喜劇の幕は、まだ降りていなかった
あとは、世間がご存知の通り。
私とロイの婚約は破棄されて、彼はメリーと速やかに婚約しなおしたけどあの場面は多くの貴族に見られていたし、当然想像していた華麗な婚約生活とはいかないみたい。そりゃあ、そうよね。
一方私といえば、義母にはきつく叱られたし、兄には揶揄われ妹には嘆かれたけど、大体はこれまで通り。幼い弟妹の面倒を見つつ、領地経営の手伝い。
三つ下の妹が社交界デビューする頃には、私さえ領地に引っ込んでいれば彼女の婚活にもあまり支障はないだろう。何せ皆毎年新しく勃発するゴシップで忙しいから。
盛大に暴れてやったけど、来年にはもう誰も覚えちゃいないわ。
王都中が私とロイの婚約破棄騒動でまだ騒がしい為、私は屋敷に引き籠っていた。やることはいっぱいあるので、退屈だけはしない。
「ウィル、お前結婚しないで何して生きていくつもりなんだよ」
そんな中、私が居間で寛いていると仕事が休みの兄・アレクシスがやってきてそう言った。
彼に、膝に乗っていた弟のベンジャミンを渡すと、私はお茶の支度をする。忙しい屋敷のメイドよりも、役割が空席の私の方がお茶を淹れるべきだろう。
ちなみに義母のレイリーネは先日末っ子を出産したばかりなので、使用人も義母もそちらにかかりきりなのだ。そんな産後の疲れた彼女を盛大に怒らせてしまったのはさすがに申し訳ないと思い、それだけは反省している。それだけは。
「領地でこの子達のお世話をして、兄様達にお子が出来たらその子達のお世話をして暮らしていくわ。私、結構子供好きだし。弟妹の世話で築いたメソッドを有効活用するわよ」
「乳母になるってことか?」
「それよりは、遊び相手、かしら。乳母はちゃんといてくれるもの」
一人目の妻が仕事命だった為上手くいかなかった、と考えた我が父が彼女との離婚後、二度目に娶った女性・レイリーネは非常に家庭的で愛情深い人だった。
だから乳母がいても比較的自分で子供達の世話をする人なのだが、いかんせん子供の人数が多い。
前妻の子の良き母に、という意図もあっての再婚だったが、嬉しい誤算で父と義母は非常に仲が良い。私と兄のアレクシスは前妻の子だが、下の六人は義母の子。勿論分け隔てなく育てられた。
そんなわけで、暇と時間を持て余した年の離れた長女である私にまだ幼い弟妹達の世話が回ってきたのだ。まぁおちびちゃん達、可愛いから何も問題はないわね。
父と義母については、先日婚約破棄された身としては仲がおよろしいことで、としか言い様がない。
「……まぁ、お前子供の扱い上手いしな。精神年齢が一緒だからか?」
ニヤッと笑われて、思い切り踵で兄の脚を踏んでやる。
「ぎゃっ!」
落っこちそうになったベンジャミンを掬い上げて、頬にキスをするときゃっきゃと喜ばれた。さすが、ブリング家の子供は私を含め皆、肝が据わっている。
「お兄様はあなたの精神年齢が高いって仰ってるわ、ベンは賢い子だものねぇ」
「うわぁ……そっちじゃねぇよ。可愛くなーい……」
「結構よ」
ツンッとして言い返すと、ぶつぶつ言いながら兄は居間を出て行った。
きっと励ましに来てくれたのだろうけれど、意地悪な言い方しか出来ないなんて紳士失格よ。
でも、私が元気なのはきちんと伝わっただろうし、感謝はしている。
ここで直接お礼を言えないところが、可愛くないって言われちゃうところなんでしょうね。ついアレクには甘えてしまうわ。
「あら、ベン。おむつを変えましょうか」
不審な動きを始めた弟の気配をいち早く察知して、彼を抱いたまま私も足早に居間を後にした。
*
そしてしばらくして、王城からの召喚状が届き、真っ青な顔の父と登城するに相成ったのだ。
やっぱりロイとの決闘……じゃない、婚約破棄の話し合いを公爵家主催の夜会でやったのは不味かったわよね。
あの夜会の後、ロイの父である侯爵は随分と方々に謝って回ったらしい。
その侯爵はうちの息子が明らかに悪いので、と、うちに何か賠償を求めるようなことはなかった。何故そんな出来た人からロイのようなカス……いえ、ええと、不出来な息子が。やっぱり下の子って甘やかしちゃうのかな、私は弟妹の教育に関して気をつけよう。一人で育てるわけじゃないし、大丈夫かな? 義母や乳母ともちゃんと相談していかなくちゃ。
などと思いを馳せていたら、二人目の妃になることを命じられて冒頭の台詞である。思えば激動の十日間だったわ、もう隠居しても罰は当たらないんじゃないかしら。
しかし、あれを見ていて私を妃に迎えようなどと考えるなんて、さすが国王陛下。
私のような下々の者には想像出来ない発想をなさること。あ、これは嫌味ですよ、念の為!
いや、まぁ、確かにあれは我ながら見事な逆転劇だったけど。王都一の劇場で演目になってもいいような武勇伝。ただし、とびきりの喜劇!
だってあの時私は令嬢としてではなく、己が今まで信じて貫いてきたものを守る為に戦った。令嬢としてならば、婚約破棄されたところで弱々しく項垂れていれば誰か優しい殿方が助けてくれたかもしれない。
でも、ロイは「今時頭の固い女」だと私を罵って、私が今まで培ってきたものや、私をそうと育んでくれたものごと馬鹿にしたのだ。そんな男に得意満面な顔をさせていては、私の矜持が廃るというもの。これはロイが常々馬鹿にしていたことで、普段から相当私は鬱憤を溜めていた。
だから令嬢としての死を潔く受け入れ、人としての正当性を証明したのだ。
人によっては馬鹿なことをした、と言う人もいるのだろう。それでも、これは私にとって退けない一線。
結果、私を育んでくれた人達を盛大に怒らせたり、嘆かせたりしてしまっているのだけれど、それはまた別の話なのだ。
私は私の強さを証明しちゃったもんで今後私に求婚しよう、だなんて思う紳士はいなくなってしまったが、問題はない。
可愛い弟妹達の世話をして、弟妹が結婚したらその子供を世話して、子守として生きていこう。それがダメなら領地で田畑を耕してもいいし、人手不足だと聞いている孤児院で働かせてもらうのもいい。夢が広がるばかりである。
と思っていたら、たった一人、求婚者がいたのだ。