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本日は三話投稿します。
こちらは二話目。
次話は17:00です。
本が崩れ散らかった床に場所を作って、ルアドが膝を曲げ座っている。膝の上で握り拳を作り、項垂れて下を向く姿は罪人のよう。なんだか息苦しくて、私までキリキリと胃が痛い。
小さな椅子に腰かけた大魔術師ダグザは、そんなルアドを冷え切った視線で見下ろしていた。
「なるほど。話は分かりました」
ダグザはルアドの拙い話に一言も口を挟まず最後まで聞き、そして視線をテーブルの上で同じように膝を曲げて座る私に向けた。
「姫はいつから声に出して読めるようになったのですか?」
「えっ? ええと、分からないの……」
「そのことを知っている者は他にいますか?」
ダグザの視線に囚われ、全く視線を外すことができない。びりびりと空気が震えている気がする。
「いないと思うわ……。いつも寝る前にベッドで読んでいただけだし、図書館で古代文字の本を読む時は、声は出していないと思うから」
「そうですか。分かりました」
ダグザはテーブルの上に置かれた本を手に取ると、それをパラリと捲った。長く細い指が、古代文字をなぞり、そしてまた静かにページを捲る。
「詳しく調べる必要がありますが、この本はきっかけに過ぎないということですね」
ダグザはその薄水色の瞳を細め、足元で俯くルアドを見おろした。長い銀色の髪が白いローブの上をさらさらと流れ、その神々しさが場を圧倒する。……私たち二人しかいないのだけれど。
「これは我々でも簡単に読めるものではない。それでも書かれている古代文字の危険性から禁忌書として登録していたが、お前の言うとおり管理が杜撰だったな」
(ど、どこから聞いていたのかしら)
聞いているだけで、変な汗が出てきてしまう。
「ルアド。お前の才能とも言える好奇心を忘れていたよ」
「は……」
「だが最早、問題はそこじゃないな」
ダグザは俯いたままのルアドと背筋を伸ばし座る私をもう一度見遣り、ため息をついた。
「姫の婚約式はこのまま執り行われます」
「え?」
その言葉に、意外な、がっかりしたような複雑な気持ちになる。ダグザはそんな私の気持ちが分かっているのか、すっと瞳を細め私を見た。
「具合が悪く伏せていると私から先方へは連絡済みです。代役となる侍女も私が用意しました。仮に見舞いに来たところでバレることはないでしょう」
(確かに、互いの顔も知らないからそれは罷り通りそうだけれど)
「ここまで来て婚約を取りやめるなど、国交問題に発展するだけです」
「……ダグザにも、この姿は元に戻せない?」
縋るような気持ちでダグザに問うと、眉根を寄せていたダグザの表情がふわりと緩んだ。
「残念ですが、元には戻せません。ただ、短時間なら可能です」
「どういうこと?」
「元に戻るのではなく、今の身体を大きくするのです」
ルアドが先ほどしていた本や魔石を小さくしたのと同じように、小さい身体の私を元に戻すのではなく、大きくするという意味だ。
「人体の大きさを変えるのは簡単なことではありません。身体に負担もかかるので、出来ればあまりやりたくないのですが」
顎に指を掛け考えながら話すダグザは、私の腰に光る魔石を見て瞳を細めた。
「……姫に魔石を渡したのは、よくやったと言えるな」
「!」
俯いていたルアドがぱっと顔を上げた。その顔色は先ほどの土気色から色を取り返し赤くなっている。そんなルアドを一瞥して、ダグザはまた私に視線を戻す。
「せめて婚約式の時だけでも身体の大きさは変えましょう。後は、陛下に何と報告するかですが」
一番の問題はそこだと思う。
陛下には、年に一度、新年の儀で会うだけだ。
会うと言っても形式通りの挨拶をして、それ以外は口を利いたことがない。陛下にとってほとんど口を利いたことがない王女であっても、重要な駒としては認識されているとは思う。
それがこんな姿になって、一体これからどうなるのだろう。
「――陛下には何も報告しません」
「……え?」
ダグザの言葉が呑み込めず、聞き返す。
「この騒ぎは王女宮内に留めています。関係者には箝口令を敷き、誰も王女宮から外に出ていない。外に漏れるようなことは決してありません」
「どういうこと?」
「私の判断です」
何でもないことのように言うダグザを、ルアドも呆然と見上げる。そんなことがあってもいいのだろうか?
