9・懐かれたこと
「ヤーガスアの隣、ツデ国の末姫様だそうです」
ピアの話ではイロエストの従属国の一つらしい。
侍女が黒髪黒目だったから部族的にはヤーガスアに近いのかもしれないと思う。
少女自身は栗色の髪に黒目、薄めの肌の色だ。
王家というのは他国との交流で、どうしても伝統的な特徴が薄くなっている場合が多い。
「しかし、懐かれてたね、ピアは」
赤子と大人しかいない館で孤立していた少女に同情し、客であり要人なので接待のつもりで相手をしていたという。
「ええ、母国の妹のようで、つい」
厳しく指導するのは自分の仕事ではないと、つい甘やかしてしまう。
婚約者がいると言うとどんな男性か見たいと騒ぎ、とうとう部屋までついて来た。
「ブガタリアは一夫多妻で、その、特に王族は好色な男性が多いと聞いたらしくて」
翠の目がフッと逸らされた。
む、そんなことを言いそうなヤツに心当たりがある。
食後のお茶の時間をピアと二人っきりで過ごす。
俺がかなりイラッとしていたので皆んなが気を遣ってくれたんだ。
正直、助かった。
あのままだったら、疲れているのにイライラして寝付きが悪かっただろうし。
でも、いくら婚約者とはいえ、夜遅くまで未婚の女性を留めておけない。
「ズキ兄に送らせる。 また食事に誘うよ」
「ええ、ありがとうございます。 心待ちにしておりますわ」
俺はピアの手を取り、その甲に口付けする。
もっと話したいし抱き締めて色々したいけど、今夜は我慢するしかない。
クソッ。
ピアが別館に戻って行った後、俺は着替えて寝る用意をする。
ベッドに入って少し考えてみた。
あの少女は数日前からイロエストに滞在しているらしい。
他国の王族なら、留学や行儀見習いという人質の可能性もあるのか。
しかし、あんな我が儘な子供を館内で野放しにしているとは、イロエストの教育係もたいしたことないな。
「あー」
俺は、思い出したくない顔を思い出す。
アレがヤーガスアに居るとは思わなかった。
「ザッジか」
また余計なことをしなければいいけど。
俺は義大叔父に、アレについても確認しておかなければならないと心に書き留める。
はー、疲れた、寝よ……グウ。
翌朝、いつも通りの時間に起き、騎獣や兵士たちのいる酪農場へ向かう。
ギディやズキ兄も同行している。
「付き合わなくてもいいのに」
俺の言葉にギディはブスッとした顔で答える。
「これは自分を鍛えるためです」
枕が変わると眠れない性質のギディは、他所へ行くと朝に弱い。
だから無理しなくていいって言ってるんだが。
「僕も自分のため、だよ」
ズキ兄は他国の公子のくせに俺の護衛のつもりでいる。
確かに、この三年の間に修行を積んで、エオジさんにも剣士である義大叔父にも認められたほどの腕だ。
おそらく、クオ兄のような特殊な能力も関係あると思う。
本人じゃないから詳しくは分からないけど。
「もう少しで何か掴めそうなんだよなあ」
そんなことを言いながら、いつも楽しそうに脳筋兵たちと訓練している。
俺は誘われてもやりたくない。
ズキ兄って、ニヤニヤしたまま打ち込んでくる。
全く殺気がないのが恐ろしいんだよな。
自然体で人を斬れるってのは暗殺者向きだって、諜報隊のラカーシャルさんがスカウトしたがってた。
他国の、しかも公子なので全力で止めたよ。
敵にしたらムチャクチャ怖いやんか!。
仮の兵舎のようになっている酪農場は、以前は牧場と併設された食堂があり、従業員用の宿舎もあった。
国が失くなった後は放置されていたので、俺は訪れる度にゴゴゴたちのために借りていた。
今ではブガタリアから訪れる者は誰でも自由に利用出来るように契約済み。
ブガタリアの予算とイロエストの許可が下りれば、シーラコークの魔獣預り所みたいにしたいと思っている。
「おはようございます!、殿下」
「ああ、おはよう、ソミエラ」
