6.Interact
(うむ、良い事をしたな)
ぱんぱんっ、と土で汚れた両手を払いながら、それは満足げに唸る。
己が命を懸けて役目を果たした、名も知らぬ戦士達の埋葬。勇敢な彼らの魂がいつか報われる事を願いつつ、それはふしゅるる…と鼻を鳴らす。
果たしてこの体で「土を掘る」という行為が可能なのかと不安があったが、何事もなく目的を果たせて、一安心である。
(どうやら、影には潜る事も踏むこともできるようだ……その気になれば、全身を引き揚げる事もできるか? いや、この身体はどう考えても水中専用、陸上ではそこまで自由には動けまい)
鰭の生えた両腕を見下ろし、それはそう結論付ける。
真面に動けなくなるリスクを負ってまで、無理に地上に上がる必要はない。むしろ、障害物が一切存在しない闇の世界を泳ぐ方がはるかに効率的で、非常に楽に移動できる。
が、常に影の中にいなければならないという制約が無いのは、ありがたい事だった。
(さて……これでこちらに攻撃の意志がない事は伝わった筈だが、ここからどうしたものか。手を出した以上、ここでこいつらを放置していくのは中途半端というもの。こんな森の中、負傷した女と年端も行かぬ娘を置いていくというのも…)
せめてもう一人、娘を守っていたであろう戦士が生きていればと思い、それは女性を見やる。
自分でやったのか、衣服の端を破って作った包帯で傷を覆い、縛り付けている。出血自体はそれでどうにかなっているが、痛みはまだ相当のこっている筈である。
血を失い、痛みがある以上本来の力は早々出せまい。その状態で少女を守る事は、厳しいに違いない。
さて如何するか、と考えこむそれに、女性が気付いてハッと振り向いてくる。
やはり人外に対し完全に信頼は寄せられないのか、若干警戒した様子のまま、女性が躊躇いがちに話しかけてくる。
「…――、――――――――。――、―――――、―――」
が、案の定全く言語が理解できない。
敵意は感じられず、敵と相対していた時よりも穏やかな顔をしているため、感謝かなにかを口にしているのだろうと判断できる。が、言葉そのものはどうにもならない。
それは少し考えると、女性に対し困惑を示すように首を傾げる。
それで伝わっていないことがわかったのか、女性は顔を真っ赤にすると、ぶるぶると全身を震わせて目を逸らす。
人外に態々感謝の意を示している自分の姿が、急に恥ずかしくなったのかもしれない。
(ふむ…動作を使えば、こちらの意図は察してくれるか。しからば、俺の意志を伝えるなら如何すればよいか…?)
身振り手振りで、どうやって彼女達との同行を望んでいるかを伝えたものか。
意思疎通を諦めたのか、少女の元へ向かって何か話し始める女性を見つつ、それは思い悩む。
二人の会話を聞いていても、自身が新たな言語能力に目覚めるという奇跡が起こるわけでもない。
今後の事でも話し合っているのだろうか、互いに集中し、時に少女の方が女性を案じるように涙目で叫ぶ姿を眺め、ひたすら無駄に時が流れていく。
いい加減退屈になり始めたその時、それは自身の指が、ガリガリと地面を削っていることに気付いた。
(……ああ、そうだ。この手があったか)
ガリガリと地面を削る感触を確かめてから、それは再び動き出した。
若干の不安を抱えながら。
△▼△▼△▼△
アイシアは悩んでいた。
見るに堪えない卑劣漢共を屠ってくれ、自身と主の窮地を救ってくれたうえ、仲間の亡骸を丁寧に葬ってもらい、色々な恩を重ねている黒竜。
しかし依然として、その意図が全く掴めないのである。
「…お前は、まるで人の様だな。なぜ、見ず知らずの私達を、助けた?」
そう語りかけると、黒竜はどうしたのか、というようにアイシアに顔を向けてくる。
少し焦った女騎士は、動揺を悟らせまいと謎の虚栄心を発揮させ、毅然とした態度で黒竜に向き直る。
「感謝するぞ、名も知らぬ黒竜よ。我が名はアイシア。こちらに負わすセリア・ツーベルク公爵令嬢に仕える騎士だ。縁も何もなかったというのに、主共々救っていただいたこと、感謝の仕様がない」
じっと見つめて来る黒竜に、アイシアは人に対して行うものと同じような礼をする。
見た目はただの怪物であっても、逝った戦士達を労わり、その遺族に対する考えも持っている、人間でもそうそういない徳の高さを備えた存在であることは明らかだ。
普段彼女達がいる、権謀術数渦巻く貴族社会ではまず期待できない相手に、アイシアは表面上は出さずとも、かなりの好感を抱いていた。
(これで、人の姿をしていたならば、私でも惚れていたかも……いや、人の姿をしていた場合は、むしろ裏があるかもと疑っていたやもしれんな)
外見と行動の相違から、この怪物には好感を抱いているのに、反対に人が相手だったならそう思ってはいなかったなど、なんと勝手な想像をしているのか。
アイシアは自身のことながら、自分の拗れ振りに軽く落ち込む。
「ひいては貴殿に問いたい……何ゆえ貴殿は、我らをお助けして下さったのか。セリア様の事情を知ってか、それとも我欲あってか。貴殿の意図をお教え願いたい」
嘘偽りを許さない、真剣な表情でアイシアは黒竜に問いかける。
人とそう変わらぬ思考を持っているのなら、何か考えを持って近付き、態々助けたのだ、とアイシアは自身の好感を横にどかし、問い質そうと試みる。
もし、邪な考えがあっての事ならば、例え勝ち目がなくとも思い通りにはさせない。
そう決意し、アイシアは黒竜の返答を待ち続ける。そして―――。
「……グルルル」
何処か、困った様子で首を傾げる黒竜を前にし、アイシアはひくりと頬を引きつらせる。
そして次の瞬間、毅然としていた顔を崩し、全体を真っ赤に染め上げていった。
「あ、アイシア…」
「セリア様っ……今の私を見ないでください…!」
恥ずかしくて仕方がなく、アイシアは苦笑しながら声を変えてくる主の顔も見られず、ぶるぶると震えながら体ごと目を逸らす。
自分の行いが、あまりに滑稽すぎて耐えられなかったのだ。
(何をやっているのだ私は…!? 相手は竜だぞ!? 人ではないのだぞ!? なのにこんな……長々と語った挙句、首を傾げられて…! ああ、この記憶を消してしまいたい…!)
