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19.Urgent

「……ったく、いっつもいっつも暇だねぇ」


 ガーランド領の境、防犯用の壁の入り口を守護する役割を担う衛兵は、そう呟いて憮然と空を仰ぐ。

 滅多に人がやってくることもない、賊が襲うほどの魅力もないこの地における守護はひたすらに退屈で、しかし代わりに非常に平穏である。

 普通によくもなく、質素に暮らす分に不足はなく、のんびりしていれば事足りる環境である。


 普通に過ごしていれば何の不満もないのに、彼が不貞腐れている理由はただ一つ、屋敷に手催される肉の宴に参加し損ねているからだ。


「…くそっ。帝国の連中と仲良くしたところで、得するのはたかだか数人ぐらいだろ。やってらんねぇよ、ちくしょうめ」


 ガーランド領では、すでに暗黙の了解となっている領主と帝国の癒着。国を墜とす手伝いをする代わりに、遠く離れた領地に毒を撒き、邪魔になる土地を機能不全に陥らせるという計画。

 決して豊かではない、領主の決定に逆らえる者もおらず、かといって王国に対する忠義もない民は、粛々と領主の行いを黙認してきた。


 そんな折に、薬を求めてやってきた別の領地の御令嬢とその従者。

 帝国への手土産とするために彼女達を足止めし、計画遂行の邪魔をさせず捕らえる事が決まった時は、両手を上げて喜んだものだ。

 今まで何の喜びもないまま生きていた自分にも、ようやく愉しみができたと。


 しかし、衛兵となって日が浅い彼は、先輩達に止められ宴に参加させてもらえなかった。それ故に、彼はこうして暇を持て余していたのだ。


「あー、くっそ……あの女たち、どっちでもいいから抱きたかったなぁ~」


 思わず涎が出てくるほどに魅力的な体をした二人は、今頃はこの地の領主の手で存分に堪能されている事であろう。

 逆らうことはできなくとも、一人でいるこの時だけは存分に愚痴をこぼしたかった。


 ぼんやりと空を見上げていたその時。

 衛兵は門の内側から、何やら叫び声のような物が聞こえてきた気がして、訝し気に顔を上げた。


「…何だ? 何かあったの―――」


 ひょっとして、あの美女達が抵抗して逃げ回っているのか。そんな想像をし、彼はふと脳裏に過った思い付きに笑みを浮かべる。


 もし、この場で自分が美女達を捉えてみせれば、彼女達を抱く権利を得られるのではないか。

 思わぬ得ができるのではないか、と期待した彼は立てかけてあった槍を手に、門に備わった小さな扉を少し開け、中の様子を伺おうとした。


 が、その行為は大きな間違いであった。


「ゴルルルル!!」


 門を開けた彼が目にしたのは、見るも恐ろしい怪物の形相。夜闇のように黒い、鋭い両目を向けて迫り来る、巨大な爬虫類の貌だった。

 迫り来る異形の姿に、衛兵は一瞬硬直するものの、慌てて扉を閉じて後退る。


 が、その時には既に黒竜は門の真正面から激突し、粉々に破壊して壁を突破していた。

 ご丁寧に、衛兵ごと巻き込み細切れ肉のようにしてみせてから、鬱蒼と茂る森の中へまっすぐに突っ込んでいた。





 ザザザザザッ…!

