こんにちは、王子様
そして、件の王子様にお会いする日。
私は陛下が選任してくれた侍女と護衛と共に王子様の部屋へと向かっていた。
王城の最深部、王族の住まう区画なんて当然来たことのない私は侍女のさりげない先導のおかげで何とかここまで来れたが、では帰りは一人で、何て言われたら泣いてしまいそうだ。
「お前、お母様のアトガマを狙ってるのか」
手にはおもちゃの積み木を持ち、しかしながら随分尊大な口調で仰る、五歳児。この国の唯一の王子様、ディーノ殿下だ。
同じ美しい金の髪で、陛下にそっくりの将来を約束された幼いながらに整った造形。瞳は青みの強い紫の瞳なので、こちらはお母様似なのかしら、とっても綺麗だわ。
ふくふくのほっぺは子供らしく、白い頬は愛らしく紅潮している。見た目は、まごうことなき天使だ。
「殿下には、お初にお目にかかります、わたくしウィレミナ……」
「名などどうでもいい。おい、答えろ!」
癇癪のように積み木を投げられて、周囲にいたメイド達が悲鳴を上げる。
それを私が危なげなくキャッチすると、皆の目がハッとした。弟妹相手で子供の癇癪は慣れてるわ、挨拶も名乗りも許されずに向けられるとは思わなかったけど。
積み木の城のてっぺんにそれを置くと、私はにっこりと微笑んだ。あまりのにっこり加減に、ディーノ様は何か引いている。失礼ね。驚くのはこれからよ。
私はディーノ様の向かいの椅子を自分でさっ、と引くと、そこにどかっと座った。
これには周囲も目を剥く。そりゃあそうだ。私はド新人とはいえ、誓約書を交わした以上は身分は王妃。お妃様なのだから。こんな粗野な動きは王城の人にはあり得ないだろう。
でも今はこのお子様の度肝を抜いて、私を「私」として認識させる必要があるの。普通の宮廷人やってたんじゃ、殿下にとってはただの下々、それじゃあダメなのよ。
「お答えしてあげるわ、王子サマ」
ぴん、と小さな可愛いお鼻を弾いてやると、彼はむっと唇を尖らせた。なんて愛らしい。
「私はあなたのお母様の後釜を狙ってるんじゃないの、既に正式に後釜なのよ」
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ。きちんと結婚誓約書にサインして、正式に大司教様に認められたもの。陛下と私は夫婦よ」
愛することはない、と言われているけどね。
「嘘だ嘘だ!!」
がしゃーん! とテーブルの上に積み上げられていた積み木が、床へとなぎ倒される。慌てて片付けようとメイドが駆け寄ってきたので、それを手で制した。いちいち片付けても、どうせまた散らかされるんだから、話が終わってからで構わない。
「本当よ。国王陛下でも、大司教様にでも、誰に聞いてきてもいいわよ」
「う……だって」
ディーノ様は顔を上げて、視線を彷徨わせた。
迷子のようなその姿に胸が痛くなるが、この子を傷つけたいわけではないのだ、きちんと話さなくては。
やわい子供の身も心も、大人の無神経で傷つけることがあってはならない。
ディーノ様は年の割には賢いが、癇癪が多い、とは先に話を聞いておいた乳母の言だ。彼女も私も、原因は分かっている。これまでは対処しようがなかっただけ。
本来甘えることの出来る筈の母親がいないからだ。そして彼は母親を強く求めている。
でもそれは、私が担う役目じゃない。
他の誰にも、ルクレツィア様の代わりは出来ない。誰かを別の誰かで穴埋めすることなんて、出来やしないのだ。その人の抜けた穴は、その人の形をしている。
似ている人を連れて来て無理矢理そこに入れても、その内齟齬にばかり目が行くようになってしまう。
実母・アマンダの空席を、義母のレイリーネは違う形で埋めてくれた。同じことが未熟な私に出来るだろうか?
今の私が確実に出来るのは、新しい視座をディーノ様に教えてあげることだけ。
「でも、私はあなたのお母様じゃないわ」
「え……」
ディーノ様が驚いたように私を見つめる。ようやく、「私」を見てくれた。
「あなたのお母様は、一人だけでしょう?」
そう言うと、ディーノ様はこくりと頷く。
白い頬、金の髪に青紫の瞳。全てを持って生まれた王子様、なのに彼は耐えようのない空白を抱えている。
五歳の子供が遊ぶには、対象年齢が低い年季の入った積み木。これは先代王妃様、つまりディーノ様のお母様が生まれてくる子供の為に用意したものだ。
それを大切にすることと八つ当たりをすることは、この子の中では矛盾していない。彼は持って行き場のない思いをぶつけていたのだ。
私は椅子から立ち上がると、ディーノ様のすぐ傍に膝をつく。彼の青紫の瞳は、何をするんだろう、と不思議そうに私を追っていた。
素直で可愛い子。屈託がなくなったら、きっともっと幸せそうに笑ってくれるかしら。
私は彼の母親ではないし、母親にはとうていなり得ないけど、でも彼が真っ直ぐ育っていく手伝いは出来る。
思いが大きすぎて紐解く方法が分からない時に、ヒントを与えて一緒に考えることなら、出来る。




