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厄介者、特大ネタに出会う


@×××の×××教

「今日のニュースも天使男の事件ばっかでつまんね」


@××りこりる××十二月生歌

「えやば事件あった場所家近いんだけどwww」


@××真相×

「てかこれで何件目?五だっけ?」

@××道太郎××がリプライしました

「四だと思います」


@××解読×雑学××

「前回の事件から二週間ぶりだけど今回もあのクソグロ天使の輪と羽を付けられた被害者可哀想すぎるよな」


@×××××××甘

「動画で見たんだけど天使男に殺された被害者に共通点があるってマ?」

@×××純(25)さんがリプライしました

「マジ?」

@×××××××甘さんがリプライしました

「闇深鍋ニコニコさんの動画見てみなよ。昨日の」

@×××純(25)さんがいいねしました


@×××純(25)

「うわマジじゃんwwwグッロwww」


@××♡×××

「動画の情報とか嘘じゃないの?ニュースで一つも見たことないよ」


@×××丼×イベント×××

「さすがに「カウントダウンが体のどこかに刻まれている」はドラマの見すぎで草」


@××勝勝勝×××ヨロ

「場所B公園だっけ?誰か見た奴いないの?」


@××真相×

「最初に見つけたの清掃の人らしいから、人いなかったんかも」


@××りこりる××生歌

「気になって現場いったら人居すぎてヤバいwwwあの黄色のテープめちゃくちゃ貼ってある怖すぎwww」


@×××の×××教

「ニュースで見るとウゼーて思うけどガチで見境なさすぎて多分危機感持った方がいいんだろうな……持てないけど」


@××揺らぎ××朝食

「今回の死因絞殺らしい」


@××印××××印

「なんで毎回殺し方変えるんだ?結局同じにするんじゃないの?」


@×××××万人目標!××

「今回超危険なあの場所に行きたいと思います!気になる方はチャンネル登録とベルマークの通知をオンにお願いします!ヒントは天使の最初の発見場所!」


@××りこりる××生歌

「遠目からだけどなんか赤い気がして寒気してきた……帰ろ(絵文字)ぴしゅん」






「あー……っぱネットはアテにならんねぇ」

その言葉と共に片手で抱きしめていたマウスから離れ、男は両腕を天へと掲げる。背筋や上半身の筋肉を伸ばしながら呻き声をあげ、勢いを温める。そして下から上に湧き上がる「じゅわり」感を味わいきると、伝わりもしない人差し指をディスプレイに突き立て大口を開けた。

「既出情報ばっか擦ってんじゃねーよっ!もう少しさぁ……血ぐらいで騒いでちゃあよ、つっかえねぇ……」

そう唾を吐き散らし、持っていたタバコを雑に灰皿へ押し付ける。どこにも投げれぬ鬱憤から後ろ頭を乱雑にかいても、全身に駆け巡るその虫は這い出てこない。

残り一吸いの煙草を糧に最後の最後、祈るようにスクロールを繰り返しても内容は同じものばかりだった。どいつもこいつもこの凶悪事件を遠目から見るばかり。気軽さによって社会は随分と便利になったが、それによって生まれた弄れ世代達の吐き捨て場は知ったかぶりと見たと嘯く奴らで七割を占められ、薄暗い自室で青白い光を吸血にする出不精ばかりなのだろう。かといって、最近現れたSNSにアカウントを切り替えても、背景が外なだけで中身は何も変わりはしない。結局、男の不満は煙のように消えることはなかった。若者の独特な言葉の理解に苦しんでさえいた男は、ついに我慢ならず机を拳で叩き揺らし、奇声を発する。

