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4.Call oneself

(何でこんな事になっているんだろうな……訳がわからん。状況も、こいつの考えも何もかも)


 木々の間を、自らの影を泳ぎ通り過ぎる〝それ〟。

 全面を固く黒い鱗に覆われた、怪物の顔の真ん中には不機嫌そうなしわが刻まれ、目つきもやや険しくなっている。


 目が覚めてからずっと、状況に流されてばかりのような気がして、虫の居所が悪くなっているのだ。


(いつの間にか喋れるように……というか言葉がわかるようになっているし。いや、こいつの言語だけかもしれんが。そもそも、俺はどうやって喋っているんだ? 口は蜥蜴の口で、舌や顎を動かしているつもりはないのに、どこから声が出ている?)


 自分で行っている行為の原理が、自分に起こっている現象の原因がわからず、〝それ〟はしきりに首を傾げる。


 そもそも何者なのかもわかっていない、自分自身。

 最初に感じたのは、大きな違和感と何かを忘却しているという直感。自らの肉体に違和感を抱き、そうなる以前の自分を思い出せなくなっていた。

 思い出せないという事は、こうなる以前の自分がいたという事で、何かしらの理由があって今の姿になった過程があるという事だ。


 ならば何があったのか、過去の自分は何だったのか、そして今の自分はどうして存在しているのか。

 疑問が次から次へと浮かんできて、全く収拾がつかなくなってくる。


(……まぁ、いいか。実際に考えてもわからんことだし)


 故に、〝それ〟はまた思考を放棄した。

 疑問が山のように積み重なっていたのに、ふとした瞬間にガラガラと瓦解し消え去ってしまう。それに疑問を抱くことなく、〝それ〟はフゥと鼻息を吐く。


 やがてその目は、自分の背中に跨る少女に向けられた。

 蜘蛛の集団に囲まれていた所を結果的に救う事になった、先ほどからびくびくと怯えた様子を見せる、尖った耳が特徴的な少女だ。


「……ジブンデコイトイッタクセニ、ナゼオビエル。イワナケレバヨカッタノニ」

「お、怯えるとかそんなんじゃなくて……こういう時、何を話せばいいのか、全然わからなくて」


 じとりと、心底呆れた様子で見つめて来る〝それ〟に、エイダは顔を逸らしぼそぼそと小さな声で返す。


 背に乗せて、進み始めてから変わる事のない少女の態度。

 せっかく言葉を伝えられるようになったのに、意思疎通が全くうまくいっていない気がして、〝それ〟の眉間のしわはますます深くなった。


「ソモソモ、ナゼオレヲイエニマネイタ。ナニガシタイノダ、オマエハ」

「ベ、別に何も企んでなんかいませんよ! ただその……あ、危ない所を助けてもらったのに、何もしないのは失礼かなって…」

「…タスケタオボエハ、マッタクナイノダガナ」


 ぼそぼそと聞き取り辛い声に耳を傾け、〝それ〟はフンと鼻を鳴らす。

 起き抜けで、ひたすらに腹が減っていたところに見つけた獲物に飛び掛かっただけで、少女を助けるために現われたわけではない。所詮は自分だけの為だった。

 それを感謝されるのは、〝それ〟にとっては非常にむず痒い事だ。


(まぁ、えらく嫌な気配を感じたから、あの場に出てきたというのもあるが……人助けをするつもりでは全くなかったし、言う必要も無かろう)


 ふと脳裏に浮かぶのは、背に乗る少女に迫っていた蜘蛛の集団。

 人間よりもはるかに大きな体躯に、何やら奇妙な言語を口にしていた、何となく気色悪さの目立つ怪物の群れの事だ。


(そういえば、あいつらは何だったのだろうな…? やたらとでかくて食い応えがあったが、明らかに今の俺と同じく喋っていたな。この森に棲む固有種か何かか…?)


 自分と同じく、発声器官があるのか微妙な外見で不気味に口をきいていた、八脚八眼の怪物達。

 ガシャガシャと顎と足の関節を鳴らし、尻から放つ糸を手繰って、巨体に見合わぬ俊敏さを見せた化け物の群れ。

〝それ〟にとっては、滅多に出会えないであろう御馳走に見えた。


 ふと考えた〝それ〟は、背に乗る少女にもう一度視線を向け、問いかけていた。


「…オマエハ、アイツラガナンナノカシッテイルノカ?」

「い、いいえ…ずっとあの辺りで見張りをしていましたけど、見たことがない生き物でした。……それに、喋る怪物なんて、あいつらかあなた以外に会ったことないです」

「…ソウカ」


 首を振る少女に、〝それ〟は若干の落胆を抱きながら視線を前に戻す。


(ならばやはり……俺と同じ、どこかからやって来た異物、か。あんな気味の悪い言語を口にする連中と同郷などとは、考えたくもないが)


