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『闇喰ヒ』2.誘蛾花(1)

2.誘蛾花(1)


『誘蛾花――火虫ひむしいざなう花なれば』

(ヨウウァホア――ひむしのいざなうはななれば)

〝Beautiful Butterfly Habitat〟


 小夜さよはあれから笑顔を取り戻した。


 親しい友人もできたと妻のさきから聞いている。


 ただ、雨の憂いか、晩春を経ても長雨はついぞ止む気配がなかった。


 人に話せば、杞憂きゆうだと失笑するだろうが、甲谷雄一郎こうたにゆういちろうの心根には一抹の不安が残っていた。


 欧米ではうつ黒犬ブラックドッグたとえるという。


 甲谷のそれは黒くにじんだ雨雲のようだった。


 とはいえ、そのぶん仕事に集中できた。人は夢中になれば不安を忘れる生き物だ。


『支店長。受付に「鰭﨑(ひれさき)」さまがお越しです』


 内線電話から美しい声が届いた。山田栄やまださかえ建設株式会社は関西有数のゼネコンで、神戸こうべ支店でも受付嬢は綺麗どころを揃えている。


「知らんなあ……」


『「約束している」とのことです』


 予定にはない予約アポイントメントだった。


「帰ってもらってくれ」


 さわらかみたたりなし。


(たぶん総会屋だろう……)


『あのお支店長?』


「なんだ?」


『「小夜お嬢さんの件と言えば分かる」――とのことです』


「ああ。上がってもらってくれ。――丁重にな」


 電話を切ると、ハンガーから上着を取ると、ドアを開けた。


「――会議室は空いているな?」


 近くの部下の青木に、確認した。


「何名さまですか?」


「ああ……確かめなかった。一人か二人だろう」


 身なりを整える。


「大会議室なら空いていますが……」


「それでいい。一番いいお茶を出してくれ」


「今は在庫が……」


 疫病からこちら、お茶を出すことは禁忌になっていた。


「缶でもペットでもなんでもいい。よく冷えたものを……いや温かいほうがいいか」


「どのようなお客さんなんです?」


 青木が支店長の顔色をうかがった。


「知らなくていい。……ああん……私用だ。古い友人だ」


 適当に言葉を濁らせた。


「温かいお茶を用意させます」


 長年甲谷といっしょに営業畑にいる青木が察してそれ以上は言わなかった。


 甲谷が階下の会議室に入ると、エアコンと電灯の埋込スイッチをすべて押して室内を明るくした。


「チッ!(まぶしすぎる)」


 設定室温と光量を調節すると、隣のスイッチでブラインドを適当な角度にした。


 防湿防音の二重サッシなので、外の雨音は聞こえない。


「失礼します」


 ノックの後にドアが開いた。脚線美を強調した生足の受付嬢だ。


「どうぞこちらに」


 続いて入ってきたのは、美しい少年だった。


 受付嬢が左耳に手をやった。青木がインカムで指示したのだろう。一礼の後すぐに退室した。


「ようこそ。甲谷と申します」


 両手で名刺を手渡した。


鰭﨑(ひれさき)です。名刺はもっておりません」


「構いません。……どうぞ」


 広い楕円テーブルの端に二人が座った。距離は二メートル弱といったところか。


 ノック。


「失礼します」


 さきほどの受付嬢が温かいペットボトルを二本もってきた。トレイを横に置き、二人の前に置くと、静かに下がった。


 ドアが締まる前にインカムの雑音が漏れた。


「カメラやマイクはありません。私用ですので」


「そうですか……」


「不躾で申し訳ありませんが、小夜が何か……」


「ええ、少し困ったことになりまして……」


 例の件では〈鰭﨑音響事務所〉宛に多額の金員を支払っている。名目は「音響環境の調査費用として」だが、その鰭﨑音響事務所と関係があると甲谷は考えていた。


「ひと月ふた月ばかり、小夜お嬢さんをお借りできればと」


「はあ?」


 甲谷の思考が停止した。


(借りる? 何を? いや娘だが――)


「そんな莫迦な話はないでしょう。契約にはない」


「いいえありますよ。口約束ですが」


 甲谷の脳に「あとは皮膚の一部をいただければ」との言葉が再生された。


「娘を切り刻むつもりか?」


「いいえ。なんと言えばよいのでしょう。誘蛾花ヨウウァホアの媒体にする予定でした」


「媒体? ――『でした』? どうして過去形なんだ? ヨーファーファ?」


誘蛾花ヨウウァホア。中国または日本原産のナス科の植物で『いざなの花』と書きます。誘蛾ゆうがの花ですね」


「いやそんなことより娘は? さらったのか?」


「いいえ違います。小夜お嬢さん自身が誘蛾花ヨウウァホアになってしまったんです」


 雨音が聞こえるほど大きくなった。



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