呪い
こんなに家事が楽しいだなんて、祖国にいたときには思いもしなかった。
結局、やっていることは以前とかわりはない。
だけど、心の持ち方はまったく違う。
「呪われ将軍」とビルの為に食事を作り、掃除をし、洗濯をし、使わなくなって久しい花壇の手入れをしたりすることは、ほんとうに楽しくてならない。
どうしてこんなに楽しいのかはわからない。
残念ながら、「呪われ将軍」アンドリューと親しくすることはない。それどころか、二言三言会話をかわすことさえない。それでも、彼はわたしの作った料理を食べてくれるし、掃除中に通りかかったらさりげなく物をどかしてくれたり運んでくれたりする。洗濯だってそう。気がついたら、物干し場まで運んでくれている。
そういうおしつけがましくない自然な感じのやさしさに感動する。
だからこそ、かもしれない。彼ら、というよりかはアンドリューの為になにかしたい。少しでも役に立ちたいと思うのかもしれない。
姉の身代わりでここに来ている、という罪悪感もある。
心身ともに自由になった解放感と、日々の楽しさのせいであっという間にときがすぎていく。
ハッと気がついた。
数日間なんてとっくの昔にすぎている。これ以上は置いてもらえない、と。
アンドリューのもとを去ったあとの心の準備をしなければ、と考えていた。が、まったく出来ていない。
どうしようかと悩んでいるタイミングで、ビルに話があると言われた。
(ああ、もうダメね。きっと、『はやく帰国しろ』という催促に違いないわ)
覚悟が出来ないまま、彼と厨房でお茶飲みつつ焼き立てのマドレーヌを食べることにした。
「ワオッ! チョコチップ入りのマドレーヌですか? うまそう」
ビルは、一個手に取るなりかぶりついた。
「あーっ、なんてしあわせなんだ」
彼は、あいかわらず和ませてくれる。
うっとりしている彼を見て、おもわず笑ってしまった。
「レディ、やはりあなたは笑顔がよく似合います。それから、このチョコチップ入りのマドレーヌも最高です」
「どちらも褒めていただいてありがとうございます。閣下の分は、あとでお持ちしますね」
「ぜひお願いします。じつは、話というのはですね」
ドキリとした。あらためて、「出ていけ」と言われる覚悟をした。
「閣下のことなのです。レディ。閣下の呪いについて、あなたはすでに気がついていますよね?」
ビルは、かっこかわいい表情をあらためた。
「え、ええ。そうですね」
控えめに答える。彼の言う通り、アンドリューにかけられている呪いとやらがどのようなものなのか、気がついている。
日頃、アンドリューのことを見て見ぬふりをしながらでもついつい盗み見してしまう。
アンドリューは、いつも銀仮面を装着して長袖を着用している。が、どうしても隠しきれるものではない。
隠しきれていない部分……。焼けただれたような痣が広がっているのである。
「全身、というわけではありません。ですが、ほとんどといってもいいでしょう。しばらく前から急激に広がり、それでこの屋敷にこもらざるを得ないのです。外見だけではありません。ひどく痛むのです。それらは、彼から生きる気力を奪ってしまっています。彼は、痣によって命を奪われるか彼自身が命を絶つのかという瀬戸際まで追い詰められています。もちろん、本人はそのようなことはいっさい口に出しませんが。今回の縁談を拒否したのも、相手のレディ、つまりあなたのことを思ってのことです。そして、会ってから可愛げのない拒否をしたのもその為だったのです」
ビルは、溜息をついてから続ける。
「最近、彼は苦痛に苛まれながらもせっかくだからとあなたが作ってくれた料理を食べるのです。感動しながらです。こんなに心のこもった料理は初めてだ、と言っています。こんなことは、これまでにありませんでした。食事が出来るようになったことでもわかるように、ここ最近の彼はすごく調子がいいようなのです。もしかすると、あなたのお蔭かもしれません。彼に黙っているよう言われているのですが、あなたのお蔭で彼の調子がよくなったのならと推測し、話しました」
ビルは、いっきに語ってくれた。肩で息をしている。その語り口調は、心からアンドリューを思い、心配していることを感じる。