5.Mourn
(あんまり美味くなかったな……たいして栄養状態がよくなかったのか? そこらの兎を食っていた方がよかったな…)
ボリボリゴキン、と口の中に残った血肉や骨をかみ砕きつつ、それは少しばかりの不服を抱く。
浮上してみれば、獣かと思っていた気配の持ち主達は、古臭い格好をした人間達。それも、見るからに下卑た考えを持っていそうなむさ苦しい男達に、負傷した可憐な女性達という構図。
図らずも、何かの騒動に首を突っ込んでしまった形となっていた。
(黒っぽい鎧を着た連中に、白っぽい鎧を着た連中…こっちがおそらく、女性陣の仲間だな。黒っぽい方にやられたんだろう。…で、色んな意味でやられかけていたところを、俺が割って入ったと…どうしたものか)
ゴクン、と食べ残しがないよう、暗い色合いの鎧の持ち主達の残骸を一つ残らず平らげてから、それはぐるりと首を回し、女性達を見やる。
ぎろりと、爬虫類特有の冷たい視線に晒された女性達のうち、鎧を着た背の高い女性は緊張した面持ちで、彼女に守られる少女は怯えたように見つめてくる。
助かった、などと思っていない事は、間違いなかった。
(完全にこちらを警戒しているな…それはそうだ。そうなる)
自分の姿を改めて確認し、それは納得の唸り声をあげる。
どこをどう見れば、同じ人間をばりばりと食い散らかした異形を味方だと認識できるだろうか。血まみれになった森の中を見れば、次は自分だと身構えてもおかしくない。いや、身構えないのならそいつはどれだけ危機感の薄い奴なのか。
(しかし困った…向こうに害意があるのなら別に食っても構わんのだが、単純に警戒しているだけだ。それも、あの少女を守ろうとして……実に好感が持てる。これを喰うのは流石に気が引ける)
状況を見るに、圧倒的な数の差で囲まれながら、それでも諦めることなく守るべき者を守ろうとしたのだろう。自分にはできない、羨ましさを抱く行為だ。
悪意による蹂躙を阻めたことに充足感を抱いていたそれは、この後の自身の行動に悩む。
傍から見ても、十数人をあっという間に食い殺す化け物と、残った獲物でしかない。
現に今、先ほどのように影の中に姿を隠し、襲う素振りを見せているわけでもないのに、女性は剣を構えたままこちらを睨み続けている。後ろの少女も似たようなものだ。
(彼女達の敵はこれで排除できたわけだが、二人だけでこの先を行かせるのは不安だ。しかし、最後まで面倒を見るにしても、こうも警戒されたままではな……)
せっかく生き残れたのに、何より途中で厄介事に介入した以上、それを放置することは気持ちが悪い。
このままついていこうとすれば、間違いなく拒絶されるだろう。気味悪がって排除しようとするだろう。そうなればそれも手を出さねばならず、食い殺した後の後味の悪さが恐ろしかった。
(何とかしてこちらに害意がないことを知ってほしいのだが……あ)
少なくとも、膠着状態にある今の状況をどうにかしようと考えていたそれの目に、ある者が映る。
女性と同じく、少女を守るように彼女に背を向けて倒れ伏している、血に濡れた明るい色合いの鎧の持ち主達だ。
それを見て、それはようやく動き出した。
▼△▼△▼△▼
アイシアは混乱していた。
主を脅かす帝国の卑怯者たちの魔の手から逃れられたはいいものの、その窮地を救ったのは人ではなく、巨大な竜。
それも影の中から姿を現す、明らかに生物の常識を凌駕する存在だったのだから。
「…何なんだ、こいつは」
「アイシア…」
「セリア様、そこにいて下さい」
不安げに見つめてくる主を制しつつ、アイシアは黒竜を睨みつける。
帝国兵達を瞬く間に屠り、食い荒らし、辺りを鮮血で染め上げた黒竜は、何故かそれ以降何もせず、じっとアイシア達を見つめている。
まるで、自分の行いに対する自分達の反応を、確かめているかのようだ。
(こんな化け物に、そこまでの知能があるのか…? だが、たとえそうでも危険な存在であることには変わりない…!)