「ほんぎあ゛あ゛〜……。なんだよ天使男の未開情報ってよぉ……」

「ちょっと五條さん!こんな時間にそんな声出したら、ほかの階の人にまたあそこの階はって噂されるじゃないですか」

奇声に合わせ皮膚を下へ下へと引き伸ばしていると、後ろから一人の女性が歩み寄ってくる。ポニーテールのよく似合う、典型的な後輩女子だ。典型的といっても小綺麗な大企業に居座る自分の日常が誰かの得になると思い込む性格ではない。小言が多く、父親と同い歳の髭だらけの男にも難なく絡む肝の座った性格の女を指している。

「うるせぇよぉ!珈琲が冷めるくらいネットに齧り付いたらどうだ!?時間が溶け、給料と上の小言が頂けんだ最高だろぉ!?」

「五條さんが自分でネットの情報を鵜呑みにする奴は中学受験も上手くいかないって言ってたのに」

「いい加減田中さんのネット最強説を論破せにゃ、この無駄な時間は消えねぇなぁ、くそぉ……」

「また田中さんの指示なんですか?私、やっぱり言いましょうか?」

「うえぇっ。止めとけ止めとけ。後輩がパワハラモラハラの餌食になる様を、特等席で見る趣味なんざ俺はねぇから。あ、珈琲のおかわり、大変ありがとうございます」

今年四十三を迎える記者、五條連は椅子と共にくるりと回転し後輩、我妻維鈴からの珈琲を両手で受け取る。この先輩の情緒不安定さを見慣れた我妻は、入社二ヶ月で全く動じなくなっていた。五條は彼女のそんな所を大変に評価している。それと、彼女の淹れる珈琲は美味い。

「でも、このままじゃいつまで経っても記事書けないですよ」

「んあぁ。そう、だなー……。だがあの人はオマージュゲームにすらなにか新ネタがあるとか宣う人だ。馬鹿正直に背中を追っていてもそりゃとっくに骨だろうよ」

「じゃあどうするんですか?期日、来月でしたよね?」

「これ飲んだら外回りに出る。退勤したきゃ我妻、電気全部消して、鍵いつものとこにかけといてくれぇ」

喉に通る酸味と、鼻腔の中を通り抜け胃へと走る芳醇な香りは何度味わっても堪らない。アニマルセラピーがあるのと同じように、珈琲セラピーなるものも存在するのではないかと五條は疑う程だった。そして何より、独特な苦味は脳を刺激してくれる。

ジャケットが冷えてしまっていた今の時刻は数分で二十二時へ変わる。このまま夜更けへ向かえば四十代の男は素直に眠くなってしまうので、カフェインという擬似的アドレナリンに頼る他ないのだ。

「え!今からですか?」

「ああ。我妻は帰れよ、社費でタクシー呼んでも構わねぇから」

「大丈夫ですけど……ちゃんとお家に帰ってくださいね?明日は田中さんへ進捗報告があるんですから」

「わあったわあった!んじゃ、お疲れぃー」

どうしておじさんを上司に持つと、若い女の子は実母のように少し厄介な世話焼きになるのか。過去、寿退社した後輩の顔を脳内に過ぎらせながら五條は空のコップに水をつける。

五條が務める会社は最寄り駅まで十分圏内。そして例の”天使男”が起こした事件現場まで最も遠くて三十分で着く範囲内だ。流石に全てを今晩で回ることは不可能だが、二件ずつ分ければ明日の昼前には終わるだろう。上司の田中との会合は十五時を予定しているので計画としてはスムーズだ。

我妻の少し深すぎるお礼を受け取りながら、五條は心地よくなってきた夜空の下へ身を投げる。


春先が見え始めた二月終わり。花粉症ではない五條は花粉の芽吹きに敏感ではないが、桜の生まれにはつい目を向けがちだ。だがそれは決して淡く小さな命の誕生を微笑む情緒からではない。

この季節、人間の情緒は不安定で臆病になってしまう。出会いの季節、はたまた別れの季節とも謳われているがそれはあくまで年の移り変わりだからだ。ドラマや映画、小説に漫画といった娯楽物がそれに化粧めいて美しく見えるだけだろう。青春じみた台詞は洒落ていて結構だが、実際は自殺者が頭を上げる少々不穏な季節だと五條は思っている。

