「呪われ将軍」の副官ビル・スチュアート
月がすごく大きい。月ってこんなに大きなものだったかしらと、驚きを禁じ得ない。
その大きな月を背にいただいてひっそりと建っている屋敷は、なんの変哲もないただの屋敷。おどろおどろしいとかめちゃくちゃ大きいとか奇抜な外観とかはいっさいない。
トランクを両手に提げ、一歩一歩進むごとにイヤでも緊張が増す。
門もなにもなく、いま歩いているこの辺りが前庭にあたるのかもしれない。庭園があるわけでもないし、噴水やなにかしらのオブジェがあるわけでもない。芝生が広がっているだけである。もっとも、その芝生はちゃんと手入れされているけれど。
玄関の両脇や二階など、幾つか窓はあるけれど、そのどれからも明かりは漏れていない。
(もしかして、だれもいないのかしら?)
少しだけ期待してしまう。
玄関の前に立つと、呼び鈴を見つけた。背伸びをし、かろうじてそれに届いた。
二度鳴らし、どうなるかドキドキしながら待ってみた。
正直なところ、だれにも出てきてほしくない。留守だったら、このまま回れ右をして去るのに。とはいえ、どこへも行く所がないのだけれど。とにかく、気持ち的にはこのまま帰りたい?
が、期待通りにいかないのがわたしの人生。あっという間だったかもしれないし、少し経っていたかもしれない。とにかく、扉の向こうに人の気配がした。と思ったときには扉が開いた。
開いた扉の向こうに立っているのは、将校である。
月光の中、かっこよさと可愛いさが混じり合った顔立ちをしていることがわかる。
「なんてことだ。ほんとうにやって来るなんて」
彼は、同じ文言をつぶやき続けている。
「あの……」
なんて言っていいかわからない。とりあえず、なにか言いたそうな感じを醸し出してみた。
「おっと、これは失礼。ささっ、中へどうぞ」
彼は脇へどきながら、自然な感じでわたしの手からトランクを奪い取った。
中に入ると、光といえば月光だけで薄暗い。かろうじてなにかがあることがわかる程度。
「レディ、すぐに灯りをつけます。いやー、職業柄夜目がよくきくもので、灯りがなくても気にならないのです」
彼は、スタスタと奥の方へ歩いていく。
「大丈夫です。なんとか見えます」
「では、とりあえず居間へどうぞ。気を付けてください」
彼が荷物を運んでくれているので、ずいぶんと身軽になった。
薄暗い中、彼についていくとエントランスのすぐ側の扉を開けて入って行く。そのあとについて部屋に入ったタイミングで、部屋内が明るくなった。
長椅子やローテーブルなどがある、なんの変哲もない居間である。
長椅子の側にトランクが置いてある。
彼が戻ってきた。
「ビル・スチュアートです。将軍アンドリュー・スタンフォードの副官兼参謀兼使い走りをしております」
彼は、かっこ可愛い顔にいたずらっぽい笑みを浮かべている。
その言い方が可笑しくて、ついつい笑ってしまった。
「素敵な笑顔ですね」
(彼はきっと、レディの扱いに慣れているのね)
彼は、ニッコリ笑っておべんちゃら言った。
今のがお世辞だとわかっていても、これまでお世辞さえ言われたことのないわたしは嬉しくなってしまう。
「ユノ、あ、カミラ・サザーランドです」
有頂天になるほどではないけれど、おもわず本名を名乗ってしまった。慌ててお姉様の名前に言い直す。
「ようこそお越しくださいました。連携がとれておらず、申し訳ありません。今夜はもうお疲れでしょうから、閣下には明日ご紹介いたします」
その提案に心からホッとした。
いますぐに「呪われ将軍」に会わずにすんだから。
そのあと、部屋に案内してもらった。それから、厨房にも。
わたしの分の夕食の準備があるわけはない。
厨房に連れて行ってもらい、食材を使う許可を得て自分でサンドイッチとスープを作った。
ビルもお腹がすいているというので、彼と「呪われ将軍」の分も作った。
食材の種類の豊富さや量に驚いてしまった。
(わたしが食べる為に本当にいいのかしら?)
屋敷では、お父様たちの分を作っていた。だけど、わたしが食べられるわけはない。残り物でさえ食べさせてもらえなかった。
「クズで不器量なおまえは、カビの生えたものや腐ったもので充分よ」
お姉様にそう言われ、わざと食材をカビさせたり腐らせ、それを食べさせられたことが何度もある。
もちろん、一切食べられなかったことも。
だから、この夜は思う存分食べた。
今夜は、お腹も気持ちも満ち足りている。
(こんな満足感、はじめてかもしれない)
満ち足りすぎてたっぷり眠った。眠りすぎてしまった。