いかにして私が婚約を破棄し、そして結婚したかについて
「ウィレミナ、私はそなたを妃として迎えるが、愛することはないだろう。それでも、嫁いでくれるか」
自ら輝くような金の髪に大空を写し込んだかのような澄んだ青い瞳の、びっくりするほど美しい造形の人。
若く、国民に大人気のアディンセル国王にそう言われて、私はこの方に憂いがないような返事をしなくては、と思い、
「ええ。私も陛下のこと、ちっとも愛していませんから大丈夫です!」
と、元気に答えた。
父が隣でヒュッと息を呑む音が、やけに大きく謁見の間に響く。
私の名前は、ウィレミナ・ブリング。
アディンセル建国以来、国に忠誠を誓いお仕えする伯爵家の娘だ。
隣にいるのが、その父。国史を編纂する部署に代々就いている、現ハノーヴァ伯爵。母のアマンダは、今私の目の前で玉座にお掛けになっている国王陛下、ライアン・アディンセル様の乳母をしていた。
そのライアン様は、ちょっと目を細めてから僅かに笑う。フッ、てカンジ、美形は何しても絵になりますね!
「……そうだな。こちらから愛さないと言っているのに、そなたにそれを強いるつもりはない。王子を育て、最低限の公務をこなしてくれればいい。そなたから何か希望があるなら、聞こう」
しかしそこでふと、陛下は形の良い眉を顰める。
「……ああ、だが、他の男と恋愛することは許すことが出来ぬ。悪いな」
直球。
私が愛人でも作ってどこぞの馬の骨の子供とか孕んだら、ちょっとややこしい問題になりますものね。
その点うちは兄達は順調に出世してるし、社交界デビューを控えた器量よしの妹達もいる。私一人が恋の一つもせずに子守に青春捧げても、お家としてはノーダメージ。
「いいえ、陛下もご存知の通り、私はもう恋なんてこりごりなので問題ありません」
私がにっこり微笑んで言うと、陛下は苦笑した。
私が婚約者である男に盛大に婚約破棄を宣言されたのは、この国の社交界に出入りしている者にとっては非常に新しい記憶だ。それは陛下も例外ではない。
*
それは、遡ること十日前の話だ。
「ウィレミナ!! 婚約者のくせに口づけ一つ許さず、指一本触れさせない堅物女など、こちらから願い下げだ!! お前との婚約なんか破棄してやる!」
「……今の言葉、まともな貞操観念もってる令嬢全員を敵に回したと思いなさい、ロイ・バルドー!! 言っておくけれど、婚約破棄するのはこちらからよ、あなたの有責でね!」
どうも、ただいまご紹介に預かりました、堅物女のウィレミナ・ブリングです。
って、はぁ!? 脊髄反射で反論したけど、今の、私が悪いの? いや、ロイの頭が悪い!!
商売女のような婀娜っぽい雰囲気の令嬢の腰を抱いて、べろべろに酔った姿で公爵家主催の夜会に登場した我が婚約者殿に、さすがにどうかと思うと注意したら、大きな声でこう返されたところである。
以上、状況説明終わりっ! 戦線に戻ります!!
他の参加者にも眉を顰められていることにも気付いていないロイは、何故か得意満面なので間髪を容れずに言い返してやった。
繰り返すが場所は王城、今夜は公爵家主催の夜会。
そんなところでこんな修羅場を始めたロイに、信じられないという気持ちと共に負けるものか、という闘志が同時に湧く。否、闘志の方が明らかにメラメラだ。
突然のことで何が何だか分からないけれど、ここで怯んでは、まるで私に問題があるようではないか。衆人環視の中、馬脚を盛大に現わしてくれたことだけは褒めてあげるわ。これで私の正当性を大きく伝えることが出来る。
ロイは元々顔と家柄以外に褒めるところのない男で、格上の侯爵家からの縁談だったから私からは破棄出来なかったけど、こうなれば一気に風向きは変わった。
常に私を見下してきて、結婚後は愛人を囲うと私に宣言してきていたような男との結婚なんて、当然真っ平御免である。
開戦してしまったものはしょうがない、後のことは、後で考える。
いざ、勝負!
「は!? 何故俺の有責になるんだ、お前が……」
「指一本触れさせない所為? 婚前交渉の禁止は暗黙のルールよ」
「ハンッ! 馬鹿真面目に守っているなんて、今時頭の固い女だな!」
「固くて結構。上も下もゆるっゆるよりマシよ」
ここまではしたなく言い返すことは令嬢としての死を意味しているけれど、ロイの目論見もそれの筈。彼は、私が躊躇って反論出来ない、もしくはこうして社会的に私を潰すことで、自分の優位性を保とうとしている。
全く、貴族社会、男社会なんて碌なものじゃない、私はどのルートを選んでも確実に何かを失うのだ。
だったらせいぜいロイにもダメージのある死に方じゃないと、私の気が済まない。諸共、地獄に落ちようじゃないの、大家族の長女、耳年増の口八丁をナメんじゃないわよ。
「よくもお前そんなことを……!」
「第一、愛人囲うと常日頃から公言していたとはいえ、公爵家主催の夜会に婚約者でもない女性を伴って現れるってどういう了見なのよ? 招待状には私とあなたの名前が記されていたでしょう」
「メリーは子爵令嬢だ! 夜会に連れてきて何が悪い」
「だから招待状の名前が違うから悪い、ってたった今言ったところよ、お耳に水でも詰まってまして?」
メリーなる子爵令嬢は顔を真っ青にしてロイの隣に立っている。
大方、どれほど寵を得ようとも愛人止まりってことに業を煮やして、ロイを酔わせて勢いで婚約破棄させ自分がちゃっかり後釜に座ろうと考えていたのだろうけれど、意気揚々と乗り込んだ先が公爵家主催の夜会じゃあねぇ。ちょっと不味かったわよねぇ。
私達、三人とも一蓮托生ね、ウフッ。
ざわざわと周囲は騒がしくなったけど、私達三人の周りには一定の距離を置かれている。遠巻きにされているの見本のような状態である。
分かる。私もそっち側だったら見たいけど、近づきたくない。
さて……ロイの馬鹿アピールは存分に済んだし、私のお嫁さんにしたくない令嬢っぷりも十分に披露してしまった。ここらでビシッと一言いって〆て終わりにしたいところなんだけど。
と、思っていたらお父様が部下の方を引き連れて大急ぎでやってきた。ああ、そうか、今日の夜会ってお父様も珍しく来ていたんだわ、面倒が少なくて助かる。
「ウィ、ウィレミナ! お前は一体何をしているんだ!?」
「決闘……じゃなくて、婚約破棄のお話し合い? かしら?」
こんな時だけ厳格な父親のように怒鳴りつけられても、困るわ。
この見世物みたいな状況で、助けてくれる人なんて誰もいなかったのよ、笑いものにされても自分の潔白だけは証明するしかないじゃない。
「何を馬鹿なことを……! とにかく、こっちに来なさい」
腕を引かれて、私は渋々奥へと下がる。
その際、人垣の向こうから美しい金の髪の男性がこちらを見ていることに気付いたが、遠くて顔までは確認出来なかった。あとから聞いたところによると、あれがライアン陛下だったらしい。
これが、私が青春と結婚を諦めた、お粗末な顛末。