冥界のプシュケは夢の中
昔々、ある所にプシュケと言う美しい少女がいました。それは美を司る神ヴィーナスが嫉妬するくらいでした。そこでヴィーナスは愛のキューピットである息子のクピドにプシュケは化物を結ばれるようにしろと命令させられました。
しかしプシュケを見たクピドはたちまち恋に落ちてしまいました。
そしてクピドは自分の姿を絶対に見るなと約束させて、プシュケと一緒に暮らし始めました。しかし眠っているクピトをプシュケは灯りをつけて見てしまいました。それに気づいたクピドは逃げていきました。
クピドを探してプシュケは彷徨いました。そこにクピトの母親のヴィーナスが現れて、様々な試練を与えます。そして冥界にいるペルセポネと言う女神から美が詰まった箱を持って来いとお使いを言い渡されました。
プシュケは言われた通りにペルセポネから箱をもらいますが、絶対に開けるなと言われます。しかしプシュケは好奇心で箱を開けてしまいました。
すると箱の中から美ではなく【地獄の眠り】が入っていて、プシュケはたちまち眠ってしまいました。
プシュケが冥界に向かった事を知ったクピドは彼女に会いたくて冥界へ向かいました。
*
「何処にいるんだ? プシュケ」
パタパタと真っ白の翼を羽ばたいてクピドはプシュケを探しに行きます。しかし広く真っ暗な冥界ではなかなか見つかりませんでした。
冥界にはいろんな場所があります。山もあるし、森もあります。そして草原のような場所も。しかし新月の夜のように暗く、ガサガサと冥界に住む生き物たちがうごめいています。
天界に住むクピドは真っ白に光る翼があるので、その光りを頼りにプシュケを探します。しばらく探しているとキラキラと金色に輝く光を見つけました。プシュケの金髪でした。
彼女は広い草原を突っ切るような道の端っこで倒れていました。
「見つけた!」
パアッとクピドの顔がほころび、すぐにプシュケの所に向かいます。すぐに硬く目を閉じているプシュケを抱き起して、クピドは優しく語りかけます。
「プシュケ、迎えに来たよ。さあ、起きて」
そう言ってクピドはプシュケにキスをしました。
プシュケは真っ白い肌とキラキラする金髪、そして美しい顔をしていました。目を開ければ大きな瞳でいつもニコニコ笑う愛らしい女性でした。
しかしクピドがキスしても彼女は目を開けませんでした。
「……」
「……、……あれ?」
もう一度、クピドはプシュケにキスします。
「……」
「……、なんで起きないの?」
プシュケはクピドの呼びかけもキスにも反応なく、硬く目を閉じて眠ったままでした。
クピドはどうしようと思っていると、ガルルルと唸り声が聞こえてきました。パッとクピドが声の方を見ると、犬の顔が三つもあるケルベロスです。
「うわわわ! マズイ!」
クピドは急いでプシュケを抱っこして、その場から離れました。
*
ケルベロスから逃げたクピドだったが、未だにプシュケは眠ったままです。
「プシュケ、なんで起きないの?」
がっくりと肩を落とすクピドはプシュケを抱っこしたまま、自分の家がある天界に帰ろうとしました。
しかし飛び立とうとした瞬間、クピドは「あれ?」と呟きます。
「ここ、どこ?」
ケルベロスから逃げたのはいいものの、迷宮のような冥界の奥へと入ってしまい、クピドは帰り道がどこか分からなくなってしまいました。
永遠の夜の森の茂みから、どう猛な獣たちが目を光らせます。それに気づいたクピドはすぐさま逃げ出しますが、森の木々が邪魔でクピドが空を飛べず、プシュケを抱っこしながら走ります。
涙目で「どうしよう」と呟きながら。
走っているとクピドは沼地に足を取られて、転んでしまいました。綺麗好きのクピドはちょっと嫌そうな顔になって「足が泥で汚れちゃった」と呟いた。
その時、ズズズズっという音がして、クピドは音のする方に振り向きました。
「随分と綺麗な子がいるね」
沼地からぞわっとした声が聞こえて、沼地が山のように盛り上がりました。
「欲しいな、その子」
「ダメだ!」
クピドはすぐに拒否して走り出しました。
その後も森の中ではプシュケを欲しがる魔物たちが狙っているのに気が付き、クピドは無我夢中で走って逃げました。
木々の枝で身体を引っ掻き、沼地の泥で足が汚れてしまったが、それでもクピドは必死で走りました。
そうして、ようやく森を抜けて暗く広い川に着きました。
「良かった。これで空を飛べる」
そう言ってクピドは大きく翼を羽ばたかせました。するとチラチラと雪が降ってきて、あっという間に猛吹雪になってしまいました。
「もう! なんで雪が降るんだよ!」
クピドはそう言って羽を閉じて、すぐに山の洞窟に入りました。空から降る雪を見ながら、クピドはプシュケの頬を触りました。息はしているけど、とても冷たい。二人とも薄着なので、体はとても冷えていました。
「早く止まないかな、雪」
