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本日は三話投稿します。
こちらは一話目。
次話はお昼の十二時になります。
ふと、意識が浮上する。
ぼんやりと白く霞む視界に、見慣れない本の背表紙が飛び込んできた。
(大きい……)
大きな文字をぼんやりと視線で追う。見上げると、他にも横向きに置かれた本が天まで届きそうなほど積まれている。
(ああ、そうか私、小さいままなんだわ……)
いつの間に眠ったのだろう。
起き上がると手のひらに柔らかな感触があり、見ると身体の下にはクッションが敷かれ、身体に布巾がかけられていた。
「……ルアド?」
周囲を見渡し声を上げてみる。
広い空間に私の小さな声はすぐに吸い込まれ消えた。
窓から差し込む陽の光は、そろそろ昼時だと伝えてくる。柔らかな光が差し込む室内は、本のインクの匂い、薬草や紅茶の匂い、少し埃っぽい匂い。
陽の光に照らされてゆっくり降ってくる埃が白く輝き、何故か神々しいものにすら見える。
こんなに時間がゆっくりと経過するのを感じるのは初めてのことだ。
(私も、学べたらいいのに)
薬草学に魔法学、古代文字、古代魔法、魔法陣。
様々な専門書がうず高く積み上げられたここで、ルアドは毎日本を読み耽り、魔術師塔の師匠や他の魔術師たちと研鑽を積んでいる。
(このまま、この姿のままなら、誰にも知られずここで学べないかしら)
どうせこんな姿では婚約どころではないだろう。
どこにも嫁ぐことが出来ず、なんの役にも立たないのだ。魔術師塔の片隅で日々魔術書や古代文字を学び、魔力の少ない私でも何か役に立つ魔法陣を組み立てることができるようになるかもしれない。
この姿で陛下の前に姿を表してお願いすれば、すんなり通るかもしれない……。
その時、静かにガチャリと扉が開き、ルアドがそっと室内に入ってきた。
ルアドは私の姿を見ると、なんだか複雑な、少しがっかりしたような表情を見せた。
「起きてたか」
気を付けているのだろう、音を極力立てないように扉を締め、静かにこちらへ移動してくる。そして抱えていた紙袋をテーブルに置くと、中からパンと林檎を取り出した。
「寝たら元に戻るかと思ったけどそんな都合よくはいかないか」
「私もそれは思ったわ」
ふふっと笑うと、声は届いていないだろうにルアドはふっと諦めたような笑いを漏らした。
「ほら、腹減ってるだろ」
「わあ、嬉しいわ」
朝から何も食べていない。食事を見て急にお腹がぐぅっと鳴った。ルアドは椅子に座ると私の目の前に小さなお皿を出して、器用にナイフで林檎を切った。
当然だけれど私に合うナイフなんてない。小さく刻まれた林檎を両手で掴み、えいっとかぶり付く。お行儀が悪いけれど、なんだか楽しいし、瑞々しい林檎の甘い果汁がいつもより美味しく感じられた。
「そうだ、それ食べながらでいいから」
ルアドは自分もパンを齧りながら、ローブの内ポケットから石を取り出しテーブルに置いた。
私の頭より一回り大きい緑色のそれは、覗き込むと石の中に金色の魔法陣がいくつか描かれ、水中を漂うようにゆらゆらと動いている。
「魔石ね」
「コレは魔石だ」
ルアドがつん、と石を指で突く。やっぱり私の声は届いていないみたいだ。
「小さいのを選んだんだけど、やっぱり大きいな。ちょっと待て」
ルアドは石に指先で触れながら口の中で何かを呟くと、指先から魔力の波動を感じた。
「!」
指先で触れていた石が、音もなく小さく縮んでいく。私の頭より一回り大きかった緑色の石は、両手で包み込めるほどの真珠のような大きさになった。
「すごいわ、小さくなった」
両手で持ち上げると思ったよりも軽い。
「ネックレスにと思ったんだが、それ以上小さくするのは無理だなぁ」
「小さいけれどネックレスにしては大きすぎるわ」
見ると、ネックレスのチェーンを通すための金具がついている。
さっきまで腰に巻いていたリボンはすっかり汚れてしまったから、何か他に縛るものがほしい。
「ルアド、紐はない?」
「あ? なんて?」
「ひーもー! 紐!」
「ああ、紐ね、ハイハイ」
お爺さんみたいに耳に手を当てるルアドに大きな声で叫んでやっと伝わる。ものすごく不便だ。これでは私の体力も続かない。
「えっとこの辺に何か……あ、あったあった」
部屋の中央に置かれた本で埋まったテーブルをゴソゴソと探って、ルアドは何本か紐やリボンを持ってきた。
「こんなんでいいか?」
「十分よ! このリボンはなあに?」
「あ?」
「……なんでもないわ」
薄い黄色のリボンをシュルシュルと金具の穴に通す。
それを腰に巻き、リボン結びに……。
「で、できないわ!」
「ああほら、ちょっと貸してみろ」
ルアドは私が腰に巻いたリボンを結んでくれた。いつもは侍女にやってもらっていたのだ、見よう見まねで出来るかと思ったけれど、うまくいかない。
「アレ……、まあいっか」
「ねえ、縦結びになってない?」
