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13.Misunderstanding

(……苛々する)


 木々の間を通り抜け、背中に乗せた少女の家を目指しながら、アサルティは無言で目を細める。

 もし人の顔がついていなたなら、ムスッとした如何にも不機嫌な表情になっていただろう。それくらいに、怪物は悶々とした感情を持て余していた。


(理由も過去も何も知らないけど、何でこいつがあんなにめたくそに言われなきゃならないんだ? こいつがなんかしたって言うのか?)


 影を泳ぐ間、ずっとアサルティの脳裏に蘇る、長耳の男達とのやり取り。


 傲岸不遜、見下した態度がひたすらに鼻につく若い男の口にする罵倒の数々。その取り巻き達も全く同じ視線を向け、エイダを睨み不満をぶつけまくっていた。

 それを宥める年嵩の耳長達もいたが、さほど厳しいとは思えず、はっきりいって大して役に立っていたように思えない。


 何よりアサルティを苛立たせるのは、他者からの暴言に一切の反論そ見せず、座り込んだままのエイダだった。


「…オマエ、ナンデアンナニセメラレテタ? オマエハアイツラニ……ナニヲシタ?」

「……」


 問いかけるアサルティだが、エイダは俯いたまま何も答えない。

 黒竜の背に乗り、耳長達の元から離れてからずっと黙ったまま、揺れるだけ。


 まるで人形か何かを乗せているような気がして、アサルティは半目になって低く唸る。もやもやしたものが、また一段膨れ上がったようだ。


「…イイタクナイナラ、ムリニハキカナイ。ダガ、ヒトコトモンクハイワセロ……アンナレンチュウニイワレッパナシデ、ナゼダマッテイル。ジブンデハナセルクチガアルクセニ、ナゼハンロンシナイ」

「……」

「ナゼタニンニシネトイワレテ、コバマナイ。アノトキオマエハ、アノガキニサレルガママニ、シノウトシテイタ。ナゼダ?」


 立て続けに告げるも、エイダは否定も肯定もしない。

 それほど重い何かを背負っているのか、ただ単に異形に向けて吐露したくないのか、人ではないアサルティには判断しようがない。

 一言も発さず、自分の背に跨るだけの少女に、黒竜はフンと鼻を鳴らした。


「…マァ、ソコラヘンハドウデモイイガ、ミテイテハラガタツカラヤメロ。ウットウシイ」


 沈黙したままの彼女を冷たい目で見下ろし、前を向く。ずっと見ていると、余計に苛立ちが募りそうだったのだ。


(……何なんだろうな、この妙な気分は。腹が立つのに、ほったらかしにできないというか)


 何故だか、この少女に対しては酷く興味を惹かれる。いや、目を離せない。

 異形の姿で目覚めてから、もう十数日経ったか。その間自身を動かしていたのは、腹の中の空白を満たしたいという欲望ばかり。

 本能ではなく、自分の意志で何かを行おうとしたことはあまりなかった。


 例外は、途中に遭遇した二人の女性を背に乗せ、彼女達の目指す場所まで運んだ時だけ。

 それ以外の生物のほとんどは、『食べたい』という欲望のままに、言葉を交わす暇もないうちに、自分の腹の中に納まってしまった。


(今も腹が減っているのに、美味そうな臭いを感じているのに……こいつの事は、あの二人の事は今も食いたいとは思わない。これに、一体何の違いがあるのだろうか…?)


 二本足で立っていて、意味は分からずともはっきりとした言葉を吐く生き物。

 出会ってきた彼女達と、似たような姿をした相手を前にしても、黒竜は〝獲物〟としか思わなかった。


 それを己が如何に区別しているのかわからず、眉間にしわを寄せるアサルティだが、延々影を泳ぎ続けても、何も答えは出てこない。

 そうこうしているうちに、見覚えのある場所に―――エイダの家にまで辿り着いてしまった。


「…ホラ、ツイタゾ。ジブンデオリロ」


 入口の前に体を寄せ、エイダに促す。

 口調は突き放すようだが、少しでも降りやすいようにと、影から出した自分の腕を足場代わりに差し出す。だが、それでも動かないエイダに、また眉間にしわが寄る。


「……どうして、ですか」


 不意に、ずっと黙り込んでいたエイダが口を開く。

 しかし、こぼれだしたその言葉の意味が全く分からず、アサルティは首を傾げ、少女の顔を覗き込む。


 黒竜の鼻先が触れそうになった瞬間、エイダはバッと勢いよく顔を上げ、鋭く吊り上げた目で黒竜を見上げてくる。

 その時の彼女の目は、涙に濡れて揺れていた。


「どうして…! どうして僕を助けたりなんかしたんですか!!」


 引き攣った声で、びりびりと大気を震わせる声で叫ぶエイダ。

 目を見開き、硬直する黒竜を放置し、エイダはギリギリと歯を食い縛り、フーフーと荒く息を吐く。まるで、怒り狂った獣のような形相だ。


「あのまま殺されていれば、僕は楽になれたんだ! 助けてほしくなんてなかった! そんなこと願った事なんてなかった! どうして邪魔したんですか!?」


 視線で怪物を射殺そうとしているかのように、敵意のこもった目で見上げる。そのうち、少女の目尻からはボロボロと涙が溢れ出し、頬を濡らして落ちていく。

 小さな体は、怒りと悲しみでぶるぶると震え続けていた。


「なんで…!? なんで僕、生まれてこなきゃいけなかったんですか!? ここにいるだけで罵られて、見下されて……こんな生活、もう嫌だ! もう…楽になりたい! 解放されたいんですよ!!」


