公務執行妨害
建物の中に入り妃の部屋のある近くまで来る頃には私はかなり早足になっていて、僅かに息が上がっていた。陛下と私の身長差、脚の長さの所為である。
普段連れ立って歩く時はライアン様はとてもゆっくりと、私にペースを合わせて気遣って歩いてくれるのに。
「陛下?」
いい加減陛下の様子がおかしいことには気づいている。だが、声をかけても返事はなく、そのまま王妃の私室へ入った。
「どうなさったんですか? 陛下自ら呼びにいらっしゃるなんて、ディーノ様に何か?」
返事をしてくれない彼にだんだん不安が募ってきて、私の腕を掴んでいる陛下の手に触れた。やがて人払いを済ますと、ようやく陛下はこちらを見てくれた。
「ウィレミナ」
「はい、陛下」
「すまない」
そう言って、ライアン様は私をきつく抱きしめる。呼吸まで押しつぶされるかのように強い力は陛下の焦っているように感じられて、とにかく励ましたくて私も力一杯抱きしめ返す。
「大丈夫です、陛下。私は大丈夫ですよ」
そう繰り返すとそろそろと陛下は抱擁を解き、私を真っ直ぐに見つめた。
「何か大変なことが起こったわけではないんですね?」
確認すると、無言で頷かれる。
「陛下やディーノ様に何かあったわけでも、ないんですね?」
念を押すともう一度頷かれて、ほっと安堵の息を吐いた。
「なぁんだ、じゃあよかったです」
思わずそう言って笑ってしまってから、陛下がわざわざ来たんだからよかったはダメだったか、と口を手で覆う。だが、私のその一連の動きを見ていた陛下もほっと息をついた。
「ああ……すまない。少し様子を見るだけのつもりで茶会を覗いただけなのだが……そなたが困っているのが見えて、つい中に飛び込んでしまった」
「……見てらしたの?」
私は驚いて、もう一度陛下のお顔を見上げた。彼は凛々しい眉を珍しく下げて、叱られるのを恐れる子犬のような表情を浮かべている。
「余計な世話だとは分かっているのだが……」
しゅんとしてしまった陛下はとても可愛らしいけれど、確かにあまりにも些細な理由に私は瞬きを繰り返す。
「ほ、本当にそれだけが理由なのですか……」
「そうだ。もっと上手く助け船を出せればよかったのだが」
はっきりと肯定されて、ますます困惑する。ファニーの言う過保護もここまでくれば度が過ぎているのではないだろうか。
でも、こんな風に反省している人を叱ったりなんて出来ない。そもそも私を気遣ってくれたがゆえなのだ。
「……確かに少し困っていたんです。だから、今日はありがとうございます」
「ウィレミナ」
「でも次からは自分で対処しますので、あんまり心配しなくても大丈夫ですよ」
掴まれたままだった手をポンポンと叩いて、安心するように促す。
意地悪されていたわけじゃないのに、この国で一番偉い人に助けてもらうなんてあまりの過保護ぶりに卑怯な気にさえなってしまう。きっとこれからこんなことは山ほどあるのだ。
私も陛下も慣れなくては。
だが、陛下の過保護はこの後も続いた。
最初のお茶会ほどあから様ではなかったが、私が王妃として社交に勤しんでいるとちょっとした用事を言いつけられたり、呼び出しを受けたり、果てはその日の社交の予定自体が無くなっている時すらあったのだ。
これでは王妃は社交を厭っていると思われかねないし、ゆくゆくは国王陛下の評判まで下げかねない。
「陛下! 一体どうなさったんですか、いつも冷静なあなたらしくありません」
夜。ディーノ様と三人の夕食はいつも通り済ませた後、二人きりの時間にそう問いただした。
「元々そなたに公務をさせるつもりはなかったのだから、何も問題ないだろう」
しれっと言って、陛下はワインのグラスを傾ける。
いつもはあまり杯を重ねないのに、今夜の陛下は随分とワインを飲むペースが速い。
「……そういうところはディーノ様そっくりですこと!」
「ディーノが私に似たのだな」
私が何を指したか、分かっていないくせに!
「自分でも屁理屈を言ってる、て分かってる時のあなた方は苦虫をかみつぶしたような顔をしているんですよ!」
お仕事の場では平気で冷たい表情も出来ているのに、家族の前では良くも悪くも仮面を被らない陛下。
いつも公明正大に生きていて、生来能力が高いから卑怯なことなんてしたことないんでしょうね。ずるさを隠して、平気な顔をすることが出来ないんだわ、馬鹿正直め。
ズイ、と身を乗り出して隣に座るライアン様を睨みつけると、彼は私の腰に腕を回して引き寄せる。色仕掛けとは卑怯な。
「私が照れて流されると思ったら、大間違いですよ」
「随分と可愛げがなくなったものだな」
そう言われてしまうと、ちょっとショック。つい変な顔をしてしまったらしく、ライアン様の唇が額に落ちてきた。
「そんな顔をするな。可愛げがなくなっても、そなたは十分可愛い」
「何です、それ……」
ダメだ、甘い雰囲気に流されそう……でも今日という今日は、ちゃんと話さないと。
ぐっ、と腕を伸ばして陛下と自分の間に隙間を作ると、彼は片眉を上げた。あ、流されなかったな、て思いましたね、今!
「ちゃんと理由を話してください。私だってきちんとした理由があって陛下が望んでいないのならば、無理に公務を強行したいわけじゃないんですから」
真っ直ぐに陛下を見つめて真剣に問うと、一瞬視線が揺らいだが彼もこちらを見つめ返してくれた。
長い指先が私の額にかかる前髪を梳いて、横に流す。凪いだ湖面のように落ち着いた瞳には、覚悟を決めた意思が宿っていた。
「……今日は一緒に寝るか、我が妃よ」
今、そういう流れでした!?