 蜘蛛達が逃げる際に口にしていた言葉らしき音と見せた姿は、何故か〝それ〟に嫌悪感を抱かせた。

 小さく弱々しい少女に対しては、甚振るような高圧的な態度。しかし〝それ〟が出現し襲い掛かった後に見せたのは、恐怖を前面に押し出した情けない姿。

 とても獣らしからぬ、小心者の小悪党のようなみっともない様を見せていた。


(まぁいい……次に見つけたら一匹残らず食い尽くしてやろう。あれは本当に喰い甲斐があった。また食べたいものだ)


 存在そのものを嫌悪しつつも、味に関しては望ましい者であり、〝それ〟は思わずべろりと口周りを舐める。気をつけていないと、涎が垂れ流しになりそうなほどだった。


「…あの、お聞きしていいですか?」

「ン?」


 再び美味を味わう事を妄想していた〝それ〟は、少女が話しかけてきたことで意識を引き戻される。

 ぎろりと目を向けてくる〝それ〟に、びくりと肩を震わせた少女は、恐る恐ると言った様子で見つめ返す。


「お、お名前を……お聞きしていいですか?」

「ナマエ……ナマエカ」

「あっ、言いたくないんならいいんです! ただその……お礼したいって言ってるのに、お名前も知らないんじゃ失礼かなって。…あ、僕、エイダって言います」

「…ソリャドウモゴテイネイニ」


 ごにょごにょと、恥ずかしそうにしながら、ちゃっかり自分から名乗ってくる少女―――エイダに、〝それ〟はぐるぐると唸り、少し悩む。

 自分も名乗らなければならないような流れができてしまったからだ。


 しばらくの間考え込み、沈黙に困惑したエイダがおろおろと〝それ〟の顔を覗き込みだした頃、ようやく〝それ〟は口を開いた。


「……あさるてぃ、ダ」


 口にしたのは、なぜか自分の脳裏に焼き付いた、この世界で与えられた名だった。


 失われた過去の記憶の中に、自分を呼ぶ名前があった気もするが、それは消し炭の様に焼け付いて思い出せない。

 その代わりのように新たに与えられた名が、何故だか今の〝それ〟―――アサルティにはしっくりきて、これ以外にないように思えてくる。


 そうした瞬間、まるでアサルティは、自分の存在がようやくこの世界に根付いたような、不思議な感覚を覚えたのだった。


「アサルティ……アサルティ…、はい! しっかり覚えましたよ! じゃあアサルティさん! この先はぐるっと大きく右に回って進んでもらえますか?」

「ア? ナンダソノチュウモンハ」


 名乗り合うや否や、さっそく馴れ馴れしく名を呼んできて、指示をしてくる少女に、怪物はぎろりと鋭い目を向ける。


 エイダはまたびくっと肩を震わせ、気まずげに目を逸らす。

 アサルティは泳ぐのをやめ、じっとその場から動かず、エイダを睨み続けた。


「オマエ、レイガシタイカラッテイウリユウデ、ココマデノセテヤッタノニ、ワザワザトオマワリサセルキカ。ナノリアッタカラトイッテ、サスガニズウズウシイゾ」

「えっとその…この先は色々あるので、真っ直ぐ行かない方がいいと言いますか……」

「ナンダソノイイワケハ」


 煮え切らないエイダの物言いに、だんだんと苛立ってきたアサルティが、鋭く睨みつけたまま目を覗き込んでくる。

 恐ろしい怪物の顔に迫られ、冷や汗をだらだらと垂らすエイダが、必死に目と身体を逸らす。


 怪物の目に殺気が混じり、グルルル…と唸り声とともに牙が剥き出しにされ始めた、その時だった。



「止まれ、化け物」



 突如響き渡った声に、アサルティとエイダの目が見開かれ、二人の視線が同時に上を向く。

 視線を上げた先に見つけた、木々の打の上に立つ無数の人影に、エイダはさっと顔から血の気を引かせ、息を呑む。


 そこにいたのは、華奢な長身に金の髪と尖った耳を持つ、美しい容貌の集団。エイダと似ているが、彼女よりも長い耳を持つ男女達。

 麗しい顔立ちに明確な敵意を宿した彼らが、手にした弓に矢をつがえ、四方八方からアサルティに狙いを定めていたのだ。

 そして矢は、アサルティの背で硬直するエイダも狙っていた。


「…誰にも望まれぬ、憐れな命だからと温情をかけてやれば、この様か。お前には失望したぞ、穢れた子エイダ」


 集団の中で、もっとも立派で美しい格好をした男が、エイダを見下ろして告げる。

 キリキリとつがえた矢で、怪物ではなく同胞のはずのエイダを狙う彼は、冷たい氷のような魔差しを向け、嫌悪に塗れた言葉を吐く。


 彼を見上げながら、エイダはガタガタと身を震わせていた。


「レ……レイアン様」

「黙れ、我が名を呼ぶな穢れた子が……お前が連れてきたその化け物と共に、ここで処刑してやろうか」


 震える声を漏らす少女にも容赦なく、殺気をぶつける男と、同じだけの嫌悪をぶつけてくる周囲の者達。

 決して仲間に向けるものではないそれらの視線に、事情を全く知らないアサルティだったが、ふつふつといら立ちが募って来るのを感じていた。

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