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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

石碑の女神と魔の君主

作者: 豊口楽々亭

その人は美しい緋色の髪を靡かせていた。

燃え盛る炎の煽られ、金色の豊かな光沢が彼女の髪を飾り立てる。

美しい瞳が、俺を見下ろしていた。

俺と彼女とが起した戦果の炎が、澄んだ緑の瞳をこの上無く美しく輝かせる。


何度彼女の涙を拭っただろうか、この指で。

何度彼女に触れただろうか、この唇で。


何度、何度、何度。


彼女と俺が共に過ごした日々を、思い出を、反芻する。

今は彼女に届く指も唇もないけれど、どうか彼女のために祈らせて欲しい。彼女が幸せであるように。


見上げた先にある緑色の瞳が涙を溢した。彼女の眼差しに似て清い剣の切っ先が、俺の心臓へと振り下ろされる。


瞬間、俺の意識はそこで途切れた。



石碑は静かにそこに佇んでいた。

刻まれているのは、この土地の歴史だ。

10年前に起こった大最悪により土地は腐り、木々は枯れた。

原因となった男…後に魔の君主と呼ばれた者を打ち倒した一人の女神は、その戦いの末に命を使い果たし、この場で倒れたのだった。

その女神を讃える石碑に、みんなが花を手向けて祈りを捧げる。


「女神様、ありがとうございました」


「女神様、どうぞ見守っていてください」


「女神様」「女神様」「女神様」


皆が彼女を崇拝していた。

10年前に生まれたばかりだった子供達は、今も元気に笑い合っては、まるで姉に接するように石碑に抱きつき、時にはよじ登っては両親にこっぴどく叱られていた。

石碑が静かに見守るなか、移ろう季節とともに人々は成長し、文化は発展を遂げていく。

そして時は流れ、石碑の周囲の建物は素朴な木から煉瓦へと代わり、人々は信仰も、石碑の存在を忘れ去られていった。


それでも、石碑はぽつねんと、時間を止めたまま佇んでいた。風雨にさらされ風化した文字は今は読むこともできず、苔むした石がそこにあった。

動けない石碑に、意思が宿ったのはその頃からだった。



『暇だわ』


声にならない思考がこぼれた。実際は口もないからこぼれ出る先もないのだけど。

たった一人で佇んでいると、どうしたって頭の中での独り言が多くなってきてしまう。

お喋りの相手でもいれば、と思うのに私の相手ときたら時折吹く風ぐらいのものだ。

昔はもっと色んな人がいて、色んな笑い声があって、色んな気持ちが生まれたように思う。なのに、ぼんやりとしか思い出せない。

意識を持った今の方が、記憶が曖昧だった。


『どうしてかしら』


もしかしたら、寂しくて偽物の記憶を作り出して懐かしがってるだけかもしれない。

だとしたら、私は相当危ないヤツだわ。寂しい石碑暮らしが長いせいで狂ってしまったのかしら?

