3.Communicate
「ぼっ…僕! 僕肉もついてないし、骨ばっかりだからおいしくないです! だから食べないでください! お願いしますぅ~!!」
「クワネェッテノ」
樹の幹に背中をぶつけ、いやいやと首を振りながら、泣き叫ぶエイダ。
黒竜が呆れたように目を細め、ため息交じりに答える声も聞こえていないのか、ひたすらに叫び続ける。
「あっ、貴方は大きいし! ここには僕しかいないから、食べたってお腹は満たされないです! 食べたら余計にお腹がすくと思うんです! だからやめておいた方がいいです!!」
「ダカラクワネェッテ」
「僕あんまりいいもの食べてないから! 栄養もないし食べ応えないです! だから食べない方がいいですやめて下さいぃ!!」
「クワネェッテイッテンダロウガ」
涙と鼻水で顔中をぐちゃぐちゃにし、ついには樹の幹にしがみついてがたがたと震えだす。
先ほどから何やら幻聴が聞こえてきて、エイダはますます混乱し、自分でも何を言っているのかわからなくなる。そもそも怪物を相手に、何を懇願しているのか。
止まらない命乞いと、キンキンと鼓膜に伝わってくる悲鳴。
一切手を出さず、ハーフエルフの少女を見つめていた黒竜から、やがてブチッと何かが切れる音が響いた。
「ダカラクワネェッテイッテンダロウガ!!」
「ひぃいい!!」
牙を剥き出しにし、目を吊り上げ吠える黒竜。
ごぅっ!と突風のように襲い掛かる咆哮に、エイダはますます怯え身を縮こまらせる。
しかし、泣き叫ぶことを止めたおかげか、徐々にエイダの頭に登っていた血が降りてくる。
少しずつ冷静さを取り戻していくと、エイダはきょとんとした顔で固まり、目を瞬かせながら背後に振り向いた。
「……今、喋ったのはあなたですか…?」
「ヤットカ……ヒトノハナシヲキカナイヤツダナ、オマエハ」
恐る恐る、様子を伺いながら問いかけるエイダに、黒竜はフンと鼻を鳴らしてみせた。
見下ろしてくる双眸は鋭く、影から生える長い首と大きな顔は、やはりとてつもない恐怖感を与えてくる。
しかし、向けられる視線はじとりとした人のものであり、獣は明らかに異なるものであると、エイダはようやく安堵を抱き始める。
怪物を相手に安堵するというのも妙な話だが、それだけエイダは困惑していた。
「ほ…ほんとに、食べないんですか?」
「クワネェ。オマエ、ドウミテモウマクナサソウダシ、クウキニナラネェ」
「うっ…美味しくなさそうって」
エイダの身体つきを見下ろし、詰まらなそうに答える黒竜。
容赦のない怪物の評価に、エイダは安堵すべきか腹を立てるべきか悩み、少しの間険しい表情になる。
エルフは森に暮らす性質上、動きやすいよう細身で身軽な体躯になりやすいのだが、エイダはそれと比べても小柄で痩せ細っている。
同年代の女子達と並ぶと、まるで年下のように見えてしまう事が彼女の悩みの種であった。
「す…好きでこんな体になってるわけじゃ」
「ソンナモンシルカ。トニカク、オマエミタイナヒンソウナヤツヲクウキハネェ、ウルセェカラダマッテロ」
「ひどい!」
暴言で傷付けたくせに、気遣いも何もない黒竜に、思わず恐怖も忘れて抗議の声を上げるエイダ。
だが、黒竜は鬱陶しそうに吐き捨て、エイダから目を背ける。そんな素っ気ない、無関心な態度があまりにも辛く、エイダは涙目で地面を叩いていた。
やがてエイダは、キッと黒竜を怒りの眼差しで睨みつける。
もはや最初の恐怖は微塵もない。自分にとって酷な事ばかりを口にする怪物には、物申さずにいられなかった。
「というか、あなたは誰なんだ!? あなたみたいな猛獣は見たことないし…それにそんな風に影に潜れる奴なんて見たことが―――って何ですかそれ!?」
猛然と吠えるエイダだが、改めて黒竜の姿を目の当たりにすると、驚愕で大きく目を見開き、固まってしまう。
地面にできた影の中から、まるで水面から顔を出すかのように顔を覗かせる巨大な竜。
普通ではありえない、異能の力を見たエイダは表情を引き攣らせ、黒竜の顔とそれが身を沈める影を交互に凝視し、喚き続けた。
「かっ…影!? 本当に影に潜っているんですか!? ど……どうやって!?」
「ウルセェナァ……ソンナモンオレガシルカ。キヅイタラコンナフウニナッテタンダヨ」
「気づいたら…!? どういう事ですか!?」
「ダカラシラネェッテノ」
「知らないで済まされませんよ! 一体何者なんですか!? まっ、魔法!? 魔法なんですか!?」
「シラネェッツッテンダロ」
ひたすらに困惑し、質問をぶつけるエイダに、黒竜の顔はどんどん険しくなってくる。
最初は懸命に距離をとろうとしていたのに、黒竜の異能を見てからは興奮気味に詰め寄ってきている。一体何が彼女の琴線に触れたのかわからないが、黒竜は徐々に苛立たし気に唸り始める。
用のない少女が自分を引き留めていることが、とてつもなく鬱陶しいようだ。
「イイカゲンダマレ。オレガナニモノダロウト、オマエニナニカカンケイガアルノカ?」
「あっ…ありますよ! ぼ、僕は…この森で敵を見張り、侵入者を排除する役目があるんですから!」
「ミハリ…?」
黒竜は胡乱気な眼で、聞いてもいない事情を語るエイダを見下ろす。
蜘蛛の集団にやられかけ、半分溶けた格好を見ると、確かに戦うつもりの装いに見える。装備は弓矢と短剣だけで心もとないが、敵の侵入を探り、奇襲をかけるだけなら十分かもしれない。
しかし、黒竜にとってそれは重要ではなかった。
エイダが語った「役目」という言葉が、怪物にある可能性に思い至らせていた。
「……ジャア、コノサキニオマエノナカマガイルンダナ?」
「…っ!?」
ぼそりと呟いた(どうやって話しているのかは不明だが)黒竜に、エイダはハッと表情を変える。
黒竜が見せる謎の力。音もなく、気配すら感じさせずに現れ、鋭く尖った牙を標的に突き立てる異能の力。逃れる術の思い付かない、恐るべき能力。
それを、集落の同族達に振るわれる光景を幻視し、エイダは咄嗟に腰に提げた短刀を抜き放っていた。
「だ……だめです! それはだめです!」
「ア?」
「なっ、仲間は! 僕の仲間は食べちゃダメです! 絶対に!」
無意識のうちに、集落のある方向を背に庇い、怪物に短刀の切先を突き付けるエイダ。
黒竜が訝し気に首を傾げている事にも気づかず、顔中から冷や汗を噴き出させ、しかし決死の覚悟を決めた顔で身構える。
勝ち目が微塵もなくとも、エイダの内にある強迫観念のようなものが、彼女を集落と同族達を守る行為に走らせていた。
「…イヤ、クウキナンテネェケド」
「ぼ、僕は…人間の血が入ってるからって、嫌われてて! みんな僕に冷たいけど! それでも僕が生まれ育ってきた場所だから! たっ、大切だから!」
「ナニモシナイッテ……タンニオマエヲ、ソコマデオクッテヤロウカト」
「辛い想い出ばかりだけど、あったかい想い出もあって! ま…守りたい場所だから! だから、だから…! い、行かせません!!」
ガタガタと身を震わせ、涙を流しながら、エイダは黒竜の前に立ちはだかる。
例えここで食い殺され、無意味に散ったとしても、同族を守ろうとした意思は本物だと自分に言い聞かせ、誇りながら死のうと立ち続ける。
勝手に盛り上がり、勝手に聞いてもいない家庭の事情を語り、勝手に覚悟を決めるハーフエルフの少女に、黒竜はヒクヒクと目の下の筋肉を震わせる。
そしてついに、再びブチッと何かが切れる音が響いた。
「ハナシヲキケ、クソガキ!!」
「はぅん!?」
ぱこんっ!と黒竜が影の中から抜き出した手がエイダに伸びて、爪が額を激しく打ち付ける。
なかなかに激しい音が響き渡り、エイダはその場にひっくり返り背中から倒れ込む。ついでに後頭部を強かに打ち付け、少女は悶え苦しむ羽目になった。
ゴロゴロと地面を転げ回るエイダを見下ろし、黒竜は再び鼻を鳴らし、呆れた口調で告げる。
「メンドウクサイヤツメ……ワカッタ、チカヅカナイ。ソレデイイカ?」
「うぅ…」
「シンパイシナクテモ、モットウマソウナヤツラヲミツケタカラ、ソイツラヲオウツモリダ。オマエニモ、オマエノナカマニモヨウハナイ」
額を抑え、涙目でうめくエイダを見やってから、黒竜は踵を返す。
恨めしげな視線が向けられるも一向に構わず、少しばかり上機嫌に、自分が取り逃がした獲物の集団が去った方に泳ぎ始る。
「アノデカイクモハ、ナカナカウマクテクイデガアリソウダッタナ……」
その呟きに、エイダはハッと目を見開く。
つい先ほどまで自分の目の前にあった、絶望の塊のような怪物の群れ。何処から現れたのか、何時から居るのかもわからない、謎の言葉を発する別の怪物の集団。
それらと遭遇してしまったエイダは、どうして助かったのか。
その理由を、目の前の怪物の凄まじさで忘却していたエイダは、ひゅっと息を呑みながら硬直していた。
額の痛みも忘れ、ずぶずぶと影の中に潜っていく黒竜の後姿を凝視した彼女は、黒い鱗が全て見えなくなるよりも前に、思わず声を張り上げていた。
「あ…あの!」
「ン?」
突如呼び止められ、訝しげに目を細めて浮上し直す黒竜。
影の底に消えかけた怪物を呼び止めた少女は、振り向かれると肩を強張らせ、あわあわと狼狽を見せ、視線を泳がせる。
黒竜の目が鬱陶しそうに尖り始めた時、少女はようやく声を発する。
「…ぼ、僕の家に来てくれませんか?」
「……ア?」
予想だにしないエイダの申し出に、黒竜は大きな困惑の声を返していた。




