アンドリュー登場
「というわけで、わたしを殺したところで、閣下は悲しみません。精神的に追い詰められることもありません。お荷物が減ったと、かえってせいせいするでしょう」
自分で言いながら、ほんとうにそうだとしたらちょっとだけ悲しいかも、と悲しくなった。
というか、かなり悲しいかも。
「いいや、嘘だ。このレディは、嘘をついている。おまえたちふたりの様子を見れば、嘘だと丸わかりだ」
マントの男が言った。
(あなたに嘘つき呼ばわりされたくないのだけれど)
嘘をついてここまで誘き出したくせに、と苦笑してしまいそうになる。
「嘘ではありません。すべて真実です」
(とくに死ぬことに関しては、ね)
「だから、帰らせてもらいますね」
ニッコリ笑みを添え、彼らにさよならを告げた。
すでにジリジリと後退している。
「おっと、レディ。せっかく来たんだ。ゆっくりしていけよ」
「そうだそうだ。もうすぐ死ぬなら死ぬで、おもいっきり楽しんでからでも遅くないだろう?」
甘かった。背後にも何人かいたのである。
その中のひとりに羽交い絞めにされてしまった。
「妻女だろうとメイドだろうと、将軍のところの女にかわりはない。殺る前に楽しめば、よりいっそう奴の顔に泥を塗ることになる」
ああ、わたしってば考えが甘すぎた。
舌なめずりしているリーダーとその他大勢。
自分の浅慮を後悔したところでもう遅すぎる。
失うものがなかったはずだけど、いまは違う。
わが身はどうなろうとかまわない。だけど、アンドリューに迷惑や負担をかけたくない。
「はなしてください」
じたばたともがくも、大きな男に羽交い絞めにされていてはどうしようもない。
悪漢たちは、小さくて非力なわたしを物理的精神的に傷つけようとゆっくり近づいてくる。
これほどのピンチなのに、なぜか冷静でいる。怖くて不安でたまらないのに、まるで第三者的な視線で彼らを見ている。
「なあに、目をつむって違うことを考えていれば、さして苦しまずに終わる。すべてがな」
リーダーの言うことが、やけに生々しい。
「ギャッ!」
その生々しい言葉と尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が重なった。
「まさか、おまえは……」
リーダーの書物のままの台詞。みんながこちらを見ている。
訂正。わたしのうしろを見ている。
不意に羽交い絞めから解放された。
「ケガはないか? 遅くなってすまない」
が、ふたたび肩を抱かれた。今度は、やさしくてあたたかい手に。
「もう大丈夫だ」
それから、彼のうしろに導かれた。
アンドリューのうしろに。
恐怖と不安とでヒステリックにならずにすんだのは、書物のヒーローのごとく彼が助けに来てくれるかもしれない。
彼に守られながら、そう感じた。
おそらく、それは間違いではない。
こんな書物の中でしかないような筋書きがあるわけがないのに。それなのに、期待していた。
アンドリューに迷惑や負担をかけたくないと思う反面、そんな都合がよくて根拠のないことを信じていた。
「彼女に手を触れたのか? 彼女を傷つけたのか? 彼女を怖がらせたのか?」
わたしを羽交い絞めにしていた男は、地面でのたうちまわっている。アンドリューに殴られたかなにかしたのだ。
いまの彼の声は、かつてきいたことのない怖ろしい響きがこもっていた。わたしたちを囲む悪漢たちは、彼が現れたことといまの威圧的な態度であきらかに恐れをなしている。
「どうした? わたしを殺すつもりなのだろう? それとも、か弱いレディしか相手に出来んのか? わたしの大切な人を傷つけ、わたしを精神的に追い詰めようとでも?」
彼は、わたしをかばいつつ悪漢たちを威圧し続けている。
「だれの差し金だ? だれの依頼だ?」
アンドリューのすべての問いは無視されている。
彼の声だけが灯火の届かない路地裏に流れていく。悪漢たちは、文字通り息を飲んでいる。
一瞬だった。右側にいた男が、ナイフを振りかざしてアンドリューに襲いかかったのである。
「キャッ」
悲鳴が勝手に口から飛び出した。その悲鳴に触発されたかのように、他の男たちも襲いかかってきた。
ほんとうに、ほんとうにあっという間だった。
書物のヒロインのように、ヒーローの動きを解説することが出来ない。はやい話が、アンドリューがたくさんの悪漢たちを撃退するその動きが速すぎて見えなかったのである。
わたしの目には悪漢たちがふっ飛ぶところしか見えず、耳では悲鳴をとらえることしか出来なかった。
気がついたら、すべてが終わっていた。
彼はわたしをかばいつつ、ナイフで襲いかかってきた悪漢すべてをやっつけたり退散させたりしたのである。