己の変化に耐えられない者、逆に変化を望み自らが鍵となろうとする者。未来を案じ足の震える者。そして自らの未来を贄に世の未来のため、表に主張し訴える悲しき者など、蓋を開ければ実際は春色ばかりではなく寒色の事案が後を絶たない。

だが五條はそれらに同情はすれど、胸が打ち震えることはなかった。

残酷にも彼はそういう事を”ネタ”にする記者だからだ。

人の不埒を晒し、人の澱みを晒し、人に泥を被せそれを撮る。そうして生きている捻くれ者なのだ。

「何も無い現場も、時の流れを表す立派な宣材写真だ。隣の精肉屋が閉店したっつぅのが良い味になるな」

そんな彼が今、最も血眼にして追っているのが先程も話題になった「天使男殺人事件」という、超超物騒な連続殺人事件なのである。

初めての現場は五條が今いる、この通り横の細道。道、と言ってもあくまで裏口を作るために空けられた隙間だ。奥に進んでも塀にぶつかるだけなので人が曲がって入ることは滅多に無い。


しかし、”それ”は発見された。


この細道は幅が五十五センチしかなく、当然人同士がすれ違うのは難しい。地面には空き缶やら泥溜りがあって足を踏み入れるのもはばかられる。けれど、それは横になって寝ていたという。しかも短パンにタンクトップという深夜には不釣り合いな格好。

発見者は最初人とは見ていなかったらしい。けれど”人っぽい”と考え、これがもし万が一にも当たっていたら心配だ、と善意の思考が働いた。発見者の彼はこの後、第一容疑者とされてしまうのだがこの時は夢にも思わなかったのだろう。


「は、は……?なんッ、なん、だよこれ……!?」


五十五センチの幅に横たわる両腕の無い体。そして体を挟む壁に塗りたくられた変色した血。頭上に円を描いて並べられた両腕。発見者は信じられない映像をあろうことかより正確に見ようとした。おそらく人間の好奇心が本能を凌駕したのだろう。男は手にあったスマホのライトを当てたせいで、見なくていい悲惨な光景を見る羽目になったのだという。

視界いっぱいに目撃した発見者は躊躇わず胃の中を空っぽにさせた後、直ぐに大通りを飛び出して叫びながら交番に駆け込んだらしい。その様は酔っ払いかヤク入りかと警戒されたが、実際はユーフォーキャッチャーで取りたいものを動かしてもらいたい子供の様だった。発見者を制するわけにもいかず戸惑い、対応を決めあぐねる警察を必死に発見者は引っ張ったのだ。


「死体が、死体があったんだ」

「とにかく酷い、あ、あ、有様なんだ」

「あんなの人のやることじゃない!」


そんなことを口走る発見者に連れられた警察は計二人。男の汗ばんで冷たい手を追いかけいよいよ彼らも隙間の惨劇を目の当たりにする。

入口付近に乾いて残った吐瀉物が広がったのは言うまでもない。

「……そして、ここから天使男殺人事件の奇っ怪で恐ろしい連鎖は続くのである、ってな」

五條は独り言をさも演技っぽく吐くともう一度シャッター音を噛ます。

元は怪奇事件の一ページを増やす口にし難い現場も、今ではただの汚れた細道だ。壁や床には目を凝らせば分かる汚れが残っている程度だろう。現場は絶対保存、というのに隣の精肉屋の夫婦が気味悪がって清掃を施し、それがネット上で炎上したのだ。事件現場の隣で営業できない、プラスアルファそれが原因で夫婦は店を捨て行方をくらませたといったところか。

