『闇喰ヒ』3.誘蛾花(2)
3.誘蛾花(2)
午後から休暇を取った甲谷雄一郎が、鰭﨑と名乗る美少年を連れてHondaJetに飛び乗った。
ホンダ エアクラフト カンパニーの小型ビジネスジェット機HondaJetは主翼上面にエンジンがあり、一般的な胴体後部に配置するより空間が拡大し騒音や振動も抑えられている。
(なんのことはない。コイツが欲しかっただけか……)
鰭﨑は山田栄建設のビジネスジェット機を借りるのが目的だった。
行き先は岡山県。航空機を使わなくても、新幹線で一時間ちょっとで着く。
「甲谷さんは、蛾の知識は?」
「ほとんどない。害虫……というくらいしかないな」
「生物学的には、蝶とほとんど区別がありません。なお、チョウ目のほとんどが蛾です。チョウ目は鱗翅目とも呼ばれます。鱗粉の翅と書きます」
「鱗粉……」
世を忍ぶ仮の姿から変身するとき悪魔は鱗粉を身にまとうという話があったが、甲谷が自重した。年齢から考えて鰭﨑が知っているとは思えない。
「鱗粉とは別に、構造色という特殊な色があります」
「それは知っている。シャボン玉がそうだ」
建設業には塗料の知識が欠かせない。
構造色はその組織の構造によって光がそう見えるだけで、色素がある訳ではない。
鰭﨑がファイルから紙焼き写真を見せた。
「これがそのモルフォチョウです」
美しい青い色をした蝶だった。鉱物系の宝石のような金属の光沢がある。
「コレを誘う花か……」
「特殊な条件が必要となります」
「それで、小夜の皮膚に? 冗談じゃあない」
「元は豚に寄生する植物だったようです。『ようです』というのは、これまで実際に確かめることができなかったからです」
「よりにもよって……」
他のファイルも受け取り、写真をめくっていく。
「……どうやって寄生するんだ? 噛むのか?」
「チョウ目に歯はありません。口吻――口に吻と書きます――で花の蜜や樹液を吸ったりします。……今回探しているピジョンブラッドバタフライは誘蛾花の花の蜜を吸うと考えられます」
「『考えられます』? 探している?」
「そうです。ある種のチョウ目は、かなり希少価値があります」
「趣味の世界か……」
車や時計、オーディオ……。甲谷雄一郎は仕事が趣味だった。
「くだらん……」
「それが金になる世界です」
「よけいくだらん。そんなものに価値はない」
「趣味ですからね」
「それが何億もする飛行機を借りる理由なのか?」
「そうです。人を殺めるほどに。――ああもちろん小夜お嬢さんは生きてお返しします」
「当たり前だ」
岡山空港に到着すると、リムジンではなく白の軽四が待っていた。
「ホンダN−ONE?」
「助手席にどうぞ」
鰭﨑が運転席に乗り込んだ。
「免許は?」
「問題ありません」
準中型を取得して一年以上あるらしく、初心運転者標識(初心者マーク)は不要だった。
「十九?」
「二十七です。成長が止まっているんですよ」
目的のピジョンブラッドバタフライは、ミャンマー産のルビーを代表する「ピジョンブラッド」(鳩の血)から名付けられていた。
「ピジョンブラッドか……」
「希少価値があれば、その分いろいろ厄介なことになります」
「いったい幾らするんだ? この蝶蝶は……」
「ミャンマーの旧都ヤンゴンで何人も行方不明になっています」
「蝶に人を消す価値があるとでも?」
「かつてオランダではチューリップバブルがありました。……そういえば青いバラは実現しましたね」
サントリーフラワーズとオーストラリアのフロリジーンとの共同研究開発だ。これでシアン・マゼンタ・イエロー三色揃ったので黒い薔薇がそのうちできるだろう。
「着きましたよ」
小雨の残る山路の奥、霧の中に村があった。