 草木が擦れ合う音が断続的に響き、巨大な影が森の中を疾走する。

 巨木が立ち並ぶ道なき道であろうが、巨石が転がる越えられぬ道であろうがお構いなしに、黒竜は二人の美女を背に乗せ、ひたすらに先を目指す。

 その背に乗る美女達も、上半身に枝や葉がバサバサと当たろうが、懸命にこらえて先を見据える。


 影という、どこにでもできる、そして黒竜にしか通る事の出来ない道。

 本来であれば迂回し、大きなロスを覚悟しなければならない旅も、黒竜の異能の力をもって容易く近道できる。一分一秒が惜しいアイシアとセリアにとっては、これ以上に無いほどありがたい力だ。


 帝国の進軍という窮地。

 国を脅かそうとしている悪魔の軍勢が、今こうしている間にも着々と迫り、愛する領民達が寝込んでいる領地に魔の手を伸ばしつつある危機。休んでいる暇などなかった。


「…! この先は崖だ、気を付け―――」

「グルルルル……ガァッ!!」


 突如、黒竜が一度影の中に深く沈み、アイシアとセリアの足も影の中に浸る。

 何事か、と思った次の瞬間、黒竜は大きく影の中から勢いよく飛び上がり、前方にあった深く広い崖を越えていた。


 急に襲い掛かる浮遊感に、アイシアとセリアはすかさず黒竜の背にしがみつく。

 数秒後、黒竜は向こう岸の地面にできた影の中に潜り、一切の減速をしないまま地上に浮上した。


「…! 本当に、彼がいなかったらと思うとぞっとする…!」


 アイシアはぶるりと背筋を震わせ、黒竜の背中を凝視する。

 同時に、先ほどの跳躍と潜水ならぬ潜影で気づいたある事実に、表情を引きつらせた。


(やはり……彼とくっついているものならば、共に影の中に潜れるのか。だがその代わりに―――影の中では息ができない…!)


 足が影の中に沈んだ時、全身が沈んだ時、アイシアとセリアの身体が影から弾かれる事はなかった。

 どういう原理や法則があるのかまるでわからないが、その事実に安堵しつつも、呼吸の可否という別の危険性が出てきて冷や汗が出てくる。


 ふと、後ろのセリアに目を向けると、激しく咳き込み涙目になっている。

 何の前触れもなく潜られ、心の準備ができないままに呼吸を阻害され、酷く恐ろしい思いをしたのだろう。血の気が引けた青い顔のまま、何度も深呼吸を繰り返していた。


 先ほどは数秒程度の潜航であったが、もしこれが倍以上の長さ、それも数分単位のものであったなら、間違いなく呼吸困難で死に至る。

 遺体も何も残らないまま、一瞬だけ見えた暗い闇の世界に閉じ込められてしまうのだ。

 想像するだけで恐ろしく、何も言わずとも地上を泳ぎ続けてくれている黒竜の気遣いに、心底感謝したくなる。


(もし、方角だけ指示をして潜り続けられたならば、何の障害物もなくさらに早い移動ができただろうに…! こんな所で、私達自身が邪魔になっているのか…!)


 どんな場所であろうと、どんな障害があろうと一切干渉されない、ある意味最強の回避能力を有する黒竜。その最大の利点を、アイシア達自身が潰している。

 頼んだ立場で言えないが、融通の利かない力に悪態をつきたかった。


「この先に小高い丘がある……それを越えれば王都はすぐだ」

「グルオオオ!」


 黒竜の影を泳ぐ速さに押されながら、せめて道案内ぐらいはと声を上げるアイシア。腰にしがみつくセリアの無事を時折確かめ、泳ぐ黒竜に指先で方向を指示する。


 女騎士の言葉はわからない黒竜。しかし指先の示す先が進みたい方角だということはわかっているようで、その方角にひたすら泳ぎ続ける。

 後は、背中に乗せた二人が振り落とされない事だけを気にし、黒竜は前だけを見据えて突き進んだ。


「アイシア…! 間に合うかしら…?」

「まだわかりません…! ですが、彼の異能の力ならもしかすれば…! この場で必要なのは、私達が何があっても彼にしがみつくという覚悟と根性です!」


 既に、草木がぶつかってできた生傷だらけのアイシアが、セリアにも同じ傷跡が残らないよう盾になり告げる。

 すでに彼女の装いも、枝に引っ掛かって制服はボロボロ、鎧も傷だらけになっている。セリアのドレスも端から裂けて、ややあられもない格好になりつつある。


 しかし、自分の格好にこだわっている暇はない。

 生傷の十や二十を気にしていては、迫り来る帝国の軍勢から民の命を守る事はできないのだ。


「問題なのは…王都に着いてからです。セリア様ならともかく、一介の騎士でしかない私の進言を陛下が聞き入れて下さるかどうか……話が通ったところで、話ができるまでどれだけの時間がかかるか」