「いやー!無駄に張り込んだおかげで、清掃の逃げられねぇ写真が撮れたのは傑作だった!脅して金でも貰ってりゃ良かったかねぇ?」

しかしそれ以降、この記念すべき第一現場には良いネタは降りてこない。たまにポルターガイストやら怨念やらを期待して若者配信者がサムネを撮りに来るぐらい、ここはライトが当たりすぎているのだ。プロならば話題性の色褪せてしまった場所は、早々に捨てるのが英断である。撮れる角度も限られているし、もうここに足を向ける必要はない。五條は再度確信を得て次なる現場へ赴くことにした。

「うん?……っと、我妻か……。勝手に帰りゃいいつったのに、律儀なもんだなぁ」

五條が今晩最後の電車に揺られる頃、我妻からの連絡に片眉を上げる。わざわざ上司に『お疲れ様でした。また明日よろしくお願いします』と伝えるなんて、可愛らしいものである。五條が捻くれ者でなければワンナイトを期待して絵文字たっぷり、カタカナ語尾たっぷりのメールをお返ししていたところだ。

「と、っとと、か、え、れ。……と」

口にしてしまうのは加齢のせいである。同車両に数人しかいないがら空き業態も相まって、五條は送信内容を全て口にして、携帯の電源を落とした。

そういえば我妻が五條のいる港善徳社に入社した時期は、丁度二件目の天使男殺人事件が発生し一同が躍起になっていた時だった。新人ながら困惑しつつも五條らの背を追っかけてきた彼女はまだ雛だったが、気づけば一人前一歩手前まで来ている。単独で取材をすることも増えている気がした。

とはいえ嫌味、嫌がらせ、揚げ足取りで評判の港善徳社には珍しい人間性である彼女はまだこの事件の担当になったことはない。五條の抱え部下なので雑用を任せたことはあるが、現地に連れていったことはなかった。

天使男殺人事件について彼女はよく質問を投げかけ、自分の進捗具合を覗いてくる。あれは独身男性の孤独死を心配してと五條は解釈していたが、もしかしたら彼女自身が関わってみたいという希望あっての行動なのかもしれない。

「だがなぁ……」

五條は己の手帳を眺めながら顎を摩る。そこには各事件の発生時刻をまとめているのだが、どれもが午後二十三時から深夜一時に発生しており女性の身を考えると少々頷きにくい時間帯だと唸りに唸る。

学生時代、運動部に所属せず文化部に趣味を没入させていた五條は下っ腹の気になる細体型だ。握力もなければ筋肉もなく、もし犯人や輩に絡まれてしまったら彼女どころか自分の身を守れるか危ういレベルである。酔っ払いの肩ドンでよろける上司にトキメキを期待してはいけないのだ。

「ま、本気でやりたきゃ志願するかね。俺ぐらいの歳の上司つぅのは鈍いのが妥当だろう」

そう言って、自己解決に落ち着いた五條は手帳を懐にしまい立ち上がる。次が目的の駅だ。革靴の先を立たせながら撫で肩の派手な男と並ぶように扉の前へと移動した。と、意識的に五條の目が動く。それは蛙のような爛々とした見開き具合と蛇のような鋭さを持っていた。

頭は五條より小さくざっと百六十八程度。パッと見青みがかったスーツだがよくよく見れば花に近い豪華な柄が描かれているのと、隣に立ったことで際立つ甘い香りに記者として身元推定の印が押された。

「コイツ、ホストだ」さらに言えば帰宅途中の、ホストだ。撫で肩だったのは疲労ゆえの脱力のせいだったのだろう。

「……ん?」

身勝手に失礼な観察をさらにしてみると、追加情報を得た五條は首をかっくりと曲げる。同時に駅に着いたようで扉が開くのだが、疲労したホストは肩を持ち上げるどころか、一歩も動かない。