今回、俺はブガタリア王都の平民学校で魔獣飼育を勉強している生徒たちを連れて来ている。
そのうちの一人、知り合いの部族長の孫娘のソミエラ、十五歳だ。
ギディが可愛いと言った女の子である。
【ソミ、カワイイ】
【ソミ、スキ】
「分かった、分かったから離れろ」
黒いゴゴゴが俺に絡んで来る。
ソミエラと話をするだけでもグロンの子ミツキとムネキはヤキモチを焼くんだ。
俺に嫌がらせすると親のグロンに怒られるから「スキスキ」と言いながら攻撃してくる。
「いつもすまない、こいつら我が儘で」
俺がすまなさそうにすると、ソミエラは笑う。
「あははは、大丈夫ですよ、殿下。
ミーちゃんもムーちゃんも、お仕事はちゃんとしてくれますから」
おー、そんな愛称で呼んでたのか。 知らなかった。
ヤーガスアは土地のほとんどを占めていた森林を伐採、開墾している。
まだ土地を広げようとするイロエストの商人に、俺は逆に依頼し、街中の空き家になってしまっている建物を改装、または取り壊しするよう勧めた。
「ブガタリアの魔獣を飼いたいなら、それなりの館と厩舎が必要でしょ?」
「はあ、なるほど」
イロエスト国が欲しがっている魔獣の軍隊。
それを育てるための訓練予定地がヤーガスア領らしい。
東の部族の諜報隊からの情報だけど、俺はそれに乗っかることにしている。
三年前の騒動で、ブガタリアにかなりの数の魔獣が集まって来ているのを感じた俺は、それを商売に出来ないかと考えた。
まずは魔獣に慣れてもらうこと。
怖がられていたら商売にならないからね。
ギディに言わせると「さすが豪商の孫」だそうだ。
今でもブガタリア王都の学校にある俺が所有している厩舎は、飼育員育成施設というより、動物園のように国の内外から魔獣好きが見学にやって来る。
つまり、観光地化してしまったんだ。
俺はそのうち、離れの温室のように小赤の水族館もどきを併設しようかなと思っている。
今回、厩務員見習いとして生徒たちを連れて来たのも、その下調べとして他国の状況を見せるためだ。
ゴゴゴたちに運動させながら、俺も自分の足で軽く走る。
気が済んだら木剣の素振りと基礎運動をやって、朝の鍛錬は終わり。
そろそろ皆んなが起き出して来たので、一度集める。
昨夜は到着が遅かったので、改めて全員に話をしておく必要があった。
「持参した食料やゴゴゴの餌が足りなくなったら、必ず報告しろ」
食は生活の基本だ。
それに勝手に調達しに行って、近隣の住民に被害が出ても困る。
「特に今回、初めて国から出た見習いは、日頃自分の国でやってることが通用しない場合もあるから注意だ」
「はいっ」
領主館には護衛と文官付きでニ十名、こっちは三十名だが、女性や見習いがいる。
ゴゴゴは、騎乗用三十体とゼフを含めた運搬専用が五体。
隠密行動のツンツンとチィチィは別枠だ。
毎日の行動予定表が配られ、それぞれの管理を徹底させたい。
そうなると、一番強いモノに監視を頼むのが当たり前。
「グロン、何かあったら教えてくれ」
グルルルッ
【マカセテオケ】
頼もしくなったなあ。
「ギディも何か言うことある?」
イケメン従者は少し考えてから、皆んなの顔を見る。
「勤務時間外なら行動は自由ですが、皆さん子供ではないのですから、コリル殿下の評判を下げないようにしてください」
国外への随行者の最低限の規定は、必ずニ、三人で行動することと、他国の者に迷惑をかけないこと。
飲酒の規制などはないが、もし街中で酔っ払ってケンカなどすれば。
「違反者は直ちに東の砦に強制送還、再訓練です。
女性も見習いも関係ありません。
……ひと月くらいで終わると思うなよ」
イケメン・ギディの冷たい視線は迫力が違う。
「うへえ」「ぐはっ」
あちこちから呻き声がする。
童顔の俺だとビビってくれるのは子供くらいだ。
まあ、脅すのはこれくらいにして館に帰ろう。
ハラヘッタ。