下りた。

 台所で夕食の支度をしていたさえ子が待ち構えていて訊いてきた。

「もう終わったの?」

「うん…」

 一平は苦笑して答えた。

「床が抜けなきゃいいけど。うちは古いんだから…」

「大丈夫だよ。ちゃんと加減してるよ。学の奴も」

 さえ子が心配しているのは本当は床などではなくて翼のことなのだ。男顔負けの剛毅なところのあるこの伯母が、翼の心臓のことでは誰より心を痛めているのだということを一平は肌で感じ取っていた。そのことをさえ子も理解している。

「…悪いわね。いつも仲裁ばかりさせて…」

 そうは言っても伯母に仲裁を頼まれたことなどただの一度もありはしない。三人という人数は仲良く遊ぶには不向きなところがあるものだが、彼らに限って言えば当てはまらない。

 動き回ってストレス発散のできる学と違って、翼には喧嘩でしかエネルギーを解放できる場がなかった。もう少し正確に言うなら、翼の身体のことをわかっている学と一平ぐらいしか、翼の喧嘩の相手として相応しい者はいなかったのだ。 

 とはいえ、ニ対一はもっての外である。学との喧嘩なら一平が止め、一平との喧嘩なら学が止める。それもある程度思い切りやり合ってから。それはいつの間にか暗黙の了解になっていた。頻度としては一平が止めることの方が圧倒的に多いことが、さえ子の最前の言葉を裏付けていた。

「ごはんはまだ?」

 湿っぽくなるのを避けるように一平は訊いた。

「今唐揚げ揚げるから。お風呂入っちゃいなさい」

「うん」

「ちゃんとあったまるのよ」

「うん…」

「シャワーだけじゃだめよ」

(やなんだよな、熱いの…)

 そう思いながらも一平は返事する。|

 他人ひとと明らかに違うところのある甥のことを、さえ子は心底まともにしてやれたらと思っているのだ。海に入り浸りなのは置いておくとして、風呂の入り方くらいは日本人古来の使い方をしてほしいと、さえ子は思っていた。


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