「おい、あんた」

肩を掴みながら声をかける。しかしまだ動かない。これには五條も「はぁあ?」と声を出さざるをえず、ついには頬を手の甲で一発叩いた。

「兄ちゃん!?降りるんじゃないの!?」

「……ぼがっ。グ、ゴホッ、ヴェッ……は、え?お、ここえいめい?」

さらに大声を一つ、耳元でかましてやる。すると、反射的にガクついた身体が踵を浮かし、出てきたのは豚の鼻声に近い寝起き声だった。オブラートに包めば柔らかい、オブラートを破ってしまえば弱々しく情けない声はやっと五條を視界に入れるのだが、それよりもアナウンスに急かされていた彼は寝起きホストの背を押した。

「そうだよ!俺も降りるからはよ行ってくれぃ!」

「お、おお、おお!まずっ、すんませんっ!!」

上擦った五條の声でホストは車両から飛び出し、それに続く。まるで彼らの様子を呆れ見ていたかのように、寸前で扉は閉まりゆっくりと電車は立ち去っていった。

しかし五條の冷や汗は中々収まらない。自宅のベッドで寝るというご褒美を捨ててきたのに、現場にすら辿り着けなかったらとんだ恥になるところだった。半ば意地の悪い態度をしてしまったが、致し方ないだろうと思いながらホストを見やる。

ホストは、なぜだかゼェゼェと呼吸を荒くしていた。階段を一気に駆け上がったのかと疑わしいぐらい。しかし現実は、慌てて車両から飛び出した数秒程度のことである。

「だ、大丈夫か兄ちゃん?」

「はぁ……は、すん、すんませぇん……ッ」

けれどそれにしては彼の様子が著しくおかしい。今度は優しく肩に手を添えて窺った。横目で見るだけでも顔色は真っ青だった。

「おいおい……兄ちゃんホストだろ、無理に飲まされたとかじゃねぇのかい?」

「あー……それ、は大丈夫なんで、申し訳ねぇっす……」

「水ぐらいなら持ってきても構わねぇが……飲めそうか?」

ホストは、弱々しくも五條を制してくれる。だが、足に手をつき肩で息をする若者を捨て置けるほど彼の良心は腐っていなかった。良心の消費期限は分からないが、まだ賞味期限は生きている。

五條はホストをやんわりと席のそばに動かし、辺りを見てみることにした。

ここ、栄明駅は乗り換えが無いため駅員は少ないものの最低限の設備はあったはずだ。そして五條の知識通り、少し先に自販機の明るみが見え早足で水を調達する。購入後、必ず起こるラッキーチャンス機能も見ないとんぼ返りっぷりだ。しかもホストの元に辿り着く前にペットボトルの蓋を開け、僅かに飛び出た水ごと彼に差し出してやった。もしかしたら消費期限もまだ過ぎていなかったのかもしれない。

「ほら。飲みなさいよ」

「は……お、お女神様っすかぁ……?」

「誰がお女神だ兄ちゃん。枯れたオッサンをんな風に見んじゃないよ」

五條が離れている間に座っていたらしいホストは、顔を上げるとペットボトルを受け取りながら頬に二線を描く。さすが酔っ払いだ、情緒の不安定さは鉄骨の上といったところか。

「兄ちゃん帰れっか?」

「……ふう。はい、大丈夫ですすぐそこ、なんで」

「そうか。そいつぁ好きに飲みな。俺はもう行くからよ」

「あ、あのお礼!ええと、紙、紙……」

半分ほど中身を搾り取られたボトルは、ホストの手の中で痩せ細った声を上げる。そして反対の手ではぺたぺたと懐を探っており、気づいた五條は手を振った。

「構わん構わん。ちょっと期限が迫ってる身でな、悪いが行くわ」

「え!?あっ、お、お兄さん!」

ホストの様子を見つつ時間を確認したら、どうやら予定からかなり遅刻しているらしかった。今日はネカフェ泊まりだろうと覚悟しつつも、なるべく睡眠は取っておきたい。そんな気持ちに急かされ五條が踵をかえすと、ホストの大声が背中に当てられた。

