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3.Hunting

「ゴァアアア! ガァア!!」


 首元に鋭い牙が突き立てられ、一匹の灰色の狼が痛みで暴れ狂う。

 辺りには同族のものと思わしき残骸―――尻尾や耳の一部などが転がる中、最後の一匹である彼は渾身の力で拘束を抜け出そうとする。

 だが、自身の影の中から顔を出し、凄まじい力で顎を閉じる〝それ〟から逃れる事は叶わなかった。


「ゴルルルル…!」

「ギャッ―――!?」

(活きがいいな。それでこそ喰い甲斐があるというもの……苦労をして捕らえた獲物の味は実に美味いんだ)


 ボギッ!と狼の首をへし折り、ぐったりと力が抜けた獲物を影の中に引きずり込みながら、それは爬虫類の顔を歪める。

 自身が自意識を覚醒させて数日、それは空腹で騒ぐ本能が赴くままに広大な影の世界を泳ぎ続け、気配を捉えた獲物を狩り続ける日々を送っていた。


(しかし……獣の肉ばかりではさすがに飽きて来るな。この身が肉食なら然して問題はなかろうが……果物でもなんでもいいから途中に挟んでおきたいものだ)


 一応味覚はあるらしく、新鮮な肉を噛み締めた際の幸福を味わえる点において、それに不満はない。

 しかし、目覚めてからこの時まで、延々と狩りと遊泳を繰り返す日々。もたらされる刺激が同じ味ばかりで、それはだんだん退屈を感じ始めていた。


 ふとその時、それの肩がじくりと痛みを訴える。

 目を向けると、決して浅く無い三本筋の傷跡が、それの肩から胸にかけて刻まれているのが見える。なかなか消えないその痕を見やったそれは、口を笑みの形に歪めた。


(ああ……そういえば、以前に狙った獲物は喰い甲斐があった。俺の奇襲に即座に対応してきただけではなく、応戦してくるとは……あの血沸き肉躍る戦いは、今も俺の記憶に焼き付いている)


 それまでただ一つの傷を負うことなく、ほとんど抵抗もないまま獲物を狩り続けていたそれにとって、目覚めて初めて受けた傷。

 淡々と同じ作業を繰り返すだけになっていたそれにとっては、何よりも代えがたい強い刺激に、それは思わず異形の顔を恍惚に歪めだす。


 戦うことに対してではなく、自分と敵の命が天秤にかけられるその緊迫感に、ひどく愉悦を感じていたのである。


(……そういえば、あの獲物……熊だったか。妙にでかい上に体表が赤かったな。あんな種類の熊は聞いたことがないが、新種か俺が知らない種だったのだろうか)


 腹が膨れたおかげで、思考が食欲以外のものに向けられたのか、それは影の世界を泳ぎながら考え込む。

 兎、狼、鹿、熊、狐、影の外にいたあらゆる生物を狙い、引きずり込んで食らってきたそれだが、食の本能が引いて冷静になるとふと疑問を抱く。


 果たして、兎には角など生えていたであろうか?

 狼の牙はあんなに長かっただろうか?

 鹿の角は宝石のようにキラキラと輝いていただろうか?

 熊の爪はあんなに長かっただろうか?

 狐の尾は何本も生えていただろうか?


 影の外に顔を出し、目にした生物・無生物を含む様々なものに、それは少しずつ違和感を抱き始めていた。


(そも……月とはあんなにも大きく、数がある物だっただろうか?)


 最初の狩りを行った夜の事が思い出されると、その違和感は一層大きくなる。

 本能に促されるまま狩りを続ける中で、ほとんど気にしてはいなかったが、月とはたった一つ、夜の空にポツンと小さく浮かんでいるものではなかっただろうか。


 何も覚えていないのに、自分の知っているそれとは見た物の姿が異なっているような気がする。

 あらゆるものにおいて、それの有する記憶との齟齬が生まれていた。


(まぁ、いいか)


 少し記憶を探ってみようとしたが、それはすぐに諦める。

 今泳いでいる世界と同じく、延々と広がる闇の中に断片的に浮遊している自分の記憶の欠片を一つ一つ拾う行為に、面倒臭さが勝った。

 わかってもわからなくても、それはそれで一切困る気がしなかったのである。


(別に急がずとも、泳ぎ続けていれば何かわかるだろう。焦らずとも、今の暮らしを繰り返していれば何かが変わるだろう……自分から何かをするなど、億劫で仕方がない)


 そもそもがあまり興味がないこと、とそれは半ばで思考を放棄する。空腹が治まった今、態々自分からやる事を増やすほどやる気に満ち溢れているわけでもない。

 ようやく得られた満腹感を堪能しながら、そのうち何かが起こるであろうと適当に見切りをつけ、悠々と影の世界を泳ぎ続けた。




 その日々が変わり始めたのは、それから少し経ってからだった。

 日課となりつつある狩りを終え、獲物の肉を残すことなく腹に収めたそれが、当てもなく先へ向かおうとした時であった。


(……何か、いるな。かなりたくさん。一、二、三……だいたい十五以上はある。この真上あたりか)


 狩りの慣れによるものか、以前よりもはっきり強く影の上の気配を捉えられるようになったそれは、いくつもの気配がまとまっている箇所に気付く。

 最初は小さな獣の群れがそこにいるのかと思ったが、よく見ると違うようだと気付く。


 三つ四つの気配に対し、十以上の気配が円を描くように並んでいる。

 そのまま様子を伺ってみると、多い方の気配が近づいていくと、囲まれた方の気配が一つ弱くなったことがわかった。

 弱くなった気配はやがて消え、何も感じられなくなる。その変化を、それは良く見知っていた。


(……これ、何か死んだな)


 自分が獲物を仕留めた時に感じた、生物が命を奪われた時の変化。

 まるで暗闇の中で輝いていた光が唐突に消え失せたかのような、何となく物悲しさを抱かせる感覚であった。


(上で何かが狩りでも行っているのか? それにしては、妙なやり方のような……気のせいか?)


 自分以外の生物が狩りを行う場に鉢合わせしたのは初めてだが、何故かそれは今行われている命のやり取りは、別の種類のものだと感じ取っていた。

 自分が生きる為に他者の命を奪うのではなく、別の物を奪う過程において、他者の命が奪われる結果になったような。

 影の上の光景が見えているわけでもないのに、そう感じ取っている自身に困惑しながら、それは眉間にしわを寄せ、じっと上のやり取りを見上げていた。


 自身の胸の奥に芽生えた苛立ちのことを自覚しながら。


(……何故かは知らんが、気に入らんな。さりとて、俺はどうしたものか)


 何処かの何かが狩りを行っていようが、縄張り争いで傷つけ合っていようが、所詮は余所者であり巻き込まれる事のないそれには関係のないこと。

 空腹も治まっている今、態々危険を冒し、介入する必要性は皆無であると自分に言い聞かせるそれだったが、己の中にある苛立ちはなかなか消えてくれない。


 ただ黙って事態の変化を伺っていると、囲まれていた三つの気配のうち、さらに一つが消え失せたことに気付く。

 立った二つの気配に対し、周りの沢山の気配が一斉に動き始めたその時、それは無意識のうちに自身の体をくねらせ、境界に向かって泳ぎだしていた。

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