表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

「夜の闇に誘う者」

 

 僕は布団の中で、目を覚ました。


 大人たちは、また宴会をしているのか、大きな笑い声が聞こえた。


 一度眠りについて、体力を回復させた僕は、客間を出て長い廊下を歩いた。


 たぶん母に会いに行こうとしたのだと思う。


「……おーい。おーい」


 少年の声が、外から聞こえた。


「……太門?」


「……そうだよ。おれだよ」


 その声の主は、確かにそう返事をした。


 僕は、まだ雨戸を閉めていない窓を開けて、外を見た。


「おーい……こっち、こっち……」


 太門の声は少し離れた場所から聞こえた。


「えー……。靴ないのになぁ」


 僕は、こんな時間に人を呼ぶ、太門の無遠慮さに少しムカつきながら、目線を下に向けた。


 そこには、誰の物かもわからないサンダルがあった。

 縁側から誰かが家の中に入ったのだろうか。

 僕は、太門に文句だけ言いに行こうと決めて、サンダルを勝手に借りた。


 夜の庭は、意外と怖くなかった。


 月明りが、街中の街灯よりも明るい気がした。


 そんな僕の目の前を、一匹の蛍が飛んでいた。


「あ! ほんとにいるんだ」


 僕は初めてみた蛍に吸い寄せられるように、近づいた。


 初めてみた生の蛍は、思ったより地味だった。

 光るコメツキムシみたいだなと思った。


「おーい……おーい……」


 再び太門の呼ぶ声が聞こえた。


「そうだ。太門に、こんな時間に呼び出すなって言わなきゃ」


 僕は、微妙にサイズの合わないサンダルで小走りした。


「おーい、おーい……」


 その声は、川の方から聞こえた気がした。


 僕は、太門が蛍を見せようと呼んでいるのだと、勝手に思い込んでいた。


「おい、太門……」


 川原に降りると太門の姿はなかった。


 その代わりに、一匹の狐が僕を待っていたかのように座っていた。


「きつねもいるんだ……」


 僕は初めて見た狐にどきどきしながら、その姿を観察した。


 狐は、僕の姿を見ると猫のような鳴き声を出しながら、川原の茂みの中へ消えてしまった。


「そうだ。太門はどこにいるんだろう」


 僕は、蛍が飛び交う川原を見渡した。


 そこには太門の姿はどこにもなかったが、川の中から大きな魚が飛び跳ねた。


 水飛沫が飛び、魚の鱗が一瞬だけ、月明りを反射した。


「わあ。あんなに大きな魚がいるんだ」


 飛び跳ねた魚は、大きめの鯉のように見えた。


 僕は、「人面魚がいませんように」と祈りながら、川の中を覗き込んだ。


「えっ……」


 川の中には、夢で見たあの大きな沢蟹が、夢で見た時と同じようにひっくり返っている。


 あの夢と違ったのは、僕が手を伸ばすまでもなく、その沢蟹は体を反転させた。


「……うあぁ……」


 そこからは、夢と同じだった。


 蟹の甲羅は、老婆の顔になっていて、ひどく怒っている。


 蟹の甲羅の老婆は、川の中で何かを叫ぶように激怒していた。


「うわぁぁぁぁ!」


 僕は叫びながら、身をひるがえし、急いで川から離れた。


 川原から離れるのに必死で、借りていたサンダルを無意識に脱ぎ捨てて走り出した。



 川原から川沿いの道に戻ってくると、村の中の雰囲気が豹変していること気が付く。


 蛍はいなくなり、虫の声も聞こえない。


 聞こえてくるのは、大勢の人の足音だけ。


 足音がする方向に顔を向けると、青白い顔をした、大勢の人たちが歩いて来ていた。


 その中には大人もいるし、子供も、赤ん坊を抱いた女の人もいる。


 ただ全員が、ただまっすぐに山を見つめたまま、山に向かって歩いていた。


 べちゃ、べちゃ、べちゃ……


 水気の多い足音が、突然僕の背後から聞こえてきた。


 それと同時に、鼻が曲がるような腐敗臭がした。


「うわぁぁぁぁ!」


 振り返るとそこには、人の大きさのヘドロの塊が僕のすぐ後ろにまで迫ってきていた。


「なんで……太門は、村には、ぐろはりはいないって言ってたのに……」


 僕は青白い人たちと、ぐろはりに追い立てられるように走り出した。


 僕は、ただまっすぐに、家を目指していたはずだった。


 でも、なぜか走って逃げた先にあったのは、ロープに結びつけられた赤い布だった。


 ここから先は山の中だ。


 道を変えなきゃ。そう思った。


 そう思って振り返ろうとした時に、あの大勢の人の足音が迫ってきていた。


 強烈な腐敗臭もする。


「そうだ。ぐろはりはこの赤い布には、近づけない」


 そのことを思い出した僕は、迷うことなくロープをくぐって、山の中へ入った。


 僕は、ロープの側でぐろはりたちがいなくなるのを待とうと考えていた。


 恐ろしい山の中ではあるけれども、このロープの近くは安全な場所だと思っていた。


「……おーい……おーい……」

 

