アレクシオスとエラ
神経の昂ぶりは眠りを浅くする。
ワインを飲み、極力情報を遮断して横になったが、思い浮かぶのは今日の昼の出来事ばかり。戦闘の場面を繰り返し思い出しては、それが記憶なのか思い込みなのか確認する。
それでも無理やり目を閉じていたアレクシオスは、やがてやってきた浅い眠りに身を任せた。
普段であれば考えられないが、アレクシオスは戦闘の最中に何度も胸元にいたエラに気を取られていた。無理に身体を動かす場面もあり、思うような動きができなかったのだ。
(だが、守る、とはそういうことだ)
そんなことを夢現の中でぼんやりと思う。
国を、民を守るという大義の前に、今手の中にある小さな命を守るということ。
自分に課せられた使命は多く、その使命のために多くの人間が自分を守っている。怪我をすればその後の行程や予定が狂い、さらにそれにより繋がるべき未来が繋がらなくなる可能性がある。
国の未来を良い方向へ持っていくために、国を守るために、自分は守られるているし、自分を守らねばならない。
だが、エラは違う。
小さな命をアレクシオスは必死に守った。大義でも何でもなく、ただ小さな命を守ろうと必死になった。
(命、なんだろうか)
この不思議な小さな妖精は、魔法が見せる幻なのか。魔法が解ければ消えてしまうのだろうか。
(命であってほしい)
ふとそんなことを思う。
そしてこの小さな妖精のことを共有し、ユーリエと語りたいと思った。
(明日こそはユーリエ王女と会えるだろうか)
贈り物は用意している。喜んでくれるといいが、ここに来て用意させたエラのドレスや家具も見せたい。
どんな反応をするだろう。アレクシオスがこんなにも一人の女性に早く会いたいと思うのは初めてのことだった。
――遠くで知らない異国の歌が聞こえる。
この国の歌だろうか――。
その歌の心地よさに次第に思考が溶け、眠りの底に沈むその瞬間、覚醒するのとほぼ同時にアレクシオスの身体が反射的に動いた。
(誰かいる)
枕の下に隠している短剣に素早く手を伸ばし、鞘から抜くのと同時に半身を起こし、その赤い瞳を開いた。
「…………!」
月明かりの差し込む部屋に白い小さな光がチラチラと舞っている。
そして、自分の隣に横たわる女性。
波打つ金色の髪がぼんやりと光を放ち、形のいい小さな唇からすうすうと規則正しく呼吸が聞こえる。
「……っ、だ……」
誰だ、という疑問が口から出る前に、長い睫毛がふるりと震えゆっくりと瞳が開いた。
薄い灰色のような、水色のような瞳にオレンジや緑、金色が混ざった不思議な瞳。
大きな瞳がぼんやりと開かれ、アレクシオスを見た。その複雑な、不思議な瞳の色をアレクシオスは知っている。
「……エラ?」
アレクシオスは振り上げていた短剣を静かに下ろした。ぼんやりと光るエラはじっとアレクシオスを見つめ、ふわりと微笑んだ。
するりとその白く光る細い手を伸ばし、アレクシオスの頬に触れる。その指先のぬくもりは、間違いなくエラが命であることを伝えてくる。アレクシオスはそっとその手の上に自分の手を重ねた。
自分が守った命。
無事でよかったと、心から思う命。
「……アレクさま」
透き通るような声で名前を呼ばれ、アレクシオスは不覚にもドキリと身体を揺らした。
縫い留められたように視線を離せない。アレクシオスは息を呑み、じっとその光を見つめた。
「……お話するのが楽しみです」
「え?」
エラの言葉にぎゅっと触れていた手を握りしめると、エラは小さな声で歌を歌った。
それは不思議な、何重にも声が重なったような複雑な響きを持ち、いつか訪ねた異国で聞いた、見たことのない楽器が奏でた透き通る音色のようでもあった。音が美しく色を持ち、音とともに周囲に広がるような感覚。
その心地よさにじっと耳を傾けていると、やがて歌は止み、エラの瞳がまたゆっくりと閉じられていく。
まだ眠らないでほしいとアレクシオスがそっとその頬に触れようとした瞬間、一瞬だけ強く光ったエラの身体が元の小さなエラに戻っていた。
一部始終を見つめていたアレクシオスは呆然と隣で眠る小さなエラを見下ろした。静かな室内に、小さな小さな寝息が聞こえる。
魔法のような、夢の中のようなひととき。だが今、間違いなくエラは一人の女性として自分の隣りにいた。
頭が混乱する。これは何だ? 何が起きたのか。
『……お話するのが楽しみです』
そう話したエラの言葉。
「……まさか」
ベッドの上で呆然とエラを見下ろすアレクシオスに、お気に入りのクッションに横たわっていたレトが尻尾をひとつだけ振って応えた。




