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やさしき抱擁

「体もこのように広がっている。夜間になると痛みを伴うが、きみとこうしている分には不思議と痛みがおさまる。いままでは毎夜夕食を終え、自分の部屋に戻ると痛みが出てくるが、それもきみがここに来る以前よりかはずっとマシだ。体調もよくなっている。とくに食欲は、驚くほど旺盛になった。その大きな変化もあって、もしかするときみは聖なる力を持っているのかと」


 彼が苦笑交じりに言っている間に、ローテーブルをまわって彼の側によっていた。


 これにもまた驚いた。無意識の内に行っていたからである。


「顔や腕など人目に触れるところは、子どもの頃から出ていた。だから、ずいぶんと好奇の目で見られたり、中傷されたりしたよ。まだ家柄のお蔭でひどすぎるまではいかなかったが。レディたちからは、控えめにいっても手痛い目にあわされたよ」


 想像に難くない。彼がどれだけ傷ついたことか。


 わたしもまた、彼を傷つけてしまった。


 傷つけておきながら、彼の心のことを思うとたまらない気持ちになる。自分ではどうしようもない人生、がんばってもあがいてもかえられない状況。夢や希望、ささやかなよろこびすら見いだせない日々……。


「なぜ泣いている? これが、この痣が気味悪くはないのか? 同情しているのか?」


 戸惑ったような彼の声でハッとした。


 彼の横に座り、彼の顔を撫でていたのである。彼は、そのわたしの手をつかんでいた。


 彼の手は、大きくて分厚くてゴツゴツしている。なにより、とてもあたたかい。


「痣が気味悪い? わたし、わたしはそうは感じません。気味が悪いのではなく、憎いのです。この痣が、心身ともにあなたを苦しめているのですから。そして、わたしはいま悔しくてなりません。なにも出来ない自分が、腹立たしくてならないのです」


 彼に指摘され、涙を流していることに気がついた。


 これまで、名ばかりの家族になにを言われてもどんなことをされても一度も流れたことのなかった涙。それがいま流れている。


 これもまた、理由は分からない。だけど、一度そう自覚すると涙を止めることは出来なかった。


「も、申し訳ありません。涙が止まりません。止められません」


 涙どころか鼻水まで出てきた。


「その涙がわたしの為だとしたら、謝るのはわたしだ」


 気がついたら、彼に抱擁されていた。


 彼は、グズグズと涙と鼻水を流し続けるわたしをいつまでも抱擁し続けてくれた。


 このときだけは、すべてを忘れてあたたかさとやさしさに包まれるに任せていた。



 彼に部屋まで送ってもらい、しばらくの間寝台に座って考えていた。


 たったひとつのことを。


 残りの人生は、彼の為に生きよう。いえ。彼の為に生きようだなんて畏れ多すぎる。彼に苦しんだり悲しんだり悔しがったりつらい思いをさせたくない。ということは、呪いが解ければいい。痣さえなくなれば、すべてが解決する。


 わたしの残りの命を彼に譲れたらいいのに。残りの命を捧げるので、呪いの解き方を教えて欲しい。


 どうすれば呪いが解けるのかしら? というよりか、痣が消えるのかしら?


 だれかその解決方法を知らないのかしら?


「はーっ」


 大きな溜息が出てしまう。


 わたしにわかるわけはない。アンドリューやビルは、あらゆる手を尽くしているはず。その結果、他国の「聖なる力を持つレディ」にすがらざるを得なかったのだ。


 やはり、わたしにわかるはずはない。


「わたしがいることで、彼はほんとうにラクになっているのかしら?」


 つぶやいていた。


「そうよね。ビルと違い、彼はそんなおべんちゃらやお愛想を言うタイプではないわよね」


 さらにつぶやく。


 そう。アンドリューがレディをよろこばす為におべんちゃらを言うとは考えにくい。


「それなら、ただここにいるだけでいいのかしら? いままで通り、彼の側で家事をすればいいのかしら? 彼の好きな料理を作り、夜は出来るだけいっしょにいてすごせばいいのかしら?」


 つぶやいてから、急に顔が熱くなってきた。訂正。顔だけではなく、全身熱くなっている。


「わたしったらなにを言っているの? 夜は出来るだけいっしょにいてって、ただ側にいておしゃべりや読書をするということよ」


 けっしてけっしてやましいことではない。


 そもそもわたしたちの婚儀は解消されているようなもの。さらには、そもそもわたしは身代わりで、ほんとうの花嫁ではない。


「わたしは、ただの役立たずの不器量な役立たずよ。そんなわたしが彼にどうのこうのだなんて……。そうよ。彼の為に生きたいというのも、ただ単純に人としてそうしないといけないという使命感からきているのよ。けっしてけっして、やましい気持ちからではないわ」


 この夜遅くまで、寝台の上で何度も何度も同じことをつぶやいていた。


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