四十を超えた男を「お兄さん」ときた。全く、ホストはおべっかが母国語なのはいつになっても変わらないようだ。五條は気づかれぬよう鼻で笑いながら駅を出ることにした。










ホストと別れて数分、五條はようやく目的地である住宅街の当たり障りない通りに辿り着くことができた。人気のない道はどうしても無音と陰鬱な雰囲気から不気味な印象を与える。それに時間も時間なので窓の明るい家は殆どと無いのも、それらを加速させている要因だろう。唯一ある明かりは点々と生えている街灯だけ、しかしそれも明かりと言うには不安の拭えない数しか設置されていない。

住宅街の、こういった明かりの乏しさは潰えぬ不安の種と言えるだろう。発見されにくさ、相手の顔が見れない確率の高さ、これらの情報量の低さは犯罪の完成率を大きく上げてしまうのだ。

と言っても、この栄明駅に近い住宅街での犯罪件数は少なかったような気がする。犯罪は撮り甲斐があるが、理不尽なものはないだけマシだ。五條は人の居ない通りを二枚ほど撮影して、歩みを進めていった。

「ええっと……二件目、被害者は……ああ。女子高校生だったか」

手帳に書き込んだ内容を復唱しながら、五條は過去を思い出す。


あれは、今から二ヶ月前のこと。一件目から三日経ってのことだった。我妻という新人記者を連れて向かったこの住宅街の丁度今くらいの時間帯だったが、当時はこんな静けさでは当然済まなかった。

救急車やパトカーが一本道で渋滞を巻き起こし、サイレンはひっきりなしに鳴り響いていた。さらに起きてきた住民のぼやきや騒ぎで一種のお祭り騒ぎだったと思う。

何より、被害者の両親の悲鳴は嫌でも記憶に焼きついて離れないほどだった。


「_____殺してやるっ!!うちの娘が、むすめが……っ、何をしたって言うんだ!!」

「京子!京子ぉ!ああ……あぁあぁぁあ……!」


青春真っ只中の、未来ある若者が無惨な姿で、しかも「天使」などと謳われ侮辱的な格好で晒されたのだ。遺族の悔恨がどれほどのものか、五條には考える余地もないぐらいだろう。

加えて、細道に挟まった天使がただの一時ではないという一種の予告に報道局も警察も顔が真っ青だった。

これは無差別なものなのか?

何か意図があって行われているのか?

被害者の共通点は?

犯人は単独なのか、複数犯なのか?

質問が怒涛の波になるのは避けられず、五條もその一つに混ざっていた。しかし、警察も困惑と混乱に苛まれているせいか返答はたどたどしく、略せばつまりは「こちらも何も分かっていない」と言っているようなものだったのは傑作だった。今でも笑えるネタなせいで、五條はクツクツと一人喉を鳴らす。

けれど、二件目の天使も不気味な格好だった。

電柱に寄りかかるようにして眠る、腕のない天使。輪っかはまるで落ちたように足元に作られており、塀や床に血で描かれた羽はまるで折りたたまれているようだった。自分のデスクに行けばいくらでも写真はあるのだが、頻度高く見たいものではない。

「今は……流石に何も残っちゃいねぇか。前回は白百合が飾ってあったはずだが……」

恐らく遺族や親しい人間が飾ったそれは悲しくも綺麗なものだった。事件当初は他の同情した人間がお菓子等を供えていたが、流石に道路の途中に置き続けられるものではなかったのだろう。遺族が回収したあとは注意を呼びかけていたはずだ。

そんな様々な感情の混ざりうる紺青色の現場は後少し、もう見えてもおかしくないはずなのだが。


「……ん?人、か?」

頭上に、街灯の明かりが丁度当たる場所で五條は立ち止まる。上では蛾が飛んでいるのか小さな羽音が聞こえた。けれど、そんなか弱い音がどうでもよくなるような足音が聞こえたのだ。それが五條の興味を掴んだ。