 無言で俯き、罵倒や蔑視を受け入れるばかりだった少女は、堰が破れたようにとめどなく吠えまくる。怪物以外に誰もいない事が、余計に慟哭に拍車をかけているようだ。


「こんな事なら…もっと早く! あの蜘蛛の化け物にでも食い殺されてればよかった! あなたは…あなたは余計な事しかしてないんですよ! 僕の邪魔しかしてないんですよ! あなたの助けなんか、僕は全く必要となんてしてなかったんですよ!!」


 怒涛の勢いでぶちまけられる少女の本音に、アサルティはもう何の反応も返せない。いや、感情が凍り付いたかのように、微動だにせずに少女を凝視するだけ。

 エイダを見つめるその目から、徐々に温度がなくなっていくことに、泣き叫ぶエイダは全く気付いていなかった。


「大嫌いです…! 母さんもあなたも、みんな! こんな…こんな苦しみしかない生がこの先も続くなんて、悪夢以外の何物でもないじゃないですか! こんな事なら…こんな事なら……!」


 自分の中で渦巻く感情のままに、彼女は言った。言ってしまった。



「僕なんて……生まれてこなければよかったんだ!!!」



 その瞬間、少女の姿が消え失せる。

 そして、自分の家の壁に、背中から激しく叩きつけられていた。


「ガッ…は…」

「……イイタイコトハ、ソレダケカ」


 目を見開き、息を詰まらせる少女の目の前に、真っ赤に輝く異形の目が迫る。

 牙を剥き出しにし、地の底から響くようなおどろおどろしい唸り声をあげる怪物は、今にも燃え上がりそうな目で少女を睨みつける。

 そこに宿っているのは、明らかな殺意だ。


「シニタイ? コロサレタイ? ナラバナゼソウシナカッタ……シニタイナラジブンデシヌガイイ、オロカモノメガ。ナゼオレガソレニテヲカサネバナラン」

「かはっ……ヒュ…」

「イキテイルノガイヤナラ、サッサトヤツラノトコロヘジブンデカエレ。ソウスレバ、サッサトコロシテクレルダロウヨ……オマエガソウシタイノナラナ!」


 ビキビキと、貌に血管を浮き立たせ、自身の怒りをあらわにするアサルティだが、エイダにはもう応える余裕もない。

 自宅の壁に押し付けられ、呼吸を止められ、貌を真っ青にした彼女は、ばたばたと足を振り回し暴れる。肺を押さえつける黒竜の腕を押し退けようとして、全く動かせず、ぶくぶくと泡を吹く。


 次第に少女の目から光が消え、動きが鈍くなってくる。

 目からとめどなく涙を流しながら、エイダの意識は闇に呑まれようとしていた。


「……カッテニシロ。モウシラン」


 だが、不意にアサルティの手が離れ、エイダは解放される。

 ずるずると地面にへたり込み、何度も激しく咳き込む少女を横目に、アサルティは吐き捨てるように告げた。


「オマエノイウトオリ……タスケテワルカッタナ。コレデオワカレトシヨウカ」


 先ほどの目上がる怒りが、嘘だったかのように冷たい目で少女を睥睨し、黒竜は背を向ける。

 ずぶずぶと影の中に身を沈め、消えていく怪物は最後に、もう一度だけ長耳の少女を振り返る。


 自宅を背に、座り込んだ少女は俯いたままピクリとも動かず、沈黙している。よく見なければ、死体にでも見間違いそうなほどに彼女の姿は弱々しく、痛々しさを催させる。

 後ろ髪が引かれそうなその様を見やり、黒竜はもう振り向くことなく、影に沈んでいった。


 ―――勝手にうちの物を食うんじゃないって言ってんだろ!

    腹が減ったんならどっかで残飯でも漁ってろ!


 闇の世界に帰った黒竜の脳裏に、誰かの声が響く。

 怒りと憎しみに満ちた、全身全霊で嫌悪感を訴える、甲高い雌の声だ。


 ―――くっさいにおい撒き散らして居すわるんじゃないよ!

    今日は客が来るんだ、失せろクソガキ!


 ―――できない?じゃあさっさと死にな!

    何もできないろくでなしの屑を置いとくつもりはないよ!


 聞き覚えのない声のはずなのに、知っている気がする。

 何度も何度も耳にして、繰り返し同じ事ばかり聞かされて、吐き気がするほどに嫌悪した、殺したいくらいに嫌いな声の持ち主。

 奥底に刻み込まれた、顔も思い出せない誰かが、怪物の中に蘇っていた。


 ―――あたしがこんなに苦労しているのは、誰のせいだと思ってんだ!

    全部お前のせいに決まってんだろ!