「似合う似合う」
「棒読み!」
でもこれで巻いて止めていただけのハンカチも固定されて安心感が違う。
石が前に来るようにリボンを回し、お腹の位置にきた石をそっと触る。じんわりと温かい魔力が揺らめいて、黄金の魔法陣がふわりと輝いた。
「これはなあに?」
「それに触れたら普通に会話できんだよ」
「え? あ、本当だわ! ルアドの声も普通に聞こえる!」
「だーから、でかい声出さなくていいって」
「あっ、ごめんなさい」
ぱっと口元を両手で塞ぐと、テーブルに手をついて顎を乗せたルアドがクツクツと笑った。
「また吐かれたら堪んねえし」
「あ、あれは音のせいだけじゃないわよ!」
「まあな。でも動きの体感までは制御できないんだよなぁ」
ルアドは身体を起こすとまたパンを口に放り投げた。
「ありがとう」
「礼を言うのはまだ早い」
モゴモゴと咀嚼しながら、ピッと人差し指を私に向ける。
「アンタ、家出したことになったから」
「え?」
ごくん、と喉を鳴らしてパンを飲み込むと、ルアドは木のカップにポットからお茶を淹れ、私の目の前に置く。一番小さなカップなのだろうけど、今の私には盥より大きい。
「取り敢えず、他者の痕跡も魔法の痕跡もないことは師匠に報告してきた」
「ダグザに?」
そうだ、ルアドは調べるために部屋に来たと言っていた。その結果を師匠である大魔術師ダグザに報告したのだろう。
この国の魔術師を束ねる偉大にして最強の魔術師、ダグザ。彼はルアドが唯一尊敬する師匠だ。
「結局、婚約が嫌なんだろうってことで落ち着いてる」
「そっ……!」
(そうかもしれないけどそうじゃない!)
「どうしてこの姿で説明しちゃ駄目なの?」
「はあ!? そんなことしたらオレたち殺されるぞ!」
私の言葉にぎょっとした顔でルアドが慌てた。
「大袈裟よ!」
「大袈裟じゃない!」
バンッとテーブルに手をつこうとして、ルアドはギリギリでグッと堪え握りこぶしを作った。なにかに耐えるように目を瞑り、頭を振る。
「いいか姫さん、あの本はな、さっきも言ったが禁忌本なんだ」
「ええ」
「古代文字の魔術書に書かれている魔法を誰も使えないのは、正確な意味が分からないだけじゃなく、発声できないからだ」
「で、でもルアドだってダグザだって、みんな古代文字は読めるでしょう?」
「簡単な単語はな。けど、それ以外は誰も正確に発声できない」
「え?」
「いいか」
ルアドはパンを丸ごと飲み込むように喉をゴクリと鳴らすと、改めて姿勢を正した。
「古代魔法っつうのは、複雑な術式をひとつの文字に込めて、その一言を声に出すことで魔法を発動できる」
通常の魔法では決められた呪文を唱え魔法を発動するけれど、複雑で強力な魔法であればあるほど呪文は長く、すべて唱え終わるまでに時間を要する。
魔力の高い魔術師であれば、省略したり音にせず口内で唱え発動することができるけれど、それができるのはごく一部。それでも時間はかかる。瞬間的に魔法を発動させるのは無理なのだ。
「魔力の強い奴が使えば、強大な魔法を誰の邪魔も受けることなく放つことができる、最強であり最凶の魔術なんだよ」
その言葉に、噂のように囁かれる古代魔法が失われた理由が、なんとなく分かる気がした。
どんなふうに利用されるか分からない、その危機感。
「姫さんはその古代文字を読むことができる。これはマジですごいことなんだよ」
「……で、でも」
私は読める。
何故、と言われてもそれは分からない。自然と読んでいたし、それを疑問に思ったことはない。
「私、ルアドに教えてもらったのよね?」
「意味はな。でも読み方まで教えてない」
「そんな」
そうだっただろうか。
幼い頃から魔法が好きで、同じ年頃のルアドが魔術師になったと知って、嬉しくて羨ましくて魔術師塔に通った。最初は疎まれたけれど、通い続けると色々と教えてくれるようになった。
「てっきりルアドに教えてもらったのだと思っていたわ」
「オレが教えてもらいたいくらいだ」
ルアドは椅子の背もたれに背を預け仰け反ると、「杜撰! 杜撰なんだよ昔っから!」と歯を食いしばり呻くように声を上げた。すると、急に室内の温度が下がった。日が翳り、室内がじわじわと薄暗くなる。
「なに……?」
「ぅええっ!? なっ、なんで……!?」
ルアドが素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。座っていた椅子が倒れ、周囲に積み上げられていた本もバサバサと落ちる。
「――ルアド」
テーブルの目の前の空間に突然金色の蜘蛛の巣のように魔法陣が走った。地の底から響くような、低い低い声がルアドの名を呼ぶ。ルアドは見るからに怯え、がくがくと震えだした。
「ししししっ、師匠!!」
黄金の魔法陣から姿を現したその人、ルアドの師匠であり禁忌本の持ち主、大魔術師ダグザが、その神秘的な白いローブを翻し私たちの目の前に現れた。
――こめかみに青筋を立てて。