だが決して、何か特徴がある音というわけではなかった。タップダンスの音でも、ヒールの軽快な音でも、特別めいたものでも何も無いただの革靴の音なのだ。

それが徐々に近づいてくる。この時間、残業帰りのサラリーマンが五條の頭の中に描かれた。ならばさっさと歩きはじめ、会釈を済ませれば良いことだ。それを分かっているのは五條の頭。対して五條の体は、全くと動こうという気が起きなかった。

人間の体は本来、脳に信号を貰いそれに反応して動く仕組みになっている。だというのに五條を留めるものは何なのか。無意識に手帳すら懐にしまい、目を見開く五條には考える余地もなかった。

いくら街灯が偶にしかない道であっても薄らと輪郭や動くものを捉えることぐらいはできる。人間の目は馬鹿ではない。知恵を持った、生物の最上位種なのだ。

だからこそ、なにか違和感があった。五條の手を掴み足を止めるそれは本能か、はたまた職業病故の勘かもしれない。

五條は唾を飲み込む。喉が山を描き音が鳴るくらいの動作をしてついに「あの……」と声を発した。

すると、足が止まる。音が止む。影も止まる。丁度五條の周りを照らす光の中には、四角い影がひょっこりと入り込んでいた。

「……え?」

五條は目線を影にやる。そしてゆっくりと影を追うように顔を上げていった。


だって、おかしいじゃないか。

_____なぜ”人間の影が四角から始まったのだろう?”


「は……っ、はっ」

次第に五條の呼吸が詰まっていく。指先が力むせいで関節は乱れ、変な形の手が出来上がる。手に持っていたペンが音もなく落ちていってしまったが、拾われる希望は薄かった。

「はあ、はあ、はあ……!」

照らされ、照り返る汗が一粒、二粒と五條の顔から生まれ重力に従っていく。沸騰直前のような呼吸が落ち着かない。

五條は唯一の希望に縋るように一歩、片足を後ろにやってみた。しかし、まるでそれに追うように影が一歩分光に入ってくる。いやもう光に入ってくるどころじゃない。見えている、見えているのだ。

「……ッうひ、ひ、は、はっ、はひ……!?」

よくよく磨かれているのか革靴は街灯を浴びて艶々と輝く。そこから上へ伸びる足はすらりとスーツに似合った細さとシワの少なさがあるが、色はどこか褪せていた。長年着込んだ熟年ものだろうか、違う。そんなことはどうでもいい。ソレは手に、何か持っている。ビニール袋にお菓子を三袋買い込んだような大きさを両腕で抱えていた。それは髪があり、輪郭があった。肌色で鼻と口があって、目がじっとりと五條を見上げていた。目が合ったことで五條の思考に、疑問が増える。五條の身長は百七十と平均的だ。スーツを着ているような人間が立っていて五條を見上げる位置に顔があるはずがない。その顔がある高さは適当に見ても百センチもないではないか。

「う、うっ、う、嘘、嘘だろ……?」

ひっくり返った声を上げながら、五條はいよいよと正面を見る。そこまで来るとソレは五條と対面する位置にいた。

「……あ、の」

「うぅ、ぅあ……!?」

足元から肩まで、ソレは人間だ。色あせたスーツを着た、赤いネクタイの男。肩幅や目の前から聞こえた声からして男性なのは間違いない。

だがそれらの情報を焦がして上書きしてくるのは、その人物が両腕に己の物のような顔を抱え、首から上がぱったりと無いことだった。血も流れていない、本当に編集でカットされたように綺麗な一直線が目を奪う。まるで「さっき頭を切断されたものだから慌てて受け止めたけど、首と頭がお別れしちゃったんですよね」と言わんばかりの光景。現実を裏返したような絵面。五條がせいぜい見た事があるのは、首が突然落ちたドッキリ程度だ。

