マイ・オールド・ガール
出掛けにささやかなハプニングはあったものの、夕食前に我が懐かしの実家、ハノーヴァ伯爵邸に着いた。うん、まぁ、実際はそれほど久しぶりでもないけどね。
「ただいま」
玄関ホールでそう告げると、小さな塊が一目散に駆け寄ってきた。おちびのベンジャミン! 甘ったれの可愛い子。
「ねーね!」
「ベン! お姉ちゃんも会いたかった!」
ぎゅっと抱きしめると、ベンジャミンもぎゅうぎゅうを小さな手で私の髪を掴んでくる。こら、痛いな。
「ねーねっねーねっ!」
繰り返すベンの可愛らしさったら! 可愛らしさを讃える為に詩人を呼んだ方いいんじゃないかしら?
「あらまぁ、ウィルったらこんなところで」
おっとりとした声が掛かり、我らがビッグマザー・レイリーネ登場。
私や兄と違い、淡い麦わら色の髪に薄い水色の瞳をしたふっくらとしたいかにも柔和な女性だ。私の頼れる姉貴分、大好きな母さん。尊敬してやまない、女性。
「レイ! 急に帰ってきてごめんなさい」
「いいのよ、跳ねっかえりが飛び込んで来るのは慣れてるもの」
「ちょっと、その言い方はひどいんじゃない? 私、これでも王妃なんですけど」
「はいはい、妃殿下。食事の前にベンのオムツ替えておいてくれる?」
レイリーネはあっさりと言うと、使用人達を差配して私の荷物を部屋に運ばせる。それからエリックとミラベルを見て、微笑んだ。
「お二人には執事から説明がございますので、警備体制などはそちらでご確認ください」
「はい」
二人ともここに来るのは初めてではないので、執事の方へと向かっていく。
私の方はベンジャミンを抱っこしたまま、レイリーネと並んで子供部屋を目指す。うーん、重くなりましたね弟よ。
「リコは?」
「さっきお腹いっぱいになって寝ちゃったわ」
「残念!」
リコリスは、つい最近生まれたばかりの妹。ブリング家の末っ子だ。彼女が生まれてすぐに私は嫁いでしまった為、共に過ごした思い出が少ない。
今までは毎日見つめていられた弟妹達の成長を、たまにしか感じることが出来なくなってしまったのは結婚して唯一残念に感じていることだ。
抱き上げていてもちっともじっとしてくれないベンジャミンの体重移動に合わせて、歩く重心を変えながら私は肩を落とした。
王城で健やかに育つディーノ様を見る度に、この子達のことを思い出す。そして今、ベンジャミンの悪戯っ子な様子を見ては、ディーノ様のもっと小さい頃はどんな子だったのかな? と思いを馳せるようになった。
「ウィルは本当に子供が好きね、いいお母さんになるわ」
私のそんな様子を見て、レイリーネが言う。
「うーん。いい友達にはなれる自信があるけど、目の前に最高の母親がいるから、彼女みたいになれる自信はないかな……」
レイリーネは自分を指で差して、うふふ、と満更でもなさそうに笑った。
「普通は最高の見本がいたら、上手くいくものなんじゃないかしら」
謙遜しない彼女の、こういうところが好きだ。レイは私にとって何でも相談出来る、最高の親友。
両親が離婚して実母が屋敷を出て行ってしまってからずっと抱えていた、どうしようもない喪失に根気よく付き合ってくれた人。母親の形を、決めなくていいのだと教えてくれた人だ。
「陛下との間に御子はまだなの? ……いやだ、これじゃあ意地悪な姑みたいよね。でも気になるから、私にだけこっそり教えてくれない?」
ぱちん、とウインクしてせがんでくるレイリーネに私は笑ってしまう。彼女以外の人にそんなデリケートな話をされたら、私は確実に怒っていただろう。
茶目っ気があって、俗っぽいところもある。本人がいかにも暇な貴族のご婦人趣味だと悪びれもせず言うのだから、何か憎めない。
私が身贔屓なのも勿論あるけどね。
「ないよ。そもそも寝室別だし」
「嘘ぉ、本当に? 陛下ったら、うちの可愛い長女に手を出さないなんて、理性が鋼で出来ているのかしら?」
「私、父似の平凡な女だもの」
レイリーネの方も盛大に身贔屓なのだ。
真剣に不満そうにしている彼女に、私は肩を竦めて笑った。屋敷内なので付き従う使用人もいない、寛いだ会話は楽しい。
「ウィルはくっきりアマンダ様似だと思うけど……」
レイリーネは訝しがるように私の顔を睨むが、彼女の表情自体に愛嬌があるので、何だかコメディを見ているかのような明るい気持ちになる。
「やめてよ。それに、陛下の御子はディーノ様という立派な王子様がいらっしゃるもの」
「あら、でも子供は何人いてもいいじゃない」
いかにもレイリーネらしいことを言って、彼女はあっさりと先に歩いて行ってしまった。
うう、こっちは元気いっぱい、かつ久しぶりに姉を見て興奮しているベンジャミンを抱えているのに……!
やがて子供部屋に辿り着くと、明後日誕生日のアイリスと六歳の妹・ヴァイオレットが一緒に絵本を読んでいるところだった。




