*.Criminal
その男は、凄まじいほどの穢れた欲望を持った、紛う事なき悪人であった。
親の遺産を食いつぶし、自ら働く意志を一切持たない。それでいて自分の望みばかりを優先させようとする、性根の腐ったどうしようもない男。
自分以外の全ては、自分が幸福に生きる為にあるのだと信じて疑わず、自らに奉仕することを強要する、誰もが嫌い、疎むろくでもない男であった。
中身の醜い彼は、見た目も醜かった。
歩き回る事も少なく、食っちゃ寝を繰り返す不衛生な身体はぶくぶくと肥え太り、体臭は鼻がもげそうなほどに強烈。肌もできものや垢だらけという、悲惨な姿。
まるで形だけは人の姿をしただけの、吐き気を催す化け物のような男だった。
そんな彼が最も強く抱いていた欲望は、生物として最も本能的なもの。種族をを後世にまで残すという、必要不可欠な思考であった。
しかし、男はそれをただの娯楽、自分が愉しむだけの行為としてしか認識していなかった。
初めはそこまで害があるものではなかった。紙に描かれた絵や、機械の中で動く映像で、男は自分の鬱憤を解消し、そこそこに満足できた。
しかし、時が経つにつれそれだけでは満たされなくなった。
やがて男は、実物に手を出すようになった。
人目を避け、誰も近づかない寂れた場所を見出し、足がつかないような閉ざされた領域を用意し、獲物を探す。
そして、見つけた幼い少女やか弱そうな女性を追い、力尽くで黙らせ攫い、領域に連れ込み、欲望に促されるままに襲い掛かった。
痛みと恐怖で泣き叫び、嫌がる女達に、男は酷く興奮した。
初めは大きかった抵抗が、男が腰を振るたびに弱々しくなり、やがてぐったりと力が抜けていく様を見ると、より一層の高揚に呑まれた。
最後に自分の欲望をぶちまけると、男はこれ以上ない快感に歓喜する。白く汚れた獲物を踏みつけ、凄まじい爽快感に満面の笑顔を浮かべ、吠える。
そんなことを、男は闇にひっそりと身を隠し、何度も、何度も、自分の領域に近づく獲物がある限り、絶やすことなく繰り返してきた。
しかし、彼の楽しみが続くことはなかった。
法の番人たちが男の犯した罪を知り、捕えようと動き出したのだ。
慌てて逃げ出した男だが、大勢に狙われては逃げることなど叶うはずもない。
しかし、恐怖と焦燥が彼の肉体の枷を外したのか、凄まじい力で追ってを振り払い、地の果てを目指して走り続けた。
追い、追われを繰り返し、男の形相もより惨めに醜く変貌し始めた頃だ。
男は死んだ。
切り立った場所で足を踏み外し、遥か高い空中へと投げ出され、そのまま真っ赤な地面の染みへと変わり果てたのだ。
ピクリとも動かない身体を投げ出し、身体の熱が徐々に失われていくことを感じながら。
男の意識は、真っ暗な闇に呑まれた。
そして男は、不意に目覚めた。
どことも知れない世界で、見たこともない大きさの八本脚の怪物に姿を変え、覚醒した。いや、生まれ変わった。
(なんだよここ…!? 何だこの筒……何の映画だよ!?)
男が最初に目にしたのは、うっすらと向こう側が透けて見える、分厚いガラスの壁。
外と環境を完全に分かたれ、ごぼごぼと泡が噴き出す謎の液体に満たされた、不気味な景色がそこにあった。
男は理解のできない状況に狼狽し、ガラスの中で八つの目をぎょろぎょろと蠢かす。
全身を動かし、迫っ苦しいガラスの壁を叩き割ろうとするも、目覚めたばかりの身体は真面に動かず、身動ぎさえできない。
酷い混乱に陥った男は、恐怖で自らの鼓動を速める事しかできずにいた。
(なんだよ…何が起こったんだよ…!? ここは一体……何なんだよ!?)