言うなれば自分の先ほどの行動は、飼い犬に人の言葉で話しかけるようなものだろう。
賢い犬なら多少の命令は聞くだろう。しかしそれはあくまで短い言葉、犬にとっては決まった音を指示として認識しているだけに過ぎず、会話が成り立っているわけではない。
人と話すように話しかける者もいるが、それを飼い犬が理解しているかと言えば間違いなく否だ。
つまりアイシアの行動は、端から見ればただの痛々しい独り身の女性とそう変わりないのである。
「ん……んんっ! こ、こちらに関しては礼儀は尽くしたとして…セリア様、今後の方針について話し合いましょうか」
「…ええ、そうね。わかったわ」
苦笑したセリアは、赤い顔のまま近付いてくるアイシアに応じる。
かなり派手にやってしまったため、無かったことにはできないが、深く言及しないでおけばいずれ羞恥も冷めるだろう。セリアは笑いを堪えながら、キリッと真剣さを取り繕うアイシアを迎える。
二人向かい合ってから、セリアもアイシアも本気の表情に戻る。
余裕ができてようやく、自身らの今の状況を顧みる事ができるようになった。
「護衛が私一人になってしまった今、このまま目的地であるガーランド伯爵領に進むことは危険でしょう。帝国兵がまだどこに潜んでいるかもわからない今、長距離の移動は非常に危険です」
「そうね……一度何処かで身を隠し、準備を整えてから再出発するのがいいかしら。でも…」
「ええ…、誰を信用するのか、ということですね」
自身が抱えているある使命について思い出し、セリアは暗い表情で俯く。
彼女が抱えるそれが、どれほど大きく重いものかを知っているアイシアは、きつく唇を噛み締め、主の手を強く握りしめた。
「セリア様…… 貴方がお望みなら、私はどんな険しい道であろうと貴方に尽くします。どうか、おひとりで苦しんだりはしないでください」
「アイシア……ありがとう」
心の底から自分を案じてくれる忠臣の言葉に、セリアは思わず目を潤ませ、自身の手を包む温もりにやわらかな笑みを浮かべる。
一人ではないのだ、という励ましが、令嬢の胸を温かくしてくれた。
「……グルルル」
見つめ合う二人の元に、暇を持て余していたらしい黒竜が唸り声をあげる。
忠臣とのやり取りで、危険な存在ではないと知ったセリアは、慌てて目尻に浮かんだ雫を拭い、命の恩人である黒竜に向かい合う。
本来ならば、恩に対して感謝を述べるべきなのは主である自分なのに、と少し悔みながら、セリアは黒竜に笑顔を向けた。
「ごめんなさいね、あなたのおかげで助かったのに、お礼も言えないままなんて……あら?」
ほったらかしにしていたことを申し訳なく思い、セリアがガリガリと地面を爪で削って遊んでいる黒竜に目を向ける。そして、その削られた地面を見下ろし、ハッと息を呑んだ。
そこに刻まれていたのは、間違いなく絵だった。
巨体と凶悪な外見からは想像もできないような、丸っこく可愛らしい印象を抱かせる柄が、黒竜の爪で描かれていたのだ。
「グルル…グルルル」
「これは……私達でしょうか? それにこの、えっと、蜥蜴?は、もしかして貴方?」
「ほう、なかなか上手いですね…って、これを、貴殿が!?」
予想もしない行動に、アイシアもセリアも驚愕の目で黒竜を凝視し、それが描いた絵を見下ろす。
アイシアとセリアらしき可愛らしい女の子の傍に、自身を表しているらしい蜥蜴の絵である。その中ではなぜか両方とも笑顔で、向かい合って握手を交わしている。
視線を動かすと別の絵があり、黒竜の背に二人が乗っている構図となっている。
怪物が絵を描いたというだけでも驚きなのに、それによって自身の意志を伝えようとしていること、さらにその内容が示す意志に、アイシアとセリアは唖然となってしまった。
「……ついていく、ということか? 貴殿が?」
「まぁ…」
ぽかん、と目を大きく見開き、黒竜を凝視する女騎士と令嬢。
立ち尽くしたまま動けなくなる二人に、黒竜はずぶずぶと影を泳ぐと、背を向ける。
そして首だけで振り向き、自分の背中を指差す。
「さっさと乗れ」とそう告げるように。