アレクシオスとレト
「突然の訪問、申し訳ない」
セオドリックと会食でまた会う約束をして、アレクシオスはユーリエの王女宮へ向かった。
登城する直前に買った花を持参し、玄関で出迎えてくれた執事長と侍女長に詫びを入れると、執事長が頭を垂れた。
「アレクシオス・リュサンドロス王太子殿下をお迎えすることが叶わず、大変申し訳ございません。ユーリエ王女も大変心を痛めております」
「いいんだ。滞在中に会うことが叶えば嬉しいが、くれぐれも自愛するように伝えてくれるかな」
「はい。もちろんでございます」
応接室でお茶を勧められたがアレクシオスは辞退した。他国の王太子の話し相手など、執事長と言えど荷が重いだろう。
(本当に体調を悪くしたのだろうな)
青い顔をした使用人たちを眺めてそんな感想を抱いた。自分に対する敵意や嫌悪感が感じられず、困惑の色が強いからだ。
「では、これで失礼する」
そう言ってアレクシオスが踵を返すと、馬車の中で待機していたレトが突然飛び出してきた。
「レト!? 待て!」
常ならばすぐに命令を聞くレトは、屋敷の横にある垣根を飛び越え庭へと駆けていく。
「レト!」
同じように使用人たちも身を乗り出し庭を見る。
(なんだ? 刺客……に対しての反応じゃない)
テオが後方でアレクシオスに馬車へ戻るよう進言したが、アレクシオスはそのまま身を乗り出し庭の先を見た。庭の奥に四阿が見えるが、誰かがいるような様子はない。猫の鳴き声がしたが、猫がいるだけではレトはあんな反応をしない。
その場を動かずじっと庭を見つめるアレクシオスを護るように、騎士たちが周囲を取り囲み場は騒然としたが、やがてレトが何かをくわえて尻尾を振りながら走り戻って来る姿が見えた。
「レト! 止まれ!」
今度は主人の命令に従ったレトはその速度を落とし、嬉しそうに尻尾を振りながら眼の前までやって来た。
「これは……何を見つけてきたんだ? レト」
口にくわえているのは金色の髪の小さな人形だった。
牙を立てないよう優しく噛んでいる。アレクシオスが手を添え取り上げようとしても、レトは何故か離さない。
「そっ、それは姫様のお人形です!」
「ユーリエ王女の?」
侍女長のその言葉にもう一度人形を見ると、確かに良い生地で作られた服を着ているし、造りがとても細かい。
「そ、そうでございます。子供の頃お亡くなりになった御母上様から頂いた大切な、大切な人形でございます……っ」
(木登りが得意な、活発な王女ではなかったか?)
しかし、亡くなった母君の形見であればさぞ大切にしていただろう。このまま無理に取り上げて人形に傷がつくのは良くない。
アレクシオスは侍女長に明日改めて返すことを約束し、人形をくわえたままのレトと共に滞在する屋敷へと向かうことにした。
*
「レト、さあもう離して」
馬車に乗り込み改めてレトの前に手を出すと、あっさり人形を離した。手のひらに乗る人形は思っていたより柔らかく、温かい。
(随分精巧に作られているな)
レトのよだれでベタベタになってしまった人形に顔を近づけじっと観察する。不思議な瞳の色をした人形だった。それにとても柔らかい。一体どんな素材でできているのか、気になりじっと観察していると、ふわりと甘く、柔らかな薔薇の香りが漂ってきた。
(人形から香りがする)
愛犬はこの匂いが気に入ったのだろうか。だが、今までこんなことをしたことがない。
不思議に思いながら、いつまでも不満を述べている従者を諌めていると、人形がひとつ、瞬きをした。
(…………え?)
何かの見間違いか。
アレクシオスはじっと手の中の人形を凝視した。自覚はないが、余程疲れているのかもしれない。そう思いながら見つめていると、僅かに人形の瞳が揺れた。そして、手の中でもぞりと動いた。
(……動いた)
間違いない。
手の中にある人形は、――生きている?
(なんだ? 魔法……、いや、こんな魔法は聞いたことがない)
向かいの席で何やら言っているテオの話に空返事をしながら、アレクシオスは早く馬車が到着しないかと落ち着かなかった。
そして、手の中にいる、この人形ではない何かがユーリエのものであるということに、これまで感じたことのない期待や好奇心が湧き上がるのを感じていた。
(ユーリエ王女は、普通の王女なんかではなかった)
特に印象の残らない王女だと勝手に思っていたが、見当違いだった。まだ会ってもいない相手を情報だけで決めつけてしまい申し訳ない気持ちになる。
――そして。
(これは、早く会いたいな)
柔らかなぬくもりを守るように手の中に優しく納め、アレクシオスは僅かに口角を上げて、窓の外をずっと見つめていた。
明日より、昼十二時の投稿になります。
引き続きよろしくお願いいたします。