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小さな魔法の物語  作者: かほなみり
第一章
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ユーリエ・ガブリエラ・エレノア


「もう! 一体どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」


 まだ空が白み始めたばかりの早朝。汗だくになって床の上に大の字に転がり、大きな声で叫んでみる。

 けれど、その言葉を聞く人はいない。

 床に転がったままじっと高い天井を見つめていたけれど、こんなことをしていても状況は何も変わらない。痛む身体を起こして、見慣れたはずの部屋を見渡した。

 広い空間、遙か遠くに感じるクローゼットの扉、まるで建物のように背の高い椅子、テーブル。見上げれば、たった今飛び降りたベッドも中々の高さだ。

 広すぎる空間も大きすぎる家具も、いつもの私の部屋なのに恐怖すら感じてしまう。

 何が起きているのか分からない、どうしてこんなことに?

 何度も同じ疑問が浮かび、けれど答えなんて出るはずもなく、そしてまた同じ言葉をくり返す。


「……これは夢、これは悪い夢よ。きっと醒めるわ」


 そう、こんなこと、あるわけがないのだ。

 ――私が、私の身体が小さくなってしまったなんて。

 

 ***


 青い空にゆったりと白い雲が流れる昼下がり。

 

 王城の古い図書室に、今日も護衛を一人連れて訪れた。

 新しく建てられた真っ白な王立図書館も素晴らしいけれど、私は古くからあるこの図書室のほうが好き。

 歩けばギシギシと音を立てる床板、インクと古い本の匂い、所狭しと並べられた本棚。入口の横にいる年老いた司書はいつも眠そうな顔をしている。

 本が積まれ狭くなった通路は、甲冑をつけた護衛騎士のロイが歩くには窮屈そうで、積まれた本を崩さないよう気をつけながら歩くその姿に、クスクスと小さく笑ってしまった。

 古い木造の建物は人気(ひとけ)もなく、好きな読書に没頭するには最高の場所。いつも来ているのに、いつも新しい本を発見する。それがなんだか楽しくて、ここに来るのが私の日課となっていた。


「ユーリエ姫」


 何冊か手に取ってパラパラと本をめくっていると、優しい声に名を呼ばれた。


「サエラ様」


 王太子妃サエラが、大きなお腹を抱えて狭い通路に立っていた。窓からさす光が銀色の髪を輝かせ、その姿はまるで女神のよう。


「お久しぶりね」

「はい。お身体はいかがですか?」

「お陰様で。この子に早く出たいと毎日お腹を蹴られているわ」

「まあ! 元気なお子なのですね。良かった」


 優しく笑いながらお腹を撫で、サエラ様は薄い水色の瞳を私に向けた。


「気分はどう?」


 サエラ様から投げかけられたその言葉に、胸がずしりと重くなる。けれど、悟られないようにニコリと笑顔を返した。


恙無(つつがな)く」


 王女らしく答えると、サエラ様は小さく笑った。


「セオドリック殿下から、お相手はお人柄のいい方だと聞いているわ。心配しなくても大丈夫よ」

「はい」


 そう返事をしても何か言いたげなサエラ様に、侍女が背後から耳打ちをする。それを聞き、サエラ様はふう、とため息を小さく吐いて困ったように眉尻を下げた。


「……ごめんなさい、まだお話したいのだけれど侍医が来る時間になってしまったわ。また改めてゆっくりお話しましょう」

「はい、ぜひ」


 腰を落とすとサエラ様は柔らかく微笑み、護衛たちと共に狭い通路を引き返していった。立ち去るのを見送り姿が見えなくなると、自然と深い溜め息が出る。


 一番上の兄セオドリック王太子の妻、サエラ王太子妃が第一子となる子を宿し、現在王城は厳戒態勢だ。何処へ行くにも常に周囲に人がいて、窮屈そうに見える。


「王太子妃になるって大変ね」


 そう呟くと一層憂鬱になった。

 気分が塞ぎそうになるのを、ふるふると首を振り意識を手元の本に戻す。


「……姫様」

「大丈夫よ、ロイ。これを借りて戻りましょう」


 ロイが差し出してくれた手に本を何冊か渡し、私は重い気持ちを抱え王女宮へ戻ることにした。


 ここ、グラウディファ王国は、大陸の北西に位置する大国だ。西の海に面し豊かな資源に恵まれ、大陸を横断する大運河の約半分を国内に抱えている。

 この大運河は、大陸の国々にとって外海を回らずに荷を運搬するための重要な航路だ。

 海に面していない国は大運河からさらに水路を引き、主要産物の貿易航路や移動のために利用している。グラウディファ王国に限らず内陸の国々にとっても欠かせない流通の要であり、そんな大運河を保有する国は大陸で大きな影響力を持っていた。