そんなことを悶々と考えていると、急に私は叩かれた。


「これですよね、今日撤去するヤツ」

「そうだ、そんなデケェもんでもねぇからさっさと片付けるぞ」 


少し前から度々訪れていた男達が、私に無造作に触る。

私は石碑だけど、羞恥心は持ち合わせてる。声があったら止めて!と叫んでいただろう。

でも、どんなに思っても誰にも声は届かない。

こんなにも石碑であることがもどかしいなんて…

そこまで考えて、私は気付いた。

意識が生まれた時から石碑である私が、その事に不自由に感じるなんて。


『それじゃあまるで、私に石碑じゃなかった時があったみたいじゃない』


自由を知っているから、不自由を感じているのだ。

そう気付いた途端、私と霧に閉ざされたような記憶が明瞭になっていった。

同時に震える程の恐怖が沸き上がって、頭の中で自分の声がガンガン響く。


『待って、待って!待ってっっ、私、生きてるのっ!待って、私から意味を奪わないでっっっ』


そんな願いは、地鳴りを響かせ迫る鋼鉄の機械によって掻き消されてしまった。石碑に掛かる力、めいっぱい無慈悲に薙ぎ倒される私の下から、夜よりも昏い何かが暴れ出る。


「ひっ、なんだっ、…これ、なんっ…────」

「いでぇぇえ、いたいっ、なんでっ、こんなっ…っっ」


悲鳴が上がった。

耳を覆いたくような、悲痛な声が。

細やかな粒子のような闇が石碑を避けるように広がり、工事に携わっていた男達を覆い尽くす。

闇が触れた先から皮膚を溶かし、肉を咀嚼しながら腐蝕が進んでいった。

喰らわれ、薄黄色い骨を齧られ、脂肪が溶ける。

腐敗した体液を吐き出しながら崩れ落ちる男達が横たわる地面もまた、腐った汚泥に飲み込まれていた。

石碑であったはずの私は、顔を上げる。

紅く燃えるような髪が、肩から滑り落ちていった。

見上げた先にあったのは、蒼白い美貌だった。

懐かしい顔に数百年ぶりかも分からない私の声が、細く漏れる。


「ジークリンド…」

「ブリュンヒルデ…」


彼の薄い唇が、柔らかく開かれた。

お互いが最初に口にした名前が殺し合った相手だなんて、こんな皮肉なことがあるだろうか。

私は思わず唇を歪めた。


「私を殺すために目覚めたの?ジーク」

「ああ、そうだよ。俺の愛しいブリュンヒルデ」


この上なく優しく囁く彼の声は、昔も今も変わらずに甘くて、愛しい。

この人を犠牲にした罪悪感と、痛みで心臓が止まりそうだった。

人の形を取り戻せば、記憶が鮮明になっていく。

幼い頃に繋いだ手の温もり。いつも両親に殴られていた彼を連れ出して、冒険者になった日の太陽の輝き。

初めて触れ合った時の、心臓の高鳴り。

そして、人の穢れを抱えて魔と化した彼に突き立てる、刃の冷たさ。


「だったら、早くして」

「何を言っているんだ、ブリュンヒルデ。君には俺を倒す義務があるだろう?そのために、俺はこの穢れを自分の身体に招いたんだ」


私は辛くて、真っ直ぐに彼の顔が見られなかった。なのに、彼は私に自分を倒せと囁くのだ。

私は思わず、弾かれたように顔を向ける。

人の悪意や澱を引き受け、穢れ自身となった今でも彼の瞳は変わらずに美しく、澄んでいた。


「っ…、…もう二度と、嫌よ!貴方に剣を振り下ろした時のことをまだ覚えているのにっ」


数百年前、土を癒し、人を治癒する能力のある私を人々は女神ともてはやしていた。私も期待に応えようと必死だった。

そして、引き返せないところまで来てしまったのだ。

当時、人の怨嗟を受け止め続けた大地は穢れ、腐敗が徐々に広がっていった。それを止める役割として、私に白羽の矢が立てられた。

でも、方々に生まれる穢れを癒すには私一人じゃどうしようもなくて…終わらない浄化の旅に疲弊した私に、彼が救いの手を差しのべた。


────自分が全ての穢れを引き受けるから、俺ごと穢れを討ち取ってくれ────


そう言って微笑んだ彼の笑顔が、今でも忘れられなかった。


「ブリュンヒルデ…俺はもう君に負けることはない。そして、君を贄にして生き残った者たちを、許しはしないよ」

「ジーク…っ」


私は彼の透きとおった瞳を信じられない思いで、凝視した。

彼は、私の最後の日を知っているのだろうか。女神として戦った先の物語を。

彼の肉体と共に祓われた穢れは、弱くとも僅かに燻り続けていた。祓いきれない私を無能と断じた国々は、私を封印の礎として彼の肉体と共に埋め、その上に石碑を建てたのだ。

人々には、私が自ら犠牲となったと喧伝し。


「ジーク…っ、私それでも良かったの!裏切られても、貴方が側にいてくれたから…、…私の死にも、貴方の死にも、意味があるって思えたからっ…」

「駄目だよ、ブリュンヒルデ。駄目なんだ…俺が守りたかったのは君の命、君だけの幸せ。でも、全く叶わなかったじゃないか!!」


私の悲鳴は彼に届かなかった。

代わりに彼の悲痛な声が、私のは鼓膜を穿った。

私は両手を伸ばして、虚ろ掴むように搔き握る。知ってほしかった彼への愛を集めるように。

その手を彼が、優しく包み込んで引き寄せた。

彼の皮膚から溢れだす昏い穢れは、私の肌の上を舌のように這い回り、触れた先から崩れ落ちていった。

全てを腐敗させる彼に、私だけがこうやって触れられる。


「ずっとずっと、戦おう。君が俺に勝てばもう一度、世界を救った女神になればいい。でも、もしも世界が終わったら…俺と結ばれよう…ブリュンヒルデ」


抱きすくめられると、彼の胸の中に私は閉じ込められる。

甘く昏い告白の行く末は、私にも彼にも分からなかった─────

プロットを立てた時点で長くなりそうだな。と思い、書くのを止めた話です。

供養代わりに置いておきます。

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