腕の中ですやすやと眠るプシュケを見ながらクピドは彼女がどうして目覚めないのか、色々と考えました。
「プシュケと最初に会う前に、僕は化物と君を結婚させようと考えていたからかな? お母様の命令だったけど、断ればよかった」
「それからプシュケが大人になる前、君に恋した男性を違う人と恋に落ちるように仕向けたのがいけなかったのかな? 本来なら君はどこかの王子様の婚約者だったんだよ。でも僕が邪魔をしたんだ」
「あれ? もしかして僕が正体を隠して一緒に暮らした時、プシュケは不安だったのかな? 普通は怖いよね。姿を見せないけど、一緒に住んでいるなんて。それなのに僕の正体を見た瞬間、君の前から逃げ出すなんて最低だよね」
「……なんか、僕、プシュケを傷つけてばっかりだ」
クピドは考えているうちに悲しくなって、プシュケをギュウッと抱きしめました。するとプシュケの口から何か言葉が聞こえてきました。
「え? 何? プシュケ、なんて言ったの?」
「……クピド様」
寝ながらプシュケはクピドの名前を呼んでいました。恐らく寝言でしたが、それだけでクピドは幸せでした。
「絶対、天界へ帰ろうね」
そう言ってクピドは雪を止むのを待っていました。
しかし洞窟の奥の方で何かの鳴き声のような声が聞こえてきました。
ヒュオロロロオロオオオ
ヒュオオオロロロロロオオオ
「え? 何?」
恐ろしくてギュウッとプシュケの事を抱きしめました。洞窟の外はまだ猛吹雪です。
猛獣だったら、どうしよう。クピドは戦う事が出来ません。逃げるしか出来ないのです。でもこんな猛吹雪で逃げるなんて危険です。
クピドはどうしようと思っていると、突然、洞窟の奥から突風が吹きました。クピドとプシュケはあっという間に飛ばされてしまいました。
*
真っ白い猛吹雪でクピドとプシュケは空を舞いました。あたり一面が真っ白で、何処にいるのか分かりませんでした。
強い風でクピドはプシュケを離しそうになりましたが、絶対に離すもんかと思い両腕で抱きしめていました。
プシュケも眠っていましたが「クピド様」と言って、彼女もクピドの身体を抱きしめていました。
そうして二人は猛吹雪の中、地面に落ちました。幸運な事に地面は雪でしたので、クピドもプシュケも怪我は無さそうです。
ようやく吹雪はやみ、クピドは再び天界に帰るためプシュケを抱っこして歩き始めました。
長い時間、飛んでいるとついにプシュケが倒れていた道にたどり着きました。
すでにクピドの姿はボロボロでした。翼は毛羽立っていて、綺麗な金色の髪はボサボサ、服も汚くなり、手足は傷だらけでした。
それでもプシュケは守っていたおかげで無傷です。
「良かった。ここからなら天界へ行く道が分かる。あれ?」
クピドはプシュケが倒れていた場所に落ちている物に気が付きました。近づいて見てみると小さな箱でした。
「そうか、プシュケは箱に入っていた【地獄の眠り】で眠ってしまっているんだ」
クピドはそう言いながら箱を開けると、プシュケの中にある【地獄の眠り】がスルスルと出て行って箱の中に入って行きました。
するとプシュケの固く閉じた目がパチッと開きました。零れ落ちそうな大きな瞳にはクピドが写っています。
そして口元がほほ笑み、「クピド様」と言いました。
「ああ、プシュケ!」
そう言った瞬間、パッとプシュケが消えてしまいました。
「ええ! プシュケ! プシュケ! どうして消えてしまったの?」
クピドは驚き、辺りを見ると道がどんどんと暗闇に消えてしまいました。
すぐに飛んでプシュケを呼んで探していると、「クピド様」と呼ぶプシュケの声が聞こえてきました。
「あ! プシュケ! どこに居るんだ?」
「クピド様、クピド様」
「プシュケ!」
「起きてください、クピド様」
「え?」
パッとクピドが目を開けると、プシュケの美しくて優しい笑みが見えました。
「起きて良かったです。悪い夢を見ていたようで、うなされていたんですよ」
「あ、そうだったんだ」
クピドは思い出しました。冥界で迷ってプシュケに入った【地獄の眠り】を箱に入れた後、すぐに二人で天界に帰った事を。
そしてすっかり疲れてしまってクピドは眠ってしまいました。
そう、クピドは夢の中でプシュケを探す旅をもう一度、やっていたのです。
「ひどくうなされていましたよ。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
プシュケが持ってきたお水を普通の顔をしながらクピドは飲みます。
実を言うと冥界でプシュケを探していた時、夢の中と同じように迷ったり慌てたり不安になってボロボロになっていました。
でもその事はプシュケには内緒で、すぐに見つかって二人で天界に帰ったと話してあります。
「プシュケ」
「はい」
「大好き!」
「私も大好きです!」
クピドとプシュケは幸せそうな顔でそう言いました。