疑問を抱いても、答える者など誰もいない。
精神的に追い詰められたまま、男は異形の身体の檻の中で、目に映る光景に変化が訪れる時を待つばかりになる。そんな状況になっても、男は他者を当てにし続けていた。
そして男はやがて、転機を迎える。
フッと意識が遠のいたかと思った直後、彼はいつの間にか、外の世界に鎮座している事に気付く。
ガラスの壁も、それを囲う謎の空間もない。
辺り一面、太く立派な木々が並ぶ森が広がる、広大な景色が視界に映る。
(ここはどこだ……俺はなぜ、ここにいる…?)
思い出そうとしても、その場所に至るまでの記憶は皆、一切合切失われていて、何も思い出せない。
あるのは変化したと直感している自分の肉体だけで、他の何も理解できない。巨大な蜘蛛の形をした自分の身体に、戸惑うばかり。
(嘘だろ……まさかこれはそう言う事か? そうなっちまったって言うのか…!?)
男は、自分に起きた変化について、ある答えを見つけていた。
当初はあるはずもないと、くだらない妄想だと切って捨てていた可能性が、むくむくと男の中で確信に変わっていく。信じられない気持ちとぶつかり、悶々としたまま動けなくなる。
何故、本当に、とそう考えるよりも先に、男の脳裏に過った思考があった。
―――犯したい……。
女を……雌を……孕ませ、凌辱したい……!
それは、他のあらゆる思考を押しのけ、男の全てを支配した。
現状の理解よりも、今後の生存のための策でもない。自らの欲望を叶えることだけを考え、慣れない八本の足を操り、前と進みだす。
全ては、己の欲望を満たす為の獲物を探すために。
そして男は、見つけ出した。
森の中を独り歩く、金色の長い髪と尖った耳を持つ、美しい容姿の雌を。
視界に獲物を捕らえるや否や、男は巨体に見合わぬ俊敏さを見せ、耳長の雌に襲い掛かった。
混乱し泣き叫ぶ雌を、いつの間にか覚えていた無限に糸を放ち操る力で抑え込み、自らに備わった器官を見せつける。
そして、備えた管を雌の身体に突き刺し、思う存分に遊びつくした。
恐怖と苦痛で泣き叫び、悲鳴と嬌声を同時にあげる雌に、男は心の底から満たされた様子で唸り、咆哮する。
白い液体をこれでもかと吐き出し、自分でもよくわからない卵のような何かを埋め込み、脚と糸で雌の身体を思う存分弄ぶ。
やがて雌が、呻き声一つ漏らさなくなってから、男はやっと止まった。
そして、さらなる獲物を求める事に執着し始めた。たった一人だけでは満足できない、もっともっと楽しみたいと、男の本能が吠えていた。
(何がなんだかよくわからねぇけど……もう、どうでもいい。この力さえあれば、もう追われる事も逃げる必要もなくなるじゃねぇか…! 最高だ…! 最高じゃねぇか、異世界転生!!)
男は歓喜し、前腕を振り回し狂喜の咆哮を上げる。
自らの身体に満ちる、無敵に思える凄まじい力をひしひしと感じ、そして脳裏に浮かぶ様々な願望と欲望に、涎を垂らして達成の瞬間を待ち望む。
男は決定する。他の何も考えることなく、欲望のままに生きると。
この世に存在するすべての雌を手に入れ、奪い取り、己の種を植え付け遊び尽くすと。その障害となる全てを、この力をもってして滅ぼすと。
(俺のものだ…! 女は全部、俺の玩具だ! やってやる……全部を手に入れてやる!!)
こうして、八目八脚の怪物は誕生した。
森の奥に巣を作り、攫い侵した雌達を使って生み出した自らの分身を利用し、より大規模な狩りに興じるようになっていった。
黒竜がこの地に現れる、数週間も前の話である。