「陛下には体調が優れないだけだと伝えます。婚約式と当日の晩餐会までには体調を整え参加すると伝えましょう」
「そ、それでいいのかしら」
「構いません。当面は婚約式を乗り切ることを考えましょう。後の対応は私にお任せください」
確かに、私の読み間違えが原因なら、婚約式までに何とかなるようなことはないだろう。そして、国を出るまでに戻る保証もない。今は、私の力だけではどうすることもできないのだ。
ルアドが、恐る恐ると言った風情で口を開いた。
「師匠、やっぱり姫さんは古代文字を発声したからこんな姿になったんすか?」
ダグザは視線を上に向け少しだけ考えるそぶりを見せると、諦めたように息を吐きだした。
「恐らくそうだ」
「やっぱり……」
ルアドは膝の上の手をぎゅっと握りしめ、そのまま黙った。ダグザはそんなルアドを見下ろし、また私に視線を戻す。
「我々魔術師は日々、古代魔法の疑問に挑み研究を続けています。姫が独学で読めるようになったことは素晴らしいこと。それは誇りに思ってください。けれど、問題なのはこの本です」
「その本が禁忌本なのは、やっぱり強力な古代魔法が載っているからなの?」
「そうです。これは禁断の魔法が載っているのです」
「「禁断の魔法?」」
それこそ、おとぎ話でも聞いているような気持ちになる。不思議に思いルアドに視線を向けると、ルアドもふるふると小さく首を振った。
ダグザは掌を前に掲げると、指折り数えながら話を続けた。
「ひとつ、大地を揺らす魔法、二つ、嵐を起こす魔法。三つ、人を生き返らせる魔法に、四つ、時を止める魔法。そして五つ目が……」
「五つ目が?」
「分かりません」
「ええ?」
瞳を伏せ小さく首を振るダグザの銀髪がさらりと揺れる。
「誰も読めないのです。我々魔術師が火や風、水、土といった基本的な魔法を長い詠唱なしに使えるようになったのは、長い年月をかけてそれらを解読し音読できるようになったからです。ですが、この本に書かれている複雑な古代文字は、まだ解読が進んでいません。一体どんな魔法が込められたものなのか、誰にも分かっていないのです」
「……私なら、読めるかもしれない?」
「そうです。実際に貴女はこの本を読み、その姿になった」
ダグザの顔を見上げると、先ほどまでのひりひりした空気はいつの間にか薄れ、その瞳には労わりや優しさを感じた。
「そして問題は、ルアドの言うとおり読める人間がその文字を使って魔法陣を組んだ場合です」
「……古代魔法を誰にでも使えるようになるわ」
「そしてそれを利用したい者も出てくるでしょう」
ダグザはその皮の本を手に取り持ち上げて、表紙を撫でた。
「この国だけではなく、誰もが古代魔法を読み解くのに必死です。禁術は別として、自国防衛のためや臣民のために、有益に使いたいという欲は誰しもが持っているものです」
「じゃあ、私の力をこの国に役立てられる?」
ダグザは私の言葉に小さく首を振った。
「お二人の婚姻は対価なくして成り立たないものばかりです。その婚姻を取りやめるなど、余程の理由がない限り相手国も納得はしないでしょう」
「……この姿を見せるわけにもいかないものね」
古代魔法を使える、という憶測が広まり、各国がその力を欲しがり混乱を招くだけ。
「そうです。そして仮にこのまま城に残っても、姫が小さくなったことも古代文字を読めることも、あっという間に知られるでしょう。相手国も念入りに理由を調査するでしょうからね」
「このまま黙って嫁いだほうがいいということ?」
そう言うと、ダグザは小さく微笑んだ。
「今のところは。姫が古代魔法を使役する魔法陣を組めるかもしれない。だが、可能性のひとつに過ぎません。ですからこのことは、まだ我々の胸の内だけに秘めておきましょう」
ダグザはそっと自分の胸に手を当てて私をじっと見つめた。
「貴女は王族の人間としてではなく、一人の人間として様々なことを知り、学び、そしてその力がどういうものか、どうしたらいいのか。しっかりと見極める必要があります」
「見極める……」
各国が必死になって古代魔法について研究を進めているのは知っている。ダグザが率いる魔術師塔もそのための組織のはず。それを、ダグザは誰にも報告せず私に見極めろと言う。
「……私の知らないことがたくさんあるわ」
「そうです。貴女はこれから多くを学び、知らなければならない。政治や国の思惑に利用されてはなりません」
よくできました、と言わんばかりにダグザは目を細め、私の前に掌を差し出した。その長い指にそっと触れると、ふわりと温かい魔力が流れてくる。ルアドが小さな声で「すげえ」と呟いた。
「姫。貴女の魔法を解くには、貴女の力が必要です。そしてその魔法を解くために貴女は勇気を出さなければならない」
「勇気?」
「そうです」
じんわりと温かい魔力が腰に巻いた魔石へ流れていく。話しながらもその声の裏に、詠唱する透き通るような声がかすかに聞こえる。
「物理の制御について魔法陣を組みました。これで、振り回されたり落ちたりしてもそう簡単には怪我をしません」
「凄いわ、ありがとう」
ダグザは立ち上がると本を手に魔法陣を展開した。
「王女宮にいる者は皆、貴女の味方です。ちゃんと彼らに助けを求めてください」
「ありがとう、ダグザ」
ダグザは柔らかく微笑むと、そのまま黄金の糸に包まれるように静かに姿を消した。
「……た、助かった……」
ダグザのいなくなった部屋で大きく息を吐きだし情けない声を出したルアドは、立ち上がろうとして痺れた脚が縺れ、そのまま本の山の中にバタンと倒れた。