痛む腕を押さえ、剣の切先を突き付ける女騎士。
元通りの戦闘が行えそうになくとも、いや、もし万全の状態であっても敵う気がしない相手だが、それでも主を置き去りにして逃げるようなことはできない。
もし主に牙を剥こうものなら、この命を代価にしてでも必ず守ってみせる。
決死の覚悟で仁王立ちし、身動ぎ一つしていない黒竜と相対し続ける。
「……」
だがやはり、黒竜から敵意は感じられなかった。何を考えているのかもわからない異形の顔で、女騎士と令嬢を見つめるばかりだ。
すると不意に、その目がアイシアから逸らされる。
何を見ているのか、と同じ方向に視線だけを向けたアイシアは、思わずハッと息を呑む。
黒竜が見つめる先にあるのは、同じ主を守るためにその命を散らした、大切な仲間達だったのだ。
「…貴様、まさか…!」
アイシアの脳裏に過った、嫌な予感。
その可能性に気付いた時、黒竜はまるで正解だというように影を泳ぎ、斃れ伏す仲間の騎士達の元に向かい出した。
「やめろ! そいつらに手を出すな! もう…もうそいつらを苦しめるな!」
アイシアは叫び、黒竜に向かって走り出す。主の守護を一瞬忘れるほどに、激昂し怒りをあらわにする。
役目に殉じ、後を託していった仲間に危害を加えることなど、許せるはずもない。
可笑しな部分はあっても所詮化け物は化け物かと、様子を伺う気を失くしたアイシアは黒竜の前に立ち塞がり、剣を突き付ける。
「去れ! もう十分に食ったはずだ! 縄張りから失せろというのなら去る……だからもう!」
言葉が通じるはずもない、しかし口にせずにはいられず、アイシアは悲痛な表情で叫ぶ。
助けられなかった仲間のために、せめて遺体だけは汚されないように。たとえ相手が怪物であっても、最後の手向けだけは果たしたいと、アイシアは必死に叫ぶ。
セリアの目にも涙が浮かび、縋るような視線が黒竜に向けられる。
その姿を前にした黒竜は、影の中から自身の上腕を抜き出し、アイシアの前に持ち上げると、自身の口の前で指を一本立ててみせた。
まるで騒ぐ子供を、「静かに」と窘めるように。
「…!?」
困惑するアイシアやセリアの前を、黒竜は悠々と通り過ぎ、騎士達に両腕を伸ばす。
力なく横たわる体を転がし、仰向けにしてから、黒竜はすぐ横の地面に爪を立て、ザクザクと穴を掘り始める。
巨体とそれが持つ腕力によって、そう時間もかからないうちに人間大の深い穴が開けられ、黒竜はその中に騎士たちの亡骸を一つずつ丁寧に入れていく。
直立の姿勢が崩れないようにしつつ、全員が穴の中に納められる。
すると黒竜は、呆然と立ち尽くすアイシアの方を向き、ちょいちょいと指を曲げて呼び寄せる仕草を見せる。
「…来い、というのか」
困惑したまま、アイシアは恐る恐る、剣を構えたまま近付いてみる。
その間に黒竜は、爪の先で騎士達の襟元や指を探る。そして、一人の騎士の首にかけられたネックレスを取り出すと、力尽くで引っ張り引き千切る。
取り出したそれを、黒竜は近くに寄ったアイシアに差し出したのだ。
アイシアはますます困惑する。
亡き騎士の遺品を探り出し、生き残った者に預けるなど、まるで人間のような素振りである。
半ば夢見心地で、差し出されたネックレスを受け取るアイシア。
黒竜は満足げに頷くと、他の騎士の元にも寄り、遺体を探り遺品になりそうなものを探す。
もう一人は指輪を持っており、黒竜は爪の先でそれを掴み、身体を傷つけないように慎重に抜き出し、またアイシアに手渡す。
二人の騎士の遺品を渡してから、黒竜はアイシアに向き直り、自分の瞼を指で閉じるような動作を見せる。
「……そうして、やれと?」
アイシアが確認するが、言葉そのものは通じていないのか、黒竜はじっと見つめるばかり。
しばらく悩んだアイシアは、意を決して剣を鞘に納め、穴の中の仲間達の元に向かう。
血に濡れた彼らの顔の近くにしゃがみ、アイシアは開かれたままの瞼に触れ、そっと閉じさせてやる。すると騎士達は、まるで安らかに眠っているかのような姿に変わった。
「…よく、頑張ったな。あとは、私に任せてくれ」
アイシアはそう告げ、深く頭を下げてから彼らの傍を離れる。
いつの間にか、様子を伺っていたセリアも彼女の傍により、自分を守るために死力を尽くした騎士達のために、祈る。
黒竜はそのタイミングを待っていたように、永遠の眠りに就いた騎士達に掘り出した土を被せていく。
どさどさと、遺体を慮るように優しく土に埋められ、騎士達の姿が見る見るうちに見えなくなっていく。全てが見えなくなってから、黒竜はしばし傍を離れ、どこからか積んできた小さな花を添えてやった。
出来上がった簡素な墓の前で、アイシアとセリアは静かに佇み、祈る。
黒竜もその傍に留まり、役目に殉じた騎士達の眠る場所を見下ろし続けていた。