    あんたさえいなきゃ、あたしはこんなところで苦しんでないんだよ!


 ―――お前なんて、生まれてこなければよかったんだ!!


「……ナンダ、コノキオクハ」


 求めてもいない記憶が何度も脳内で再生され、黒竜は知らず拳を握りしめる。

 爪が皮膚を突き破り、赤い血が流れ出しても、黒竜は微塵も気にしないまま、闇の世界を奥へ奥へと潜っていくのだった。


               △▼△▼△▼△▼△


 誰もいなくなった森の中で、エイダは深く息を吐く。

 顔を上げ、後頭部を家の壁に当てて脱力する。木々の枝に隠された空を見上げ、虚ろな目で手足を投げ出す。


「…これでいいんだ。最初から一人だったんだ……僕はこれで、もう元通り…」


 ぼそりと呟き、エイダは目を閉じる。

 一時は恩人と持ち上げ、全力での礼を考えた相手を追い出し、予定通り敵意を返された少女は、何もする気力がなくなり、僅かにも動かなくなる。


 心は薙ぎ、さざ波一つ起きない。

 自分に敵意も隔意も抱かない、それどころか案じてまでくれるような存在を自ら手放し、手の届かない場所まで追いやったことに、どうしようもないほど虚しさを感じる。

 元通りではなかった。元からあったものまでなくなったようで、少女の心は只管に虚ろだった。


「……そうだ、そうですよね。生きてる意味ないんですから、自分で死ねばよかったんですよね。なんで僕、これまでそうしなかったんだろう。馬鹿だなぁ……」


 不意に、黒竜が自分に向けて言った言葉が思考に過り、ハッと目を見開く。

 生まれた時から続いていた嫌な事のせいで、麻痺していた心が少しだけ動く。仕方ない、どうしようもないと諦めていたことが、怪物の言葉で思考を正される。


 人間の血を引いて生まれただけで、他に何の罪もないのに、なぜ存在を否定されなければならないのか。見ず知らずの青年達に、罵倒され、憎まれ続けなければならないのか。


 そこに明確な理由はない。

 強いて言うなれば、エルフという自尊心の塊たちの中に異物がある事が、酷く気分が悪く思えるからだ。部屋の中にあるごみを、片付けたいと思っただけの事だ。


 ごみは自分で消える事はない。しかし自分は塵ではない。

 ならば、誰に迷惑をかけることなく、手を煩わせることなく、自ら消えればすべてが丸く収まる話なのだ。

 暫くの間考えていたエイダは、やがてそう決定づけた。


「…もっと早く、そうしていればよかった…」


 悲しげにつぶやき、立ち上がる。そして、どうやってこの世から消えればいいかと、その場でぼんやりと考えこむ。


 命を奪ったことは、エイダはこれまで一度もない。外敵の排除という役目を担っていても、そんな事態に遭遇したことはまだなかったからだ。

 それゆえ、どうすれば手っ取り早く自らの命を立てるかも、想像がついていなかった。


「……首を斬りましょうか。それとも頭を砕きましょうか……だったら、できるだけ高い所がいいですね。そんなところ、どこにあったでしょうか」


 ぶつぶつと呟き、自らを殺す方法を考えるエイダ。


 そんな時だった。

 ガサガサと草木を掻き分け、自分の元へ向かってくる誰かの気配を感じたのは。


「―――ふん、話には聞いていたが、辛気臭く薄汚い場所に住んでいるものだな」


 聞こえてきた声に、振り向く。

 そしてそこにいた者達、レイアンが率いるエルフの青年達に、エイダは一切表情を動かさないまま、訝しげに首を傾げた。


「レイアン様……何か御用でしょうか」

「こんな吐き気のする所に来たくはなかったがな! だがまぁ…仕方がない! お前に役目を言い渡しに来たからな」

「役目……ですか」


 レイアンの言っている意味が分からず、エイダは逆方向に首を傾げる。


 何故だろうか、やって来たレイアンの格好が、以前よりもずっと派手に見える。

 衣服はさらに布が足され、暑くはないのかと思えるほどひらひらしている。やたらと輝く腕輪や装飾品が身につけられ、非常に派手で人目を引く格好になっている。

 まるで、森に生える危険な毒キノコのような色合いであった。


「役目を与える……それは、長の役目ではないのですか?」

「ああ、その通りだ…なぜなら私こそが、新たな長となったのだからな! 故に、私が全てのエルフを統べるのだ!」


 尋ねたエイダに、レイアンは自信満々と言った態度で応える。

 少女には、たった数時間会わなかっただけで、青年の気がさらに一回り以上膨れ上がっているように見えた。衣服の所為だろうか、肥え太った中年の男の幻影まで見えるようだ。


 困惑の視線を向けるエイダに向けて、レイアンは勿体ぶった仕草で指を突き付け、歪に笑いながらさらに告げて見せた。


「汚らわしい混ざり者の娘よ……お前には、我が森を穢す大蜘蛛の化け物の退治を命じる!!」


 光の失せた目で、ぼんやりと立ち尽くす少女に向けて、爛々と危険な光を目に灯した青年が、げらげらと嘲笑いながら命じたのだった。

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