 なぜか、山の中から太門の声が聞こえる。


「太門、なんでここに……」


 その声の主を太門だと信じて疑わなかった僕は、なんの心の準備もなしに、振り返ってしまった。


「おぉぉぉぉいぃぃぃ……」


 そこにいたのは、太門ではなく狐だった。


 でもただの狐ではない。


 狐というには、とても平面的な顔をしていて、笑うようにむき出しになった歯は、人間のようだった。


「こおぉぉぉんンンンん……」


「うわっ! うわぁぁぁぁ!」


 その狐が放つ低音の不気味な鳴き声に、僕はまた絶叫して、逃げ出した。


 ロープの向こう側には戻れない。


 僕は必死になって、山の中をはだしで走った。


 山の中に向かうにつれて、あの嫌な腐敗臭が強くなっていく。


 息が苦しくなって、木に手をついて足を止めた。


 その木は泥のようにぬるぬるしていた。


「あ……ぼふぉお……ゴぼぼぼ……」


「え……」


 声か、音かも判別できない何かが聞こえた。


「どっ、ぼぉぉぼう……ぼふぉ」


 木だと思っていたそれは、両手を大きく広げたように見えた。


 僕の鼻はより強烈な腐敗臭を嗅ぎ取った。


 急いでその場から駆け出すと、すぐに何かに正面衝突した。


「ぎゃっふぅぅぶぉふぅ……」

 べちゃあ! という嫌な音と共に、何かが倒れた。


 夜目だけど、それが動いているのがわかる。


 僕の周囲には、木に紛れるように、数体の動く何かが迫ってきていた。


 そして、ついに僕の足を誰かが掴んだ。


「ああああああ!」


 僕は全力で足を振って、それを振りほどいた。


「「いやあああああああああ!」」

「「きぃやぁあああああああ!」」


 僕の叫びに呼応するように、ぐろはりと思われる者たちも、一斉に絶叫した。


「うあああああ!」


 僕も、ぐろはりの絶叫に負けないくらいの大声で叫びながら、山の中をまた走り出す。


「「いやあああああああああ!」」


 ぐろはりたちは、絶叫したまま僕の後ろをついてきた。


 僕は追いかけられていると思い込んでいた。


 でもそれは、たぶん違った。


 ぐろはりたちも逃げ出したのだ。


 木々を力強くなぎ倒す音が、聞こえ始めた。


「アグバババババババ……」


 聞いたことのない獣の鳴き声が、山の中に響きわたる。


「あ、あ、あぶふゅうば……」


 ぐろはりが、立ち止まった僕の横を駆け抜けていく。


 ボオオオン! 


 それは、爆発音のようだった。


 僕の横を駆け抜けたぐろはりと共に、山の木や石などが吹き飛んだ。


「アグババババババ……」


 ぐろはりを山の木々ごと吹き飛ばしたのは、川オクリの時に見た、あの巨大な鹿モドキだった。


 木が倒れた山の中に、月光が差し込んだ。


 鹿モドキの異様な口が、月明りに照らされる。


 巨大な目の下まで裂けた、ワニのような口。


 ワニのような、恐竜のようなその口には、鋭い牙が並んでいるのが見えた。


 なぜそんな凶悪な口が、必要なのだろう。


 その答えはすぐにわかった。


 鹿モドキは、目の前にいたぐろはりに素早く噛みつくと、一瞬でそれをバラバラにかみ砕いてしまった。


「「いや……ああ……ああああああああ!」」


 僕の近くにいたぐろはりたちは、仲間の死を見て絶叫し、鹿モドキから逃げ出した。


「バババ……」


 鹿モドキは、あの巨大な血走った目で僕を見た。


 鹿モドキが、大きな口を開ける。


 僕は本能的に、横に飛んだ。


 それをしなかったら、僕はあのぐろはりのように、バラバラにされていただろう。


 爆発音が地面を揺らす。


 飛び込むように倒れた僕の背中に、はじけ飛んだ砂利などが降り注いだ。


『起きろ! 走れ!』


 僕は、僕自身に向かって、心の中でそう叫んだ。


 僕は、死ぬことを覚悟して立ち上がり、振り返ることなく山の中を必死に駆け抜けた。


 どれくらい走ったのだろう。


 それまでの人生の中で、もっとも長く、そして全力で走った。


 そのうち僕は、大きな橋の橋脚のような立派な木をみつけた。


 その木に影に飛び込むように隠れて、息を殺す。


 破裂しそうな心臓に手を当てて、なるべく音を立てないように呼吸を整えた。


「迷い込んだか? (わらべ)よ」

「それとも狐に化かされたか? 人界の狐は、悪食だと鳥たちはいう」


 突然聞こえた男女の声に、一度落ち着いたはずの心臓が再び高鳴った。


 声がした方向に振り返った僕の目に映ったのは、二匹の犬……いや、狼だった。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