「どうか、しました、か?」

「ひ、ひっ、ひっ……!」

向こうは心配するような声色をする。こちらを嘲笑ってこない。

「こんな時間に……道にでも迷いましたか?」

「あ、あ……あッ」

「あの顔色が……」

「うわああ!!うわあ!!うわあああっ、ああっ!!」

まるで、普通の人間のような尋ね声にいよいよ五條は耐えきれなくなる。頭の何かしらのネジか、精神が千切れてしまいそうだった。現に理性を失った身体は、首輪を外された犬のように飛び跳ねる。さらに近づいてきた首抱え男に逃げるように足を捻り、来た道を駆け抜けて行った。

「なんだあれなんだあれ……!?なん、はぁ!?ふざ、ふざけるな……!」

先程までは目を閉じてようやくわかる程度だった緩やかな風が強く五條の皮膚を叩き、髪を捲りあげる。何度足がもつれても構わず広い灯りをもとめて走り続けた。近所迷惑など考えられず、喉が張るぐらいには声を出して拳を握りしめた。不審者だと問い詰められてもいいから、警察に会いたいぐらいとすら思った。


_____しかし、同時にこんな事を考える。

もし自分の頭がイカれていなければ、視界が病に侵されていなければ、自分が出会ったのはなんだ。頭が離れても平気に喋る頭無し男だ。血だらけでもない、さも平然と生活をしているような男だった。

あれが記事になればどうなる。記事にすれば、写真に収めればどうなる。とてもじゃないが凶悪事件じゃ太刀打ちできない、オカルト界隈が震え上がり誰もが口をあんぐりとする「特大ネタ」になるのではないか。

「くっそ、くそ、クソがよ……!」

だが悲しいかな、本能は危険信号を点滅させ全身は恐怖の麻痺が治らず逃げ足は止まらない。

早く立ち止まれと何度も呪った。そうすれば、逃げた道を引き返せる。

五條連だけが見つけた特大ネタを舐りに舐れると、汗だらけの身体に反して口角は気持ち悪いほど上がりきっていた。











「……あー、マズイな」

トントン、と抱える頬をリズム良く叩く。同時に革靴は足踏みが止まらなかった。

「腰抜けてくれるかと思ったのに。そうか、逃げられるか」

両腕に包まれている顔はあからさまに失敗からの落胆を表した。と、同時に苛立ちを覗かせる。勢いに任せて顔を地面に叩きつけたくなる心情でもあった。

「あの男が持っていたのは、なんだ?カメラか?それに……ペンを落としていたな」

しかし、感情に酔っている場合ではない。冷静に先程の状況を思い返し、今の状態を観察する。

顔はよく見えなかったが、先程の男は見かけない人物だった。付近に住む人間の顔を全て撮影し、顔や家族構成を暗記した頭はあれを「初見の人間」と結論出していた。

「油断したな……。あのよく分かんねぇ天使事件とかいうのから随分経っているから、人の歩かなさで選んだルートだったのに……」

さらにそれぞれの主な生活リズムを監視することで概ね把握し、最も人間が通らない出勤ルートと退勤ルートを確保した。この道はその一つだったのだ。だからこそ、途中でずり落ちた頭を家で帰ってから直そうという油断をしてしまったのかもしれない。これは確実な自分のミスだ。突然の侵入者は、こちらの事情を知り得ないのだから責める存在ではない。

「まあ、まあ。なら仕方ない。仕方ないよな」

目を閉じ、抱えていた頭を首に乗せる。何度かそれを回し、位置をずらすとようやく繋がってくれたようで喉が熱くなるのを感じた。

そして、コクコクと頷く。ネクタイを締め直す。

「さて、と。さっきの人、見つけて殺さないとな」

五條は彼をまるで普通の人と評した。だが頭と首が別れがちなこの男は、少々倫理観がズレていた。




そして。そんな彼を皮切りに、徐々に厄介者達は目を覚まし陽の下に出てくるだろう。

これはその始まりの、五月十八日。午後二十三時四十五分の事だった。

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