 そしてこの大運河の東側、グラウディファ王国の反対に位置する王国、アントレアもまた、運河と東の海へ出る港を抱え、他の国々に大きな影響力を持ってきた。

 この二国間の友好なくして大陸の安定は望めないと言われるほど、大陸全土にとって重要なグラウディファ王国とアントレア王国の関係。緊張が続く時代もあったと聞くけれど、それでも友好的な関係を築いてきた。

 そして、このアントレア王国王太子であるアレクシオス・リュサンドロス殿下と私は、私が十六歳を迎えた二年前、婚約を結んだ。

 そう、私は東の国アントレア王国の王太子妃になるのだ。


「アントレアは民族も多く、独自の文化を持っています。街などの賑わいもグラウディファとは違い、きっと姫様もお気に召すと思いますよ」


 王女宮へ戻る回廊を歩きながら、ロイが気遣わしげに声をかけてくる。

 

「ロイはアントレアに行ったことがあると言っていたわね」


 振り返りロイにそう尋ねると、灰色の眉尻を下げ懐かしそうに瞳を細めた。

 

「学園を卒業して一年ほど、剣技を学びに行っていました」

「それは懐かしいでしょうね。行くのが楽しみでしょう?」

「自分は姫様の騎士です。アントレアではなくとも、お供いたします」

「ふふっ、ありがとう」


 中庭を囲む回廊をゆったりと歩きロイの至極真面目に言う台詞に笑いながらも、心はどんよりと重たいままだった。


 二年に一度行われる二国間の会談の場で決定した、私たちの婚約。

 書類を交わしただけの、絵姿しか知らない婚約者アレクシオス殿下が、一週間後に控えた婚約式のために遥々大運河を利用し、明日この国を訪れる。

 今回の訪問で私たちは初めて顔を合わせ婚約式を行った後、アレクシオス殿下の帰国と共に私もアントレア王国へと移る。そして一年後、結婚式を行って正式にアントレア王国の王太子妃となるのだ。


(自分の国を歩いたことすらない私が、突然遠く離れた国の王太子妃になるなんて)


 私は生まれてから一度も王女宮から出たことがない。アントレア王国への移動が、私にとって生涯初めての、王城を出る第一歩になる。

 これは本来ならとても嬉しい出来事だ。初めての外の世界、旅。様々な国をこの目で見ることができるかもしれないのだから。


(でも、それも移動する間のことだけね)


 そんなふうに思い至り、また憂鬱な気持ちが心に重く蓋をする。

 決して遠くに嫁ぐことが嫌なのではない。相手がどんな人か分からないからでもない。


(何も知らないまま、世界を知らないまま生きていくしかないのかしら)


 そのことがどうしても、頭から離れない。

 ただ場所を変えるだけで閉じこもる生活から逃れられないのでは、という思いが日に日に強くなっていくのだ。

 現在、アントレア王国の現国王には側室が多くいると聞く。アレクシオス殿下は初婚なのでまだ側室はいないけれど、既に国内の有力貴族の令嬢が名乗りを上げていてもおかしくないし、可能性は高い。


(私に子ができにくいことがわかれば、すぐに側室が増えるでしょうね。そうすると肩身の狭い思いをするに違いないわ)


 この国の王族は子をつなぐ力が弱い。

 だからこそ現国王も多くの側室を抱えているのだろう。そして恐らく私も、子供を儲けるのが難しい。亡くなった母も私一人しか子を産まなかったし、嫁いでいった姉たちも、それほど子は多くない。

 そうなれば、国のため側室を抱えるのは当然の動きだと思う。

 アレクシオス殿下に側室ができて子が誕生したら、私は王太子妃の宮に閉じこもる生活になるだろう。

 結局、嫁いだからと言って今の状況から特に変わらないのだ。

 王城に閉じ籠り外の世界を知らないまま、公務を行い限られた人々としか交流しない日々を送る。知らないことは全て本で学び、実際に目にしたり手で触れることは叶わない。

 そう思ってしまう。

 ならばここから出る理由とはなんだろう?

 もちろん国のためなのは承知している。それが私の存在意義だから。

 けれどどうしても、何もできない息苦しさを異国の地で送らなければならないのかと想像して、胸が重く苦しくなる。


(――せめて、アントレアへの道中で運河から降りることができればいいわね)


 自分の足で他国の土を踏みしめ、広い空を見てみたい。

 高い塀に囲まれた頭上の空ではなく、遥か地平線まで続く大地を見たい。大きな海を見たい。人々の営みを見たい。

 本の中に書かれたことを、この目で確かめたい。


(人生で最後の旅かもしれないもの。後悔のないように世界をこの目に焼き付けたいわ)


 せめて、アレクシオス殿下がそんな願いを叶えてくれる人だといいなと、そう思いながら、ロイと共に歩きなれた王女宮へと戻った。

 

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