「っ…そうね、そうよね」


 如何に重要な情報を持って訪れたとして、城の兵士が易々とアイシア達を通してくれるはずもない。そこまで簡単に通してしまっては、兵士の意味がない。

 少なくとも王都に着き、城に辿り着いたとして、王に話が通るまでかなりの時間を要することになる。

 事態の深刻さを考えると、たまらなくもどかしく思えてしまう。


 それに、とアイシアは視線を落とし、自分達が跨る黒竜に目を向ける。


「彼が共にいても、話がややこしくなるでしょうね……人目のつかない場所で降ろしてもらい、その後は私達で走りましょう」

「わかったわ」


 アイシアの決めた方針に、セリアは即座に真意を理解して頷きを見せる。

 決して短くない時間を過ごした彼女達にしてみれば、この上なく頼もしい存在。しかし、彼を知らない者達からすれば、不気味で得体の知れない化け物でしかないのだ。


(どこでもいい……兵舎か何処かで馬でも借りられれば、少しでも時間を短縮できる。そこから先は私達の役目だ……彼にこれ以上、負担をかける事はない)


 ただでさえ多くの借りを重ねている、律儀な異形。

 見た目は恐ろしく、生まれも育ちも定かではない、通常の生物とは一線を画す謎の存在だが、弱きを助け強きを挫く義侠心を持ち合わせた稀有な存在。

 そんな彼が、彼の内面を良く知らない人間達に敵意を向けられる姿は見たくない。


 今まさに力を借り続けている情けない状態だが、黒竜の今後を考える事しか、今のアイシアにできる恩返しは見つからなかった。


 背中でそう、悶々と考え込むアイシアに気付くことなく、黒竜は最初に彼女が示した通りの方向に、真っ直ぐ泳ぎ続ける。

 崖を幾度か跳び越え、大岩を通り抜け、巨木の間を素通りし、広い森の中を、広い草原を、そして沼や湖を通過する。その間一度も速度を緩めることなく、ひたすらに前だけを目指し続ける。


「ピュィイ!」

「ゴルルル…!」


 途中、角兎や爪熊、丸々と越えた獣と遭遇することも多々あった。

 しかし、黒竜はその一切に目をくれず、完全に無視し森の中を突っ切っていく。


 いかに空腹が近づこうとも、アイシアとセリアの願いを果たす事のみを考えているかのようなその様に、アイシアの目頭が思わず熱くなる。

 こんなにも義理堅い心を持った存在に、どうしてもっと早く出会う事ができなかったのかと。


「……必ずだ。必ず、お前が満足するような返礼をしてみせるからな」


 感情が目から溢れ出ないよう、ぐっと瞼をきつく閉じ、そう頭を下げる女騎士。

 言葉が届いていなくても、せめてこの気持ちだけでも届くようにと願い、鋭い視線で王都の方角を見据えて唇を噛む。

 セリアも彼女の後ろで、忠臣の悩みをひしひしと感じつつ、間に合う事を、黒竜がやり遂げてくれることを願う。


 黒竜自身が実際にどのような事を考えているかも知らないまま、女騎士と令嬢は異形の背にしがみつき続ける。

 そして、飲まず食わずの丸一日が過ぎ、いくつもの森と丘を越えたその先で。


 黒竜とアイシア達は、木々が開けた先に広がる、神々しく美しい人の街―――王都とその中心にそびえ立つ